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2010年12月16日 (木)

253 『インド ミニアチュール幻想』 山田和 初版1996年

芸術の変遷は精神の変化によって起こり
精神の変化は日々の営みの変化によって起こる

古典美術と一緒に失われていくものとは・・・

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art概要

数百年にわたり、てのひら大の小さな空間の中に発展してきたインド細密画(ミニアチュール)。代々の細密画一族、世界的コレクター。その神秘的な「美」に憑かれた人々を現地に追った、異色のノンフィクション。文庫版(初版2009年)によせて新章「二十一世紀の細密画」を書き下ろす。第19回講談社ノン フィクション賞受賞作品。

art読むきっかけ&目的&感想

少し前に読んだ『喪失の国、日本 ― インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」』で、その訳者として山田和を知った。アマゾンで調べてみるとインド関連の本を何冊か書いていて、その中でも特に面白そうだった本書を読んでみる気になった。インドの古典美術という題材に惹かれた。

さくら好み ★★★★☆

インド紀行文であり、インド古典美術の話であり、文化&芸術論でもあった。面白かった。

art備忘録

◆基本的に同一のテーマと同一の構図とをもつ絵画作品を前に

絵画をふくむ一切の芸術は、ヘーゲル流に言うなら精神の産物にほかならず、オリジナルは必ずどこかに、発止としたなまの精神を秘めているものなのだ。精神というと言葉にやや観念的な響きがあるなら、チュルリョーニスや有元利夫やボードレール風に、美の世界からやってくる音楽、とそれを言いかえてもいい。

われわれは絵画を眺めつつ、じつはその奥にある作り手のなまの精神と、作り手を生んだなまの時代精神とその文化とを見ている。と同時に、時空を超えてそこに在る時空そのものの量感をも感じている。

インド細密画の、とりわけラージプート絵画の場合、その多くはクリシュナ神などの神々が登場する宗教的な物語をもとにしている。これらの細密画の大半は、数百年間にわたってはほぼ同じ構図で描かれてきた。基本的に同一のテーマと同一の構図とをもつ無数の絵画作品を前に、真作と贋作、すなわちオリジナルとコピーをどこで分けるのか。古い作品はすべてオリジナルであり、新しい作品はすべてコピーであるのか。

そうではなく古い作品にもコピーがあり新しい作品にもオリジナルがある、と言いたいところだが、残念ながら古い作品にコピーはなく新しい作品にオリジナルはない。まぜなら「美の世界からやってくる音楽」もしくは「なまの精神」は、作り手自身のものであると同時に「作り手を生んだ時代」のものでもあるからだ。

ここでいう古い作品とは、古くなった作品という意味ではなく「古い時代が生んだ作品」という意味である。作り手の精神と時代の精神とが作品を生んでいるかぎり、巧拙の差こそあれ、それらはすべてオリジナルだと言いたいのだ。それらがたとえ、他のどのような作品の模倣の上に立っていたにしてもである。

この言い方は的確ではないかもしれない。というのは、じっさいすべての芸術は、それ以前の作品に何らかの形で「倣って」いるはずだからである。「倣う」と言うかわりに、刺激を受ける。あるいは影響を受けると言ったほうが、言葉の中身がよりはっきりするだろう。他の作品に倣うこと、模倣は、あくまでも時代が予感するつぎのステップを踏む行為である。一方コピーは、まったく違う次元に立っている。刺激を受けることなく同一のものを作るというのがコピーの所作なのだから。

まったく同じものを何枚も描くということは画家にとって

「まったく同じものを何枚も描くということは、画家にとって、いったいどういう意味があるんです」、僕は訊ねた。レーヴァにかぎらずそれは昔からなされてきたことであり、パウンチングはまさにそのための道具ではあるのだが。「簡単なことだよ。画家というものはそういうものなのだ」、レーヴァはそう答えて続けた。「精進していれば画家は一生に一度か二度、新しい構図を工夫することができる。しかしそれ以上はできない。人間は尽きせぬ泉とはちがうのだよ」。

彼はチャイを一気に飲み干すと、ふたたび口を開いた。「たとえばここに、先達の描いた傑作がある。コピーを作ってみればその過程で感じられることだが、きわめて完璧だ。多くの場合、基本の構図は彼一人でなく、何世代にもわたって吟味され修正されてきている。一枚の優れた絵は、背景に何十枚もの絵を持っていると言ってもいい。先達に学ぶところは多い。何度もコピーしていると、いろいろなことがわかってくる。描き写すことによって、読み手としても描き手としても熟達していくのだ。もっとも、長い間伝えられてきたものは、どんなものでも陳腐に見えがちだがね。だから若い連中はそれを軽蔑し、自分のものを作りたがる。細密画が滅びる理由の一つはそれだよ。だが、自分とは何だね。彼らの言う自分とはじつは貧相なものではないのかね。独善的な若者は、この世界が永遠の脈絡の中で進歩し、いまにいたったことを知りたがらないで、すぐにでも新しいものを生めそうなことを言う。むろん、若さというものは往々にしてそういうものだ。だが、先人の知恵を学ばないではこの石の家だって建てられはしない。だから先祖の知恵を学びとることは大切なのだ。それを糧とし、ほんの少し、つぎに駒を進める。それがなかなか苦労なのだ」

