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2011年9月 4日 (日)

245 『ワンダフル・ライフ ―バージェス頁岩と生物進化の物語』 スティーヴン・ジェイ・グールド 初版1993年

神が宿るのは細部であって
純然たる一般性という領域ではない

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search概要

1909年、カナダで5億年前の不思議な化石小動物群が発見された。当初、節足動物と思われたその奇妙奇天烈、妙ちくりんな生きものたちはしかし、既存の分類体系のどこにも収まらず、しかもわれわれが抱く生物進化観に全面的な見直しを迫るものだった…100点以上の珍しい図版を駆使して化石発見と解釈にまつわる緊迫のドラマを再現し、歴史の偶発性と生命の素晴らしさを謳いあげる、進化生物学の旗手グールドの代表作。

search読むきっかけ&目的&感想

生物進化に関連した面白そうな本がないかなぁ、と探して見つけた本。

さくら好み ★★★☆☆

私には難しかったけど面白かった。以前読んだ『眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く』も面白かったし、これからも生物進化に関連した本をポツポツと読んでみたいな。

search内容 wikiより

この本の内容は大きくは二つある。

一つはバージェス動物群の発見と再評価に関する経過説明であり、特に再評価によって明らかになったそれまで想像もされていなかった様々な動物が紹介され、その解明の歴史が紹介されている。バージェス動物群はチャールズ・ウォルコットによって発見されたが、彼はそれらを既存の動物群の先祖系と考えたこと、その後の若干の研究の進展に触れた後、ハリー・ウィッチントンらによる研究が行われ、新たな発見が続いたこと、それらがこれまでの既存の動物群にほとんど当てはまらなかったことを順を追って述べている。そして最後にアノマロカリス再発見のどんでん返しが持ってこられる。要所要所にこの内容を理解するために必要な専門知識、たとえば節足動物の付属肢などについて要領のよい説明が挿入されている。

もう一つは生物進化の歴史に対する新しい見方の提唱であり、グールド自身の主張の部分と言える。彼によれば、一般に地質年代を遡るほどに動物は原始的で単純なものばかりになり、その多様性は低くなると考えられているが、それは誤りであり、いつの時代も動物は様々に適応して暮らしていたこと、そして、絶滅して子孫を残さなかったものがたくさんおり、それはすなわち、過去の方が多様性が高かったことを意味するものだという。この化石群からわかるのは、カンブリア紀には現生の動物門のすべてが出現していた可能性があること、そしてそれに含まれないものも多数あったこと、したがって、動物の体制の多様性はカンブリア紀が一番高かったのだ、と述べている。もう一つ、子孫を残さなかったものが、環境に適応していなかった劣った系統とは考えられず、それはおそらく単なる偶然の産物だという。たとえばもう一度地球の歴史の巻き戻しが行われたら、我々は生まれなかったかも知れない、とも言っている。

search覚書

科学とわれわれの関係は逆説的なものとならざるをえない

しかし、フロイトが看破したように、科学が知識と力を大きく前進させるたぴに我々はほとんど耐えがたい代償を支払わなけれぱいけないため、科学とわれわれの関係は逆説的なものとならざるをえない。

つまり科学的知識が深まるほど、自分たちは万物の中心に位置しているわけではなく、人間のことなど頓着しない宇宙の辺縁に住まいする存在にすぎないことをますます思い知らされて精神的打撃を背負い込むことになるのである。物理学と天文学はわれらが地球を宇宙の片隅へと追いやり、生物学は人間のあり様を神の似姿から直立した裸のサルへと変えたのだ。

われわれは一般原理の化身などではない

現生グループ問の遺伝的差異に基づいた人類の系統樹の構築によって強力な裏づけを得ている最近の説である。ホモ・サピエンスは明確な実体であり、アフリカにおいて祖先の系統から分岐した緊密な小集団としで出現しだというのがその説である。

