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2010年3月30日 (火)

170『この世でいちばん大事な「カネ」の話』 西原理恵子 初版2008年

どん底で息をし、どん底で眠っていた。
   「カネ」がないって、つまりはそういうことだった。

自分で「カネ」を稼ぐということは、
   自由を手に入れるということだった。

ギャンブル、為替、そして借金。
   「カネ」を失うことで見えてくるもの。

自分探しの迷路は、
   「カネ」という視点を持てば、ぶっちぎれる。

外に出て行くこと。
   「カネ」の向こう側へ行こうとすること。

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dollar概要

西原理恵子が「カネ」を通して自らの生き様と理念を語る、初の自伝的エッセイ登場! 故郷での貧しさゆえの八方ふさがりの生活。東京に出てきて学校に通いながら、自分の絵を出版社に持ち込み次第に認められて行く。そしてギャンブル、アジアへの旅で出会った貧しい子ども達、大切な家族の事。「お 金」について考える事は、人間関係・仕事関係、つまり自分と世界との関わりにつながっていく。漫画で描かれた西原ワールドがより深く、よりリ アルに迫って来る1冊。

dollar読むきっかけ&目的&感想

以前『ぼくんち』を読んだ時に、コメントで教えてもらった本。括弧で区切られたカタカナ表記の「カネ」、それだけでもちょっと興味を引く。西原さんがお金をどう捉えているかに興味を持ったので読んでみた。

さくら好み ★★★★☆

本書も図書館で借りた。所蔵数が23冊あるにもかかわらず、人気があるため予約してから二ヵ月半も待って借りた。

図書館で予約をした時にちょっと意外に思ったのが、「じどう書」に分類されていたことだ。で、本書を出版している理論社の“よりみちパン!セ”が、どういったコンセプトなのかを検索してみたら、

2004年10月創刊
中学生以上すべての人の
よりみちパン!セ

アップ・トゥー・デイトであり、かつ普遍的なテーマを、刺激的な書き手がコンパクトに書き下ろします。

手になじみ、伸びやかで余裕の判型。本文全2色、イラスト多数収録。親しみやすく読みやすい、そばに置いてうれしい造本。

学校でも家庭でも学べない、キミが知りたいこと、知らなかった世界のことを、魅力的なおとなたちが心をこめて、書き下ろします。

本当はみんな知っている。寄り道こそ、人生の本道だ!

生きていくためのリアルなテーマが満載です!

……でも、肩の力を抜いて、楽しく寄り道してくださいね! キミが知りたいこと、ほんとうは身近なのに、知らなかった世界のこと。――たのもしくて魅力的なオトナたちが、心を込めて語ります。

と書いてあった。なるほど。だから、「じどう書」に分類されいるんだね。だから、本書にある漢字すべてに平仮名がふってあるんだね。

dollar覚書

◆わかっているつもりで、本当は何ひとつ、わかっちゃいなかった。

お父さんが首を吊って、死んだ。その日は、わたしが東京の美大を受験するはずの日だった。受験なんてできるはずがない。

最後の最後まで羽振りのいいフリをして、見栄をはっていたお父さんの残していったなけなしのものが、身ぐるみはがれるように持っていかれようとしている。お母さんは、そんなお父さんに殴られて腫れ上がったままの顔で、そういう人たちに「すみません、すみません」って頭を下げている。そのときになって、わたしは、初めて本当に知った。うちには、本当は「カネ」がなかったんだって。

知らなかった。知ろうともしなかったことが、本当に、恥ずかしかった。

◆「差別を描いてみたい」

「差別を描いてみたい」

『ぼくんち』を描くにあたって、わたしは自分が編集者にこう言ったのを覚えている。豊かな人は貧しい人の気持ちがよくわからないし、貧しさの中で、人は自分よりもっと貧しい人をバカにするようになる。わたしは、育った町でそういう現実をいっぱい見てきたからね。

ただ、わたしは漫画家だからね。そんな現実をそのまんま描いたって、お客さんは喜んではくれないだろう。だから貧しい境遇の中でも、へこたれないで生きていく子どもの姿を描いた。子どものころ、貧しさの中でつらい思いをする友だちの姿をいっぱい見てきたわたしが「ほんとうはこうあってほしかった」と思う願い事として。

◆通貨の単位は「のり弁」

わたしが決めたのが、「一食二百八十円以上のものは食べない」っていうこと。なぜ上限が二百八十円なのかっていうと、のり弁当一個の値段が二百八十円だったから。毎日のり弁さえ食べられれば、最低限、なんとか食いつないでいけるんじゃないかって考えたわけ。

「ねえ、お茶しない?」って誘われても、コーヒー1杯で二百五十円したからね。コーヒーなんかで腹がふくれるかあっ! 冗談じゃない、っていうの。

そうなると食べものに限らず、全部が「のり弁換算」になってくる。何かするのに、お金がいると「これって、のり弁に換算すると何個分だろう?」って考えちゃう。

◆「情報」では得られない「経験」

世の中には学校に行っているだけ、机に向かっているだけじゃわからないことが、それこそ山のようにある。それなのに「自分にはわからないこと、知らないことが山のようにある」ってことさえ、子どもにとっては、なかなか気づけないような時代になっているんじゃないか。だって今の時代って、ネットでもあふれんばかりに「情報」があるしね。ひとつところでじっとしているだけで、いっぱしに何かを知って、何かを経験したような気にだって、簡単になれてしまう。

