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2010年11月13日 (土)

246 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 1997-2009』 初版2010年

共感ではなく 体感を呼び覚ます村上春樹の描く物語

その力の源を垣間見た気がした

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karaoke概要

本書に収められたインタビューは、副題にもあるように、1997年から2009年にかけて行われたものである。作品でいえば、『アンダーグラウンド』直後から、『1Q84』のBOOK1、2を書き終えた(しかしまだ刊行されていない)時期にあたっている。

<目次>

  1. アウトサイダー (1997年/アメリカ)
  2. 現実の力・現実を越える力 (1998年/台湾)
  3. 『スプートニクの恋人』を中心に (1999年/日本)
  4. 心を飾らない人 (2003年/中国)
  5. 『海辺のカフカ』を中心に (2003年/日本)
  6. 「書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの」 (2003年/フランス)
  7. お金で買うことができるもっとも素晴らしいもの (2003年/ロシア)
  8. 世界でいちばん気に入った三つの都市 (2004年/日本)
  9. 「何かを人に飲み込ませようとするとき、あなたはとびっきり親切にならなくてはならない」 (2004年/アメリカ)
  10. 「せっかくこうして作家になれたんだもの」レイモンド・カーヴァーについて語る (2004年/日本)
  11. 「恐怖をくぐり抜けなければ本当の成長はありません」『アフターダーク』をめぐって (2005年/日本)
  12. 夢の中から責任は始まる (2005年/アメリカ)
  13. 「小説家にとって必要なものは個別の意見ではなく、その意見がしっかり拠って立つことのできる、個人的作話システムなのです」 (2005年/アメリカ)
  14. サリンジャー、『グレート・ギャツビー』、なぜアメリカの読者は時としてポイントを見逃すか (2006年/アメリカ)
  15. 短編小説はどんなふうに書けばいいのか (2007年/日本)
  16. 「走っているときに僕のいる場所は、穏やかな場所です」 (2008年/ドイツ)
  17. ハルキ・ムラカミ あるいは、どうやって不可思議な井戸から抜け出すか (2008年/スペイン)
  18. るつぼのような小説を書きたい(『1Q84』前夜) (2009年/日本)
  19. あとがき

karaoke読むきっかけ&目的&感想

『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んで、村上春樹が自身について語るその語り口が面白かったので、インタビュー集である本書にも興味を持った。

さくら好み ★★★★☆

にわかファンである私は、村上春樹の本は『1Q84 BOOK1~3』、『アンダーグラウンド』、『約束された場所』、『走ることについて語るときに僕の語ること』、『ねじまき鳥クロニクル』、他数編しか読んでいない。それでも、十分に面白いインタビュー集だった。極論すれば、一冊も著作を読んでいなくても楽しめるのではないかとさえ思った。

村上春樹がなぜ世界各国で人気があるか、というのは私の周りでも話題になることがあったけど、本書を読んでちょっと納得した。登場人物は日本人でその住環境も日本だけど、異国情緒を感じさせないからというのがあるんだな、と。

村上春樹が考える「物語の力」や「小説家の役割」といものも興味深かった。すごく昔ながらの考え方なのに、とても現代的な言葉で語られるためスッと腑に落ちてくる。

今現在を見る目も面白かった。それはつまり、僕は今どこにいるのか、我々は今どこにいるのか、という事だ。どこにいるかというのは、周囲をどう把握しているかという事につながっている。そこから見えて来る社会がある。

やっぱり村上春樹は時代のアイコンなのだと感じた。

あと、私にとって村上春樹の物語は、共感ではなくて体感を呼び覚ます理由も、なんとなく分かった気がした。なんとなく、だけどね。でも、その収穫が一番大きかった。

karaoke備忘録

◆「善き物語」が与える「査定基準」

若い人々には多くの場合、「チェッキング・システム」のようなものがまだ具わっていません。ある見解や行動が、客観的に見て正しいか正しくないかを査定するシステムが、彼らの中で定まっていないのです。

そういう「査定基準」みたいなものを彼らに与えるのは、我々小説家のひとつの役目ではないかと僕は考えています。もしその物語が正しいものであれば、それは読者にものごとを判断するためのひとつのシステムを与えることができると僕は考えます。何が間違っていて、何が間違っていないかを認識するシステム。