◆インドの細密画にサインというものは施されなかった

レーヴァは、近代主義とはまったく異なった地平に立っているのだった。近代芸術は、人間の個性と独創をもって「芸術」と見なしている。芸術の規範となるのは文化としてのアイデンティティではなく、ユニヴァーサルな芸術家自身の独創と個性なのだ。だからこそ、すべての有象無象の作品にもその証としての「サイン」が施される。なぜなら個性こそが芸術であり、この論理に従えば、サインをしないことは芸術としての自覚を自ら放棄することになるのだ。こういう規範の内では、個性と独創が不足していても「サインをすれば作品になる」という甚だしい錯覚が起こるのもやむを得ない。

個性こそ、芸術の真骨頂である! この近代的マニフェストのために、作り手は誰からも影響されていないことを標榜する必要が出てくる。個性と独創のイメージは、模倣の対極にあると見なされているからだ。それが個性に対する近代の解釈であり、模倣は卑屈かつ無能な行為になっただけでなく、作り手にはもはや犯罪なのである。

しかし、どのような座標にも立脚しない個性というものは、それ自体矛盾した概念ではないだろうか。ユングの概念を借りるまでもなく、個別的なイメージはつねに社会的全体性としての「集合無意識」と深く関わっている。文化と切り離されたはずの独創は、実は文化的集合無意識の輪に身を委ねており、別の言い方をすれば、それは彼自身でなく時代の個性であり独創であって、それもまた過去の脈絡の中から生まれているのだ。

多少の例外を別にすれば、数百年にわたって、インドの細密画にサインというものは施されなかった。

◆消えゆく先人たちの営みを支えた精神

先祖の記憶を化石のようにとどめた保守的な暮しというものがあるとすれば、その一つはまちがいなくヒンドゥーの細密画家のものだろう。

夜明けとともに起き、身を清め、灯明と線香を神に捧げ、バラやジャスミンの花びらを散華して祈りをすませたあと、食事もせず仕事場に入る。日のあるあいだは、しゃがみこんだ独特の姿勢のままで細密画を描き続ける。家族を近づけず、昼食やチャイにもわずかな時間しか割かない。描くテーマは三百年間変わらない。描かれる聖像も濃密な男女の愛の場面も、決して一代や二代の創作ではなく、数十世代にわたって久しく伝えられてきたものばかりだ。

この古典的な営みはしかし、電気や水道やガスや電話が生活の中に入り、生活のすべてが激しく変化してしまった今日においては、つぎの世代に託すことが難しくなった。なぜなら、生活はいつの時代においても精神と密着し、精神は生活に支配されるものだからだ。

スイッチ一つでテレビはパリのポンピドゥー・センターを映し出し、ニューヨークのマンハッタン街を闊歩するビジネスマンたちの姿を、あるいはガラパゴス島の砂上を擦り歩くゾウガメ、スマトラの熱帯雨林に咲く巨大なラフレシアの花を、南極大陸のアデリー・ペンギンの抱卵を、マグダレーナ海峡を南下するコククジラの姿を、ケネディ宇宙センターのスペースシャトル発射台を瞬時に映し出す。

その結果、人間の精神の成長にとって欠くべからざる滋養である「なまの体験」の多くは、先行するブラウン管の映像によって抹殺されてしまった。人間の手によって脚色され再編成された「つくられた現実」が、絶えず本物の現実をリードする。われわれは「テレビで体験し、現実の世界でそれを追認する」という哀れな存在に成り下がった。たったこれだけのことを思いやるだけでも、われわれ人間の生活が、この数十年でどれほどまでに変わってしまったかは明白だろう。

古い生活を律してきたすべてが、もはや抜本的なところから失われようという今日、先人たちの営みを支えた精神を読み解く手立ては、はたして残されているのだろうか。

ガンシャム・シャルマの家でも、すでに電気やガスや電話が入っている。にもかかわらず彼が保守的でいられるのは、幼いときの記憶に負うところが大きいのだ。

◆細密画が描かれた年代を

「ところでジャーマーは十六、七世紀には膝のあたりまでしかない短いものだったのです。後の二百年で徐々に短くなり、ついには足元にとどくものになった。この裾の長さから察すると、王の着ているジャーマーは十八世紀のものということになりますな。さて、それからそのジャーマーを飾る文様だが、これが重要です。この文様は生命樹がモチーフになっている。この文様の起源は古く、世界中に存在するのです。初出はメソポタミアで五千年前、わが国で初期の仏教美術から見られる文様です。この文様も時代とともに各地で変化していった。いまやわが国を代表するペイズリー文様と同じようにですな」

