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2010年1月13日 (水)

161『養老孟司対談集 脳が語る科学』 初版1999年

違う分野であっても
骨組みさえしっかりしていれば
単語を取り替えても論理になっている
数学の方程式みたいなものです

感性の基本には
ある種の「差異」を見分ける能力がある

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aquarius概要

科学の最先端からインターネット、セックスレス、オウム真理教、「もののけ姫」まで、各界の第一人者たちとともに、「唯脳論」の解剖学者が科学と人類の行方を見据える対談集。      

aquarius読むきっかけ&目的&感想

『バカの壁(2003)』がベストセラーになった事でも有名な養老孟司だけど、わたしは彼の本を一冊も読んでいない。なんとなく読む気にならないままでいた。そんな中、昨年初冬に中野翠の書評集『あやしい本棚(2001)』を読んだ時に本書が紹介されていて、なんとなく興味を持ったので、いつか読もうとチェックしていた。

で、最近たまたま本書の目次を見たら、わたしのフックに掛かる単語がいくつかあったので、わたしにとって本書の旬は今だと思い読んでみた。

さくら好み ★★★☆☆

スッと腑に落ちない言葉が多かったけど、それでも面白かった。

10年程前に出された本(対談初出は1995~98)の中で、世相をどう見ているかが興味深かった。当時旬だった単語を元に対談しているけど、その内容に普遍性があるのは流石だと思った。10年以上たった今だからこそ、より際立ってそれを感じるのかもしれない。

『バカの壁』も読んでみたいと思った。

aquarius目次

科学の終焉 (中沢新一) ・初出1997年

現代社会と科学 (佐藤文隆中村雄二郎) ・初出1996年

自然とインタラクトする認知科学 (安西祐一郎) ・初出1992年

何がオウムを生んだのか (青木保) ・初出1995年

インターネット唯脳論 (多田富雄) ・初出1996年

人間動物園とセックスレス (中川志郎) ・初出1995年

「里山」の環境と「里山」が育む心 (今森光彦) ・初出1997年

人はなぜ笑うのか? (山口昌男) ・初出1995年

もののけ姫の向こうに見えるもの (宮崎駿) ・初出1998年

aquarius覚書

◆脳の中に生まれる人間 (x青木

養老: 青木さんがおっしゃることは私がふだん申し上げていることと非常に似ていて、私の場合は自然科学ですから、むしろ自然教育が抜けてしまっていると思っています。都市は自然を排除するところから成り立つわけですから、そのなかで人間を再生産していけば、特殊な人間ができる。これは脳の中に生まれる人間です。すると現実感が狂ってきて当然なんですね。その現実感を元に戻すしかない。

自然を教えるということは、設計図を置いてないものに対する対処の仕方を教えること。これはいまの教育の観念では無理です。自然のなかではなにが起こるかわからない。―中略―。そういうものが世界にはありうるという留保をどうやって教えるか。その留保のない人を、都会はワーッと作ってしまう。起こることにはすべて理由があるはずだという。だけどそうでない場合もある。

◆単語を取り替えても論理になっている (x多田

多田: コンピュータの個という問題はどうなるのでしょう。さきほど、一人で多数のことができる、多数が一人になるといいましたが、そうなったと き、どこに個が存在するのか。会社でも集団でも、だんだんつくりあげられていくあいだに、個というものが自律的にできあがっていく。自分と他人の境界をつ くっていく。しかしコンピューターのネットワークの場合、どうやって個をつくってゆくのか。ネットワークが成立したとき、どこまでが自己で、どこからは非自己とするのか、それがとても気になります。

養老: そもそも個という観念がないのではないですか。たとえば、コンピュータのなかに入った文章についての版権とか所有権とか、そんなものが成り 立つのかな。コンピュータだと、ある特定の本の用語を系統的に取り替えることは簡単です。違う分野であっても、骨組みさえしっかりしていれば、単語を取り 替えても論理になっている。数学の方程式みたいなものです。そういうふうに書かれた本なら、いくらでも剽窃ができるのではないか。

多田: DNAの配列もそうですね。DNAの配列を自分で発見して、それを登録してコンピュータに入れたといっても、その配列はもともと自然に存在 していたもので、新しくつくったものではない。それに同じ配列はほかのところにもあるかもしれないから、それが自分のクレジットだとはなかなかいえない。 やっていることはきわめて断片的なことですから。

◆逆に全体はどんどんぼやけてくる (x多田

多田: 生命現象にはいろんな階層があるから、いま養老さんがいわれたもっとも拡大率の大きいところでの現象が非常によく見えたからといって、その上の現象のことがわかるわけではない。その上、焦点距離を正確にすればするほど、他のところはピントが合わなくなってぼやけてくる。ディテールが見えるようにセットすると、逆に全体はどんどんぼやけてくる。

◆脳が意識するものだけが現実 (x中川)

養老: 空白の未来というものの存在をいまの社会は許さないわけです。それは外部の自然にもそのまま適応される。

関東平野をドライブすれば、おそらくすごい数のゴルフ場がありますよね。もしゴルフ場に変えていなければ、武蔵野の雑木林があり、鳥が棲んでいて、獣が棲んでいたかもしれない。しかしそれはなかったのと同じことなんです。土地をそのままにしておくよりゴルフ場に変えたら、お金になる。それしか見えていない。時間にしても空間にしても脳が意識するものだけが現実になっているからです。

