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2009年12月 2日 (水)

146『怖い絵』 中野京子 初版2007年

我々が現代の眼でしか見ないという落とし穴
ここには見ていながら見えないものの存在がある
いったん気付けば全く違って感じられるに違いない

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art概要

よりすぐりの名画20点をカラー図版で掲載。読み終わった後、もう一度絵を観てください。ドガ描くプリマ・バレリーナが、ホガース描く幸せな家族の肖像画が、ブロンツィーノ描く『愛の寓意』が、一変します――名画にひそむ、心胆寒からしめる恐怖の物語。本書を読めば、絵画の見方が変わります。

art読むきっかけ&目的&感想

何かで知って、アマゾンで内容紹介を読んで面白そうだったし、レビュー評価も高かったので、いつか読もうとチェックしていた本。

さくら好み ★★★☆☆

面白かったけど、期待したほど面白くは感じられなかった。というのは、紹介されている20作品のうち、この作品の真意を知りたい、と思わせる程の魅力を感じた絵が少なかった―5作品くらい―せいだと思う。そして、読み終えてもう一度絵を観て感嘆したのは、2作品に過ぎなかった。とはいうものの、その2作品のためにだけでも読んで良かったと思っている。ちなみにその2作品は、ドガ『エトワール、または舞台の踊り子』、ボッティチェリ『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』だ。

art覚書

◆ドガ『エトワール、または舞台の踊り子』

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1878年 パステル 60x44cm オルセー美術館

◆十九世紀パリ・バレエ界

十九世紀にはいってバレエの制服たるチュチュが使用され始め、トゥシューズを履き、つま先で踊る形も確立し、フランスのバレエは全盛期を迎える。ところが満つれば欠けるで、世紀半ばを過ぎるころには早くも人気は衰え、バレエの中心はロシアへと場所を変えてゆく。ドガが踊り子を描き始めたころは、すでにパリ・バレエ界の惨状覆い難しといった時期であった。

◆社交場としてのオペラ座

劇場、とりわけオペラやバレエを上演するオペラ座が堕落していたことは、多くの同時代人が証言している。昔からオペラ座が堕落していたことは、多くの同時代人が証言している。昔からオペラ座というのは――観客が舞台にのみ集中する現代と全く違い――社交場としての性格の方が強かった。それは舞台横の桟敷席からも明らかなことで、ここは舞台観劇には不向きの場所にもかかわらず、一番ステイタスが高い。なぜなら観客からもっとも視線を集める場所だからで、当時でいえばナポレオン三世の予約席となっており、皇帝はここで他国の君主を接待した。

◆「オペラ座は娼館」

同じように他の桟敷席も富裕な貴族や「紳士」たちが定期予約し、見合いの場に使ったり毎シーズンの社交に利用した。飲食も自由だったし、カーテンを閉じればそこで何をしようとかまわなかった。またこれら高額の桟敷席を持つ客は、上演中であっても自由に楽屋や舞台袖に出入りする権利を持っていた。となれば、容易に想像がつくことだが、「オペラ座は上流階級の男たちのための娼館」(当時の批評家の言葉)となる。ではその娼館に常駐している娼婦とは誰か? それが踊り子であった。

◆踊り子は労働階級出身がほとんど

踊り子がどう思われていたかも自明であろう。もともとバレエはオペラの添え物で一段格下とされていたから、ほんの一握りの突出したバレリーナは別として、誰も彼女たちを芸術家と考える者などいなかった。その上彼女たちは脚を見せて踊る。まともな女性なら長いスカートをはき、許されるのは踝くらいまで、と考えられていた時代に、それは現代の感覚で言えば胸を出すのに近い。踊り子志願の少女たちの、ほとんど全てが労働階級出身だったのは、理由のないことではなかった。

◆少しでもいい暮らしをしたい

少しでもいい暮らしをしたい、わずかでも這い上がりたいと必死の彼女たちにとっては、バレエ芸術の真髄を極めるも何も、まずは良いパトロンを掴まえるのが先だった。桟敷席を定期的に借りるほど資力のある男たちも、それは先刻承知である。厳然たる階級制度の中で、幾重もの差別感情を抱きつつ、彼らは踊り子に接近する。めでたく双方の思惑が一致すればパトロンとなって、愛人のためにありとあらゆる利を図るという次第だ。

◆華やかな当時の舞台の内実

こうしてフランスにおけるオペラ公演は、無理を通すパトロンたちのおかげで、どんな作品にもバレエ・シーンを嵌めこむといういびつなものになっていった。これがバレエ公演となるともっとひどく、パトロンが毎回の演目を決定するしまつ。バレエの芸術的価値はいよいよ下がり、踊り子たちはますますパトロン頼みになり、パトロンたちはいっそう劇場側へ圧力をかけるという、負のスパイラル。一見華やかな当時の舞台の、これが内実だった。

◆背後の書割の陰にたたずむ男

『エトワール、または舞台の踊り子』へもどろう。背後の書割の陰にたたずむこの男は、エトワールのパトロンである。これは当時の人々にとっては一目瞭然だったろうが、現代の我々、バレエを洗練された芸術と考えている者には、なかなか見えてこない点だ。いやにくっきりした黒が使われていながら、目に入ってこないのだ。ところがこうしたことを踏まえて見直すと、エトワールの首に巻かれたリボンの色もまた、紳士の服と同じ鮮やかな黒で描かれているのが目にとまる。まるで金で縛られていることの象徴のように・・・・・。

◆ドガが描く踊り子たちは個性がない

ドガはファッションのひとつとしてリボンを描いたにすぎない。がちがちの身分社会の上方に属していた彼は、その階級の男性が持っていた当時の常識内にいた。要するに今の基準で言えば、踊り子に対する偏見を持っていた。

ドガが描く踊り子たちはどれも個性がないのだけは確かである。誰が誰やら区別がつかない。誰が誰でもかまわなかったのだろう。競走馬や騎手を描く場合と同じで、興味の方向が個人ではなく、動きや形態に向かっていたということもあるし、いくぶんかはこの職業への偏見もあったろう。どの絵も踊り子と描き手との交流、あるいは暖かな交感といったものが全く見られない。

◆一幅の美しい絵

この少女が社会から軽蔑されながらも出世の階段をしゃにむに上って、とにもかくにここまできたということ。彼女を金で買った男が、背後から当然のように見ているということ。そしてそのような現実に深く関心を持たない画家が、全く批判精神のない、だが一幅の美しい絵に仕上げたということ。それがとても怖いのである。

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コメント

社会・時代分析があって面白いね
ドガの絵 言われてみると
なるほど なんて思える ribbon drama

投稿: nono1 | 2009年12月 3日 (木) 20時36分

映画と一緒で
違う視点を知ると
感じ方が変わるのが面白かった eye

投稿: さくらスイッチ | 2009年12月 3日 (木) 20時59分

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