「ペイズリー文様なら知っています」、男は言った。

「ペイズリーはいまでこそ雨だれ形の文様だが、もともとは花株だったのですな。文様の生まれ故郷であるペルシャのサファヴィ朝では、それはボテと呼ばれていた。それがわが国でブータと呼ばれて愛され、変化していったのです。花の穂が曲がり、抽象化してやがて雨垂れ形になる。ほぼ現在の形になったのは十八世紀後半で、それまでに、そしてそれ以降もだが、じつに無限の発展段階が見られるのです。生命樹の文様も同様、わが国では初期仏教の美術の時代から、マハーラージャたちの狩猟趣味を反映して樹間に動物が配されたシカルガー文様に発展する十八世紀末までに、さまざまな段階があります。そしてそのことによって、細密画が描かれた年代も特定できるのです」

◆インド古典音楽には絶対音が存在しない

「これが音楽だよ、宇宙からやってくる」、ザヒルディンは繰り返した。そしてパートナーであるもう一人の歌い手、若いワズィフディン・ダーガルと、太鼓のパッカーワジー奏者とを部屋に呼び入れた。

ザヒルディンは、タンブラーの一つを取ると、時間をかけて調弦した。その楽器は、弦を指でおさえて音程を変えたりせず、開放弦を曲のあいだ間断なく爪弾くためのものだ。全曲をとおして、背後に流れる宇宙の基音を奏するのである。楽器の棹には四本の弦が張られ、下部は半球形に膨らんでいた。ザヒルディンは、まず真ん中の二本の弦を合わせた。

何に。西洋音楽の絶対音「ド(ツェー)」にではなく、時と共に変化する宇宙音「サ」に合わせたのである。といっても、音叉や調子笛があるわけではない。ただその時刻の気配に音を合わせるのだ。そのあと、彼は外側の二本の弦の音を別の高さにとった。

インド古典音楽では、西洋音楽のような物理的数値で表すことのできる絶対音は存在しない。現代音楽で絶対音階のもとになっている「ラ(アー)」は、440ヘルツという物理的数値をあたえられている。「サ」「リ」「ガ」「マ」「パ」「ダ」「ニ」「サ」というこの国の音階は、西洋音楽のドレミ・・・に対応しているが、それを決定づける基音「サ」は、季節や時刻、あるは演奏者の情緒や声域によって変化し続ける。なぜなら、音楽は神に捧げられるものであり、つねに宇宙と一体であらねばならないからだ。

◆わが国でも調弦はかつて季節や時刻に合わせるものだった

しかしこのことは、なにもインドばかりではない。東洋の音楽は、もともとそのようなものであった。わが国でも、調弦はかつて律管(調子笛)で取るものではなく、季節や時刻に合わせるものだった。

『蜻蛉日記』には若い女たちが琴や琵琶の調子を「春の季節」に合わせて弾く話が、『宇津保日記』には琴を「暁の時刻」に合わせるべく、「今少し樂の聲高く仕ウまつれ」と弾き手に命ずる場面が出てくる。古来から音楽のことを「調べ」といったのは、弦の張りをその季節や時刻の「気」に調べ合わせる営みをふくんでいたからである。それが音楽の基本であり、「調律」とはその字面がしめしているように、弦を調節してその時の「律を調べる」こと、すなわち、六律六呂という十二ヶ月に分類された各月の気に合わせることを意味していた。

音に対するこのような文化は、わが国では平安初期の藤原期にすでに確立していたようである。公達は恋人と夜を過ごしつつ、時刻を知りたいとき琴や琵琶を取り出し、辺りに漂う夜の気配に弦の張りを合わせることで、その音色から夜の深さを推し測ったのであった。

◆芸術は潜在記憶に触れる営みである

神々を称え、自らの裡に神を呼びこもうとする試みは、この国では数千年も前から行われていた。それは、自我を越えた自らの内奥に光を当てようという努力にほかならない。というのは、神、つまりすべての普遍的真実、あるいは真理は、われわれ自身の内側にしか存在しないからだ。

真理は自らの裡にある。私は私でありながら「生命史の一切の記憶」を私の深層に秘めている。われわれは微分的な存在であると同時に積分的な存在であり、私とは、遥か彼方から連綿と伸びてきた一条の糸の一方の端であって、糸の他の部分もまた、本質的に私と異なるものではない。私が同時に他のすべてである根拠はそこにある。