私はこの説を人類進化の〃実体説〃と呼んでいる。この説には注目すべき意味合いがたくさん含まれている。すなわち、アジアのホモ・エレクトゥスは子孫を残すことなく死滅したため、われわれの直接の祖先には入らない(われわれはアフリカの集団から進化したのだから)。また、ネアンデルタール人は、われわれがアフリカで出現したときにはおそらくすでにヨーロッパにすんでいた傍系の親類であり、われわれの直接の遺伝的遺産にはいかなる寄与もしていない。ようするにわれわれは出現しそうになかったもろい実体だった。

アフリカの小集団として心もとないスタートを切った後で幸運にも成功したのであって、世界的な趨勢が予想どおりもたらした最終産物ではない。われわれは一つの事項、歴史の中の単品であり、一般原理の化身などではないのだ。

われわれが失敗していたとしたら

こういう主張も、われわれが何度でも進化する存在だとしたら驚くほどのものではない。つまり、ホモ・サピエンスは失敗し、ほとんどの種と同じように早い段階で絶滅に屈していたとしても、同じような形態をし、高い知能をそなえた別の集団が起源する定めにあるとしたらである。われわれが失敗していたとしたら、ネアンデルタール人が希望の光を拾い上げるか、われわれと同じ知的レベルをもつ一般原理の別の化身がそれほど遅れることなく起源していた、などということがはたしてあっただろうか。私にはそうなる理由がわからない。

われわれのもっとも近い祖先でありいとこたちであるホモ・エレクトゥスやネアンデルタール人その他は、かれらが製作した道具や加工品が示すようこ、高次の知的能力をそなえていた。しかし、人間だけの特性とされている数量的思考や美的思考も含めた抽象的な推理力といえるものをそなえていたという直接証拠が見つかるのはホモ・サピエンスだけである。氷河期に計算行為がなされていたことをうかがわせる証拠――カレンダースティックや計算用ブレード――はすべてホモ・サピニンスのものである。氷河期に製作された美術――洞窟画、ヴィーナス像、馬頭彫刻、トナカイの浅浮彫り――もすべてわれわれが属す種の手になるものである。現時点での証拠によれぱ、ネアンデルタール人は具象的な美術をまったく知らなかったのだ。

生命テープを再度回したところ、ホモ・サピエンスという細枝はアフリカで死滅したとしよう。ホモサピエンス以外のホモ類も、人間になれそうなぎりぎりのところにいたかもしれない。しかし、人間レベルの知能を生み出すシナリオとしてもっともと思えるものは多くない。次の生命テープのリプレイでは、かくして、哺乳類の枝のなかの一本の細枝であり、結局は開花しなかった興味深い資質をそなえた系統は、莫大な数を誇る絶滅種の仲間入りをする。だからといってどうだろう。ほとんどの可能性は実現されないわけであり、そのちがいを誰が知るというのか。

この論法を押し進めていくと、人間の本性、地位、潜在能力に対して生物学が提供しうるもっとも重大な洞察は、偶発性の化身という単純な言葉にこそあると結論するしかない。ホモ・サピエンスは実体であって趨勢ではないのだ。

創造を司るディスクジョッキーの手元には百万通りものシナリオが

われわれがウィワクシア類が君臨する世界にすんでいたり、ペニスワームが層をなす海底にすんでいたり、フォロラコス類がうじゃうじゃいる森にすむことになったっていいじゃないか。そうなっていたとしたらわれわれは、浜でバーベキューをするとぎには貝殻をあけるのではなく骨片抜きをしていたかもしれない。あるいは、ハンティングの戦利品を並ぺた部屋では、勇壮なたてがみをもつライオンの首ではなく、長さを誇るディアトリマのくちぱしがその偉容を競っていたかもしれない。しかし、そうなっていたとしてどこがどう根本的にちがうというのか。