◆絶えず自分の認識に訂正を要求される (x今森

今森: だから、昆虫採集はやめられない。(笑)

養老: ディテールがあるうえに、多様性がある。これでおしまいだということがないんですよ。たとえば、慣れてくると、甲虫とかの科の名前は虫を見ればだいたいわかってくる。でも、外国に行った途端、崩れるんですよね。オーストラリアなどに行くと、ガラ~ッとそれまでの常識が崩れていくわけです。「これでもカミキリかよ」という話になる。(笑)

今森: それぐらい種類が多い。

養老: 何とも説明がつかないようなものが次々に出てきて、改めて頭の中でもう一度パターン認識を構築し直していくんです。絶えず自分の認識に訂正を要求されるというのが自然のいいところですね。

◆みんな「人間嫌い」になっている (x宮崎)

宮崎: そう思って周りの人間たちを見ると、決してそう意識しているわけではないけれど、うあっぱりみんな「人間嫌い」になっているんですね。正しくは「人類嫌い」と言ったほうがいいかもしれませんが。顔見知りの人間は好きなんです。けれど、人間とか外国人と言ったとたんに、「いなきゃいいのに」という感じになる。こんなににんなが人間嫌いになっている時代はないんじゃないか。一方では、人間の命はとても尊いなんて言ってる時代で、建前と本音というのはヘンな言い方ですが、もっと底のほうに、いわゆる「うざったい気持ち」が、通奏低音のように流れている。子供たちからして、そうじゃないかと思ったもんですから。

◆感性の基本が変化して生まれた人間ごとにしか関心が向かない狭い世界 (x宮崎)

養老: 僕は感性って言葉を使わないから、これはいったいなんなんだろうとずっと考えてたんです。

宮崎: 広告でよく使われてますよね、感性って。

養老: まず感性の基本には、ある種の「差異」を見分ける能力があると思う。それが広告のような商売では、気持ちのいいものを指向するわけだけれど、社会一般を考えると、さっきの怖いもの見たさじゃありませんが、当然、気持ちの悪いものも含まれる。平たく言えば、感性とは、「なんかほかと違うぞ」って変化がわかることと言っていいんじゃないだろうか。

で、現代の人間、とくに子供たちが、いまどこにその差異を見ているのかを考えると、結局人間関係の中にそれを見ちゃっているんですね。僕らの頃は、「なんか違うぞ」っていうのは、「蟹がいねえぞ」だったんです。普通の大人は、蟹なんて商売にしていませんから、いなくなったってわからない。その差異を発見するのは、子供の感性だった。いまや子供までがそういったディテールを見分ける能力が抜け落ちてしまっている。

中略―。たとえば、胡桃の木を食っている虫がいるけど、周囲に何本も胡桃は生えているのに、その木でしか採れないということがある。なんで別の木にはいないのか、そのことをいまの人間社会は無視していますね。で、前置きが長くなりましたが、僕は本来的に「感性」というのは、このことかと思ったんです。つまり、そういうディテールを感知する能力は、本来人間も持っていたはずなんです。昆虫だって知っているんですから。けれどもその能力を閉鎖して、環境を一律にとらえようとしている。そうやっていくうちに人間の感性は余ってしまったのではないかと。今度はそれを人間関係や都市の人工物に割り当ててるんじゃないだろうか。

宮崎: 非常に面白いお話ですね。とてもよくわかります。

養老: それで僕は、“この世界はものすごくディテールに溢れているんだよ”という意味の象徴として、あのトトロの女の子の目つきが好きなんですね。こうやってものごとを見てみりゃ、少しは見えるんだけどなあって。

宮崎: その視線の矛先が、いまの時代、人間ばかり向いているというのは、ドキリとさせられます。―中略―。

でもいま、養老さんのお話をうかがっていると、人間に関心が向きすぎていて、その結果「アイツが気に入らない」だとか、「アイツはダメなヤツだ」とか、人間に関しての話題ばかりになるんだ、と。

養老: イジメが深刻になっちゃう根本には、人間ごとにしか関心が向かない狭い世界があって、昔からあったことが、実は拡大されてしまった。いや、拡大というか、世界が狭くなったぶんだけ、拡大されて見えるんです。

◆人のせいにするというのは都会の人間の典型的な特徴 (x宮崎)

養老: 人のせいにするというのは都会の人間の典型的な特徴です。なぜかと言えば、都会というのは人が作ったものしかないんだから。なにが起こったって、追求すりゃあ人のせいにできる。これが自然の中なら「仕方がない」ですむんです。ところが、仕方がないなんて言うのは遅れた人間だ、という教育を僕らはめんめんと暗黙のうちにうけてきた。都市では必ず背後に人間の行為があって、いまの子供たちはそれにスッポリ浸かってる。少なくとも室町以降はそういう方向で動いてきたわけだから、洗練されこそすれ、差別がなくなるはずがない。

aquarius著者

Ph2 養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )は、解剖学者。東京大学名誉教授。専門は解剖学。神奈川県鎌倉市出身。

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