でも実際に自分の手と足を動かしてごらんよ。頭の中で考えていたのとは、きっと、ぜんぜんちがうはずだから。

うちの息子には、まだ小学生だけど「アルバイトと世界放浪は、男の子の必修科目だからね!」って、今のうちから言ってあるんだよ。

◆人を「貧しさ」から救う「グラミン銀行」

アジアやアフリカの貧困の話をすると「食べるのに困っているんだったら、難民食を配ってあげればいいよね」って言う人がいる。でも、貧しい国の子どもたちが難民食を配ってもらわないと生きていけないとしたら、せっかくの「配る」という行為も、人を家畜にしてしまうんじゃないのか、ってわたしは思う。「エサをもらって生きる」だけじゃ牛や馬と同じになってしまう。人でなくなってしまう。

そうじゃなくって、やっぱり「働くことができる」「働ける場所がある」ってことが、本当の意味で、人を「貧しさ」から救うんだと思う。

だから、ただ「配る」「あげる」だけじゃない方法を考えようとした人がいる。人が人でありつづけられるように、「働くこと」を大切なこととしていちばん真ん中にすえた取り組みが、貧困に苦しむバングラデシュから生まれた。

グラミン銀行

バングラデシュの貧しい農村部にあっても、とりわけ貧しい貧困層の女性たちにお金を貸そうなんていう銀行は、それ以前にはどこにもなかった。

グラミン銀行の生みの親であるムハマド・ユヌス氏は、アメリカに留学した経験もあるエリート経済学者だった。でも帰国してから、バングラデシュの大飢饉に直面する。「自分が勉強してきた経済学が、食費さえ稼げずにやせ細っていく人たちを救えないのだとしたら、いったい、何の意味があるだろう」。やむにやまれぬ気持ちにかられたユヌス氏は、貧しい村を歩くうち、竹細工で生計を立てていた女の人たちに、自分のお金から材料費二十七ドル、日本円にして三千円くらいを無担保・無利子で貸してあげた。

これが、「グラミン銀行」のはじまり。

グラミン銀行の「グラミン」はベンガル語で「農村」って意味なんだよ。これまで、農村部の貧しい人たちには担保にするものがないから、銀行から融資を受けることもできなくて、永遠に貧しいままだった。「そんなのは絶対におかしい」って考えたユヌス氏は、「弱者のための銀行」をつくる決意をした。

グラミン銀行は融資対象を女性に限定している。バングラデシュは女性どうしのつながりが濃い土地柄だったので、グループごとに返済計画をきちんと立てさせるようにしたからだ。わたしが思うに、まあ、男の人にお金を貸しても、お酒とかバクチとかで、使っちゃったりしそうだもんね。

それまで銀行が貧しい人に融資をしなかったのは、貧しい人は借りたお金を返さない、どうせ帰せるはずがないって決め付けていたからだった。

だけど、グラミン銀行が証明した。

貧しい人たちだってチャンスさえ与えてもらえば、商売もできるし、借りたお金もちゃんと返せるんだってことを。貧困に追いやられている層の女性が、職業を持てる日がやってきた! ありえないと思っていたことが、実現した。貧しい人は永遠に貧しいまま、そんな負のループを断ち切るための試みが、世界中の国々で、どんな成果をもたらすのか。

dollar著者

西原理恵子

母の実家である漁師の家で長女として生まれる。兄弟は兄がひとり。3歳の時にアルコール依存症の実父と死に別れる。母は再婚し、義父に溺愛されて育つ。

私立土佐女子高等学校在学中に飲酒によって退学処分を受け、その処分を巡り学校側を訴える。

19歳で父の保険金100万円を持って単身上京。その後、大検に合格、1年間立川美術学院に通った後、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科に入学し1989年3 月同校卒業。

以後はパチンコ雑誌、麻雀漫画誌、漫画週刊誌などに連載を持ち、『週刊朝日』連載のグルメレポ漫画『恨ミシュラン』で一躍人気を博す。

1996 年に旅行体験レポ漫画『鳥頭紀行』で知り合ったフォトジャーナリスト鴨志田穣と結婚。2児をもうけるも、鴨志田のアルコール依存症や西原の多忙によるすれ違いなどが原因で2003年に離婚。ただその後も絶縁したわけではなく頻繁に会っており、西原のサポートの元、鴨志田はアルコール依存症を克服、婚姻届を出さない事実婚の形で同居を再開した。同居再開の時点で鴨志田は末期の腎癌であり、同居再開の半年後の2007年3月20日に死去。

1997 年に『ぼくんち』で文藝春秋漫画賞を受賞する。同作品は観月ありさ主演で映画化されている。2005年に『毎日かあさん(カニ母編)』で文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞を、『毎日かあさん』『上京ものがたり』で手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

2007年3月の鴨志田の逝去から3ヶ月間活動を休止していたが、親友であるゲッツ板谷原作の映画『ワルボロ』の宣伝用イラスト制作を機に、『毎日かあさん』などの連載を再開している。

2007年5月9日放送の、フジテレビ系テレビ番組『ザ・ベストハウス123』の中で、「最も泣ける本」の第一位として「いけちゃんとぼく」が挙げられた。

2009 年には「いけちゃんとぼく」、「女の子ものがたり」が実写映画化され、いずれにも「言わんでもええ意地悪な一言を言う親戚のおばはん」役で出演しており、本人いわく「山村美紗作品における山村紅葉的ポジションを得た」らしい。また4月より『毎日かあさん』がテレビアニメ化されている。

2010 年には菅野美穂主演、吉田大八監督で「パーマネント野ばら」が映画化され、公開されることが決定している。

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コメント

この本面白かった
前のコメントで書いたけど

この世の一面の真実を告げるものである。。

一面の真実を告げるもの 「資本論」みたいに^^

投稿: nono1 | 2010年4月 1日 (木) 05時51分

うん 読んでよかった ^^

投稿: さくらスイッチ | 2010年4月 1日 (木) 22時31分

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