すべてがちがっていたと私は言いたい。創造を司るディスクジョッキーの手元には百万通りものシナリオがあり、いずれをとっても完全に筋が通っている。これといって特別な理由のないまま出発点で起きたちょっとした気まぐれが、終わってから振り返って見れぱ必然だったとしか思えない特別な未来を雪崩現象的に引き起こす。しかし、早い段階でわずかな一押しがあれぱ軌道が変わり、歴史は同じく実現可能な別の流路へと進路を変更し、その後もとの経路からどんどん離れていく。そうやってもたらされる最終結果はひどく異なるものの、最初の撹乱はひどくささいなことにしか見えない。

もしちっぽけなペニスワームが海中を支配していたとしたら、アウストラロピテクスがアフリカのサバンナを二本足でかっ歩していたかどうか、私には確言できない。そこでわれわれ自身についてだが、私の考えでは、「ああ、すぱらしい――決してありえない――新世界だわ、こんなにりっぱな人たちがいるなんて」としか叫びようがないのではないか。

search著者

スティーヴン・ジェイ・グールド(Stephen Jay Gould、1941年9月10日 - 2002年5月20日)はアメリカ合衆国の古生物学者、進化生物学者、科学史家。1973年にハーバード大学の比較動物学教授となり、1982年からハーバード大学アリグザンダー・アガシ記念教授職を務めた。ダーウィン主義をベースにした進化論の論客であり、膨大な読書量からくる博学の科学エッセイストとして活躍していた。今日最も広く読まれ、最も影響力の大きな大衆科学作家の一人。

断続平衡説 wiki

360pxpunctuatedequilibriumsvg_2 断続平衡説(だんぞくへいこうせつ、Punctuated equilibrium)は、生物の種は、急激に変化する期間とほとんど変化しない静止(平衡、停滞)期間を持ち、”徐々に”進化するのでなく、”区切りごとに突発的に”進化していき、小集団が突発して変化することで形態的な大規模な変化が起きるとする進化生物学の理論の一つ。区切り平衡説とも呼ばれる。

(右図: 上は系統漸進説と呼ばれるもの。下が断続平衡説で、進化は短期間に爆発的に起こると主張する。)

1972年に古生物学者ナイルズ・エルドリッジとスティーヴン・ジェイ・グールドはこの考えを発展させる記念碑的な論文を発表した。彼らの論文はエルンスト・マイアの地理的種分化理論、マイケル・ラーナーの発生学と遺伝的ホメオスタシス理論、および彼ら自身の古生物学研究の上に築かれた。エルドリッジとグールドは、チャールズ・ダーウィンが主張した種の漸進的な変化は化石記録には実質的に存在せず、化石記録が示す断続と停滞は、ほとんどの種の実際の歴史を表していると主張した。

断続平衡説は通常、系統漸進説と呼ばれる理論に対比して用いられる。漸進説とはグールドらによれば、大きな集団が全体的に一様に、ゆっくりと、均一の速度で安定した状態を保ちながら進化が起きることと定義されている。この見地からは理想的には化石記録はゆっくりとなめらかに変化するように発見されるはずと予測される。この説の問題点として、変化しつつある中間の段階の化石がほとんど見つかってこなかったことを彼らは挙げた。それに対してダーウィンとその後継の進化生物学者は、地質学的記録では地球の歴史を完全には記録できないという説明を用いてきた。つまり化石記録がまだ見つかっていない(ミッシング・リンク)か、単に化石にならなかったというわけである。エルドリッジらの主張では、化石にならなかったのではなく、”何百万年も変化し続ける”中間種というものがそもそも存在しない。種は種分化の初期の段階で急激に変化していき、ある程度の形が整うと、その後何百万年とほとんど変化しない平衡状態になるというのである。

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コメント

不思議だね、圧倒的な時間の長さに気が遠くなるよ!
人間になったのは、偶然なのだろうか!?happy01

投稿: ののわん | 2011年9月 7日 (水) 06時07分

そうだよね~、どうなんだろうね。。。
生命「進化」について考えちゃうよ。

地球外知的生命体との遭遇なんて偶然にでもあり得ない!
、かもしれないと思った。coldsweats01

投稿: さくらスイッチ | 2011年9月 7日 (水) 07時14分

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