◆不安の時代、力強いロジックには警戒を

アジアでは、韓国でも台湾でもかつて「家」は重要な存在でした。そして「家」が徐々に解体していったのち、個人が何に頼り、何を信じて生きていくべきか、いまだはっきりしていません。若い人たちが家や制度から離れることは、イコール自由な生活をすることなのですが、ひとたび自由を得たあと、多くの人は人生のよりどころを失い、不安を感じることになります。不安の時代にカルト宗教が介入することは、往々にして危険を伴います。なぜなら彼らは人々の不安をあおり、不安につけいることで勢力を伸ばそうとするからです。何によらずわかりやすく力強いロジックには警戒をしなくてはなりません。

◆自己表現が不可欠だという呪い、物語という文脈を取れば自己表現なんてしなくていい

今、世界の人がどうしてこんなに苦しむかというと、自己表現をしなくてはいけないという強迫観念があるからですよ。だからみんな苦しむんです。僕はこういうふうに文章で表現して生きている人間だけど、自己表現なんて簡単にできやしないですよ。それは砂漠で塩水を飲むようなものなんです。飲めば飲むほど喉が渇きます。

にもかかわらず、日本というか、世界の近代文明というのは自己表現が人間存在にとって不可欠であるということを押しつけているわけです。教育だって、そういうものを前提条件として成り立っていますよね。まず自らを知りなさい。自分のアイデンティティーを確立しなさい。他者との差違を認識しなさい。そして自分の考えていることを、少しでも正確に、体系的に、客観的に表現しなさいと。これは本当に呪いだと思う。

だって自分がここにいる存在意味なんて、ほとんどどこにもないわけだから。タマネギの皮むきと同じことです。一貫した自己なんて、ほとんどどこにもないわけだから。でも、物語という文脈を取れば、自己表現なんてしなくていいんですよ。物語がかわって表現するから。

◆オープンシステム、 深みのある物語というのはそこから生まれてくる

冷戦時代には東西という二つのシステムの戦いでしたよね。それが、今では異種のシステムとシステムとの戦いみたいになっているという気がするんです。それは何かというと、オープン(開放)システムとクローズド(閉鎖)システムの戦いです。

オウム真理教というのは完全にクローズドシステムで、外なる社会というのはオープンシステムですね。それはひとつの社会体制と別の社会体制の対立というのではなく、同じ社会体制の中にも閉鎖体系があり、開放系がある。そういう点では物事は以前よりずっと内向化しているし、複雑化しているし、見えにくくなっているところがある。で、どっちが優れたシステムで、どっちが善でどっちが悪かというのは、これはものすごくわかりにくい話で、ある場合にはクローズドシステムの方が非常にうまく機能している部分もあるわけです。

ただ僕は、やはり、オープンシステムというものを信じているんです。そこにどれだけ矛盾が含まれていようと、機能不全的なものが見られようと、人が自由に入って自由に出て行けるシステムというものを信頼しているし、深みのある物語というのはそこから生まれてくるものだという風に僕は感じているんです。

ロシアで人気がある理由

ただ、僕は想像するのだけれど、ロシアは社会的に見ても、文化的に見ても、現在大きな移行期にあるようだし、そういうダイナミックな価値変換の中で、僕の書いたものが、多くの読者の心に、たまたまヒットしたのかもしれません。僕が、僕の小説の中で描きたかったことのひとつは、「深い混沌の中で生きていく、個人としての人間の姿勢」のようなものだったから。

◆僕にとってとても大事な問題だし、僕の書くもののひとつのテーマになっている

精密かどうか、それはよくわかりませんが、人々がいかに行動するか、人々がいかに語るか、人々がいかに考えるか、そのような点については、僕の書くものは多分に「日本的」であると自分では考えています。僕の中には、日本人というものについて物語を書きたいという強い思いがあります。我々は今どこにいて、どこに向かおうとしているのか? それは僕にとってとても大事な問題だし、僕の書くもののひとつのテーマになっていると思います。