ラーガの基礎をなす「ラサ」と呼ばれる感情理論では、それをヴァーサナー、すなわち潜在記憶あるいは潜在印象と呼ぶのだが、kの概念はユング心理学の集合無意識と同じ地平に立っている。自我を越えた潜在的な「われわれ」が、私とあなたをつないでいる。あなただけではない。地上の一切の生をだ。それも時空を越えて、あまねく。

芸術はこの潜在記憶に触れる営みであると、ラーガの美学は確信しているようだ。それはつまり、死を忌避することができないことを知悉している生命が求める「生命の連続性」への共振であり、「生命の無限の過去」にたいする絶対的肯定なのだ。久遠の彼方から伸びた一条の糸の一端に位置するわれわれは、来し方を振り返るように、生命の波形を確かめるべく己を振動させ、その遥かな糸の全体を見定めようとする。

◆「普遍的感情」、それがラーガ理論の基本

言葉にならぬ本質、「気」とも相通じる「普遍的感情」、それがラーガ理論の基本にある。音楽だけでなく、演劇にも文学にもラーガが求められたのは、このような根拠からなのだ。中国ではかつて夢を六つに分け、その夢が支配する感情を「安らぎ」「驚き」「想い」「嫌悪」「喜び」「恐れ」の「六夢(りくむ)」と定めたが、ラーガはこれに「官能」と「憤怒」と「崇高」の三つをくわえ、九つの感情を定義している。

ところで、音楽におけるラーガは決して「旋律」なのではない。ラーガはそれぞれに個性的な旋律をふくんでいるが、それはあくまでも表象でしかない。音楽家が旋律の中にラーガを見出そうとするなら、そこには求めるものが何もないだけでなく、自らを失うことになるだろう。旋律が生み出す「感情」への働きかけという能動的なベクトルこそ、ラーガの本質だからである。B・C・デーヴァは『インド音楽序説』の中で、「インド思想は、精神と物質とが同じ異なった相(すがた)であり、存在の力の別の在り方であることを深く確信していた。美は芸術作品の主題から生まれるのでなく、主題の表現をつうじて、そこから必然的に感じられてくるものによって生まれる」と述べている。

彼は雨季に演奏される曲『ラーガ・メーグ・マルハール(雨雲のうた)』を例にあげ、この曲が表現するものは屋根を打つ雨音ではなく、残暑のあとにやって来る長雨の物憂げな感情なのだとも述べている。この国では芸術はそのように定義され、音楽家は数百年間にわたって連綿と、自己と宇宙との一体化を目指してきたのだ。

◆人間の作った楽音が、自然界の無私な音楽と同じ次元に

和声もなく、対位法もなく、転調もせず、定められた音階をただひたすら一つのメロディが上下するという音楽の成功の秘訣は、厳格な律法にも似た理論の中に、かぎりなく解き放たれた意識の飛翔による表現という自由、すなわち完璧なアドリビタム(アドリブ=任意性)を、演奏家にあたえたことにある。

演奏するラーガを、ラーギニーを、ラーガ・プトラを、あるいはラーガ・バハリヤを、つまりそれぞれの曲がもつ感情の発現であるムードと宇宙の律動とが違わぬように、彼らは演奏する季節と時刻に従って音楽と音列とを厳格に選び、あとはまったく自由になることで、その中に普遍的な自己を投入させた。

これによって音楽は、いつまでも瞑想の状態に保たれ、自然と同化し、しだいに昂揚していくことができた。その結果、音は音でありながら音をこえ、生命が宇宙と分化する以前の遠い記憶を呼び醒ますことになった。人間の作った楽音が、自然界の無私な音楽、すなわち風のそよぎ、潮騒の音、天体の巡る律動と同じ次元にいたったのである。

「感情」という絶対的主題と、それを引き出すための学理的な音楽と音列、それに演奏の自由とを合わせ持つこの不思議な音楽には、楽譜というものが存在しなかった。採譜が不可能だからという意味ではない。それ以前に、それは無意味であるだけでなく、本質に背反する行為だからである。まったく同じ曲は二つとして存在することができない。だが、同じ「感情」は同じラーガであるかぎり無数に存在することができる。そういう音楽だからだ。ラーガが旋律ではないという意味もそこにある。

art著者

山田和

1946年(昭和21年)、富山県礪波市生まれ。出版社勤務ののち、作家に。『インドミニアチュール幻想』(平凡社、1996年)で第19回講談社ノン フィクション賞を受賞。2007年の『知られざる魯山人』(文藝春秋)では第39回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)    

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