◆「ムラカミ産業」

僕が読者に望むのは、まず物語の流れのままに作品を読んでもらいたいということです。でもそれでは落ち着かないという人たちが、そのような「解説書」を買って読むのかもしれません。

◆物語というのはパワフルな乗り物

小説家の役割はひとつひとつの意見を表明することよりはむしろ、それらの意見を生み出す個人的な基盤や環境のあり方を、少しでも正確に描写することではないか、というのが僕の考え方です。極端な言い方をするなら、小説家にとって必要なものは個別の意見ではなく、その意見がしっかり拠って立つことのできる、個人的作話システムなのです。

そういう意味合いにおいては、綿谷ノボル(『ねじまき鳥クロニクル』)のあり方は、あなたが言うように浅く、表層的です。しかし彼の意見は浅く表層的なるが故に、その伝達スピードは速く、その影響はきわめてプラクティカルです。僕が彼を描写することで読者に伝えたかったのは、そのようなレトリックを武器にした現代のメディア剣闘士たちが我々の社会に対して、あるいは我々の精神に対して及ぼす危険性であり、水面下で行使する非人間的な酷薄さです。

我々は日々の生活において、まわりをそのような人々にぐるりと取り囲まれて生きているといってもいいくらいです。我々が我々自身の意見だと見なしているものの多くは、よく考えてみれば、彼らの意見のただの受け売りに過ぎないということが、往々にしてあります。心寒くなる話ですが、我々は多くの場合、メディアを通して世界を眺め、メディアの言葉を使って語っているのです。

そのような出口のない迷宮に入り込むことを回避するためには、主人公のオカダ・トオルが行ったように、ときとして我々はたった一人で深い井戸の底に降りていくしかありません。そこで自分自身の視点と、自分自身の言葉を回復するしかないのです。もちろんそれは簡単にできることではありません。そしてまた、ときとして危険を伴う行為でもあります。

我々小説化がやるべきことはおそらく、そういった「危険な旅」の熟練したガイドになることです。そしてまたある場合には読者に、そのような自己探索作業を、物語の中で疑似体験させることです。僕にとっては物語というのは、さまざまな特別な機能を持ったパワフルな乗り物なのです。

◆なしうるベストのことは、ただ語ってみせること

今日、多くの場所で、閉じた世界がだんだん強くなってきています。原理主義、カルト、軍国主義。でも閉じた世界は武力では壊せません。壊してもシステム自体は残ります。たとえば、アルカイダの兵士を全員殺すことはできても、閉じたシステム自体は、理念は、残ります。どこかよそへ場所を移すだけの話です。

なしうるベストのことは、ただ語ってみせることです。開かれた世界のよい面を見せること。時間はかかりますが、長い目で見れば、開かれた世界のそういう開かれた回路は、閉じた世界がなくなっても残ると思う。

◆歩ける限りは、ずっと走るつもりです

――今五十九歳ですが、マラソンにはあとどれくらい参加しようと考えていらっしゃいますか。

村上: 歩ける限りは、ずっと走るつもりです。僕が墓碑銘に刻んでもらいたいと思っている文句をご存じでしょうか。

――教えてください。

村上: 「少なくとも最後まで歩かなかった」、墓石にそう刻んでもらいたい。

◆1997年 - 2009年

本書に収められたインタビューは、副題にもあるように、1997年から2009年にかけて行われたものである。作品でいえば、『アンダーグラウンド』直後から、『1Q84』のBOOK1、2を書き終えた(しかしまだ刊行されていない)時期にあたっている。そのあいだに刊行された主な僕の本は

1) 若い読者のための短編小説案内(評論)1997/10
2) 約束された場所で(ノンフィクション)1998/11
3) スプートニクの恋人(中編小説)1999/4
4) 神の子どもたちはみな踊る(短編連作)2000/2
5) シドニー!(旅行記)2001/1
6) 海辺のカフカ(長編小説)2002/9
7) アフターダーク(中編小説)2004/9
8) 東京奇譚集(短編連作)2005/9
9) 走ることについて語るときに僕の語ること(メモワール)2007/10

ということになる。そのあいだに翻訳書も十冊以上を出しているが、リストが長くなるので省く。

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