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2009年11月17日 (火)

145『マオ 誰も知らなかった毛沢東』 ユン・チアン 初版2005年

まず国民をとことん酷使し
そのあとで骨の髄まで搾りつくし
しかもそれを無駄にした

百花斉放の罠・・・
共産中国ただひとりの百万長者

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scorpius原題

Mao: The Unknown Story (London, 2005)

scorpius概要

毛沢東の出生から死に至るまで当時の社会情勢とともに描いたノンフィクション。世界25ヶ国で出版され、欧米でも長くベストセラーの1位となり、日本語版も同年11月に出されて以来17万部を超える売上げを示した。同書の取材執筆は『ワイルド・スワン』以後10年以上の歳月をかけて行なわれ、冷戦時代は困難だったロシアとアルバニア所蔵の公文書、毛沢東と接触した数百人もの中国国内外の人々へのインタビュー、関係各地の調査により新たな毛沢東像を描き出した。

scorpius読むきっかけ&目的&感想

中国近代を個人の視点で描いた自伝『ワイルド・スワン』を読んで、わたしは文革、つまり文化大革命に特に興味を持った。文化遺産の破壊、知識を否定する無知礼賛、これらを他国ではなく自国に対して実行するその背景にはいったい何があるのか?、どんな意味があったのか?、それを知りたくなった。

さくら好み ★★★★

今時の感覚で言うなら本書の毛沢東は、ロールプレイングゲームの世界のように自国を眺め、自分以外の人間をゲームキャラのように見ているかのようだった。そして彼の手にあるコントローラには、恐怖や憎悪といったボタンしかついていない。最悪だ。

毛沢東の人物像があまりにも醜悪なので、読んでいて顔が嫌悪感で歪みっぱなしだった。しかし、これだけ詳細に書かれているにもかかわらず、なぜか毛沢東像に現実味を感じることが出来ない。それは、良い面だけしか描かれていない人物像に胡散臭さを感じるのと同じように、悪い面しか描かれていない人物像にも胡散臭さを感じてしまうからだ。かといって、わたしは本書の毛沢東像を否定するわけではない。

そもそも、『ワイルド・スワン』に書かれていたような「毛沢東を崇拝する環境」にかつて生きていた著者は、視線の角度がわたしとは違っている。毛沢東は、わたしにとっては歴史上の人物の一人に過ぎないが、著者にとってはかつて尊敬と崇拝の対象であった唯一絶対の人物だったのだ。その反面、共産党の幹部であった理想に燃える父母の苦しみ、糾弾される父母・友人・知人を見て感じる不条理、自由に勉強も出来ない不満が、様々な疑問を著者の内部に育てていった。その疑問の著者なりの答えが本書なのだろうと思った。

『ワイルド・スワン』が出題で『マオ』が回答、出題者も回答者もユン・チアン、と捉えると両書はセットになっていて、併せて初めて今に至るユン・チアンの内面の軌跡が辿れるともいえる。歴史書としては賛否両論あるらしい『マオ』だが、なぜ『ワイルド・スワン』のような状況になったのか?、という疑問に対する回答の一つとして、わたしには納得できる本だった。

scorpius覚書

◆小作農の息子として生まれた

毛沢東――世界人口の四分の一を占める中国人民を数十年にわたって絶対的に支配し、二十世紀指導者の誰よりも多い七〇〇〇万有余という数の国民を平時において死に追いやった人物――は、一八九三年一二月二六日、中国の中央部湖南省のゆるやかな丘陵に囲まれた韶山沖(村)で小作農の息子として生まれた。毛一族は、先祖代々五〇〇年にわたってこの地に暮らしてきた。

◆「我」があらゆるものに優先する

毛沢東の倫理観の核心はただひとつ、「我」があらゆるものに優先する、という概念だ。「道徳の価値は他人の利害を行為の動機と為すことにあると考える人もいるが、吾はそのようには思わない・・・・・吾人(われら)は・・・・・心ゆくまで満足を得たいと欲し、そうすることでおのずから最も有益な道徳律を持つに至る。もちろんこの世界には人間がおり物事があるが、それらはすべて我のために存在するのである」

毛沢東は責任や義務といった束縛をことごとく斥けて、「吾人は自己に対してのみ義務を負うのであって、他人に対する義務はない」、「吾は吾の知る現実に対してのみ責任を負う」、「そしてそれ以外に対してはいっさい責任を負わぬ。過去は吾の関せざるところであり、未来も吾の関せざるところである。それらは吾の一身には何ら関係ない」と書いている。また、将来の世代に対しても責任を明確に否定して、「人間は歴史に対して責任を負う、と言う人もいる。吾はそうは思わない。吾はただ自己の陶冶にのみ関心を抱き・・・・・自己の欲求を抱き、それに則って行動する。吾は誰に対しても責任を負うものではない」と書いている。

毛沢東は、自分に個人的利益をもたらすもの以外いっさい何も信じなかった。死後の名声など「吾に何ら喜悦をもたらすものではない。なぜなら、それは後世に属するものであって、吾の現実に属するものではないからだ」と述べている。「吾人は後世に遺すために功業を立てるものではない」。毛沢東にとって、死後のことなどどうでもよかったのである。

自分の衝動と軋轢を生じる場合には良心など顧みる必要もない、とも書いている。良心とはつねに他者への配慮を意味し、快楽主義が自然に行き着くところではないから、毛沢東はこの概念を拒絶したのである。毛沢東は、「吾はこれら〔「殺すなかれ」「盗むなかれ」「中傷するなかれ」といった戒め〕が良心に由来するものとは考えない。これらは自衛を求める利害の観念から生じたものにすぎないと考える」と主張し、すべての配慮は「純粋に自己のための計算にもとづくべきものであって、断固として外的な道徳律やいわゆる責任感にもとづくものであってはならない・・・・・」と述べている。

毛沢東の倫理観は、絶対的な自己中心性と無責任が中核を成していた。

こうしたものの考え方は「英雄豪傑」だけに許されるのであり、その中に自分自身も含まれる、というのが毛沢東の主張であった。

◆長期にわたる平和は人間にとって耐えがたいもの

毛沢東の人格において、もうひとつ明らかに見えてきた要素は、動乱と破壊に対する嗜好である。毛沢東は、「天地があるかぎり大戦は続き、終息することはないだろう・・・・・孔子のいう大同の理想社会は錯誤である」と書いている。これは単なる悲観論ではなく、毛沢東にとっては不可欠な前提であり、毛沢東は民衆もそれを望んでいると主張した。

長期にわたる平和は人間にとって耐えがたいものであり、平時においては潮汐のごとく騒乱の波を起こす必要がある・・・・・歴史を眺めるとき、吾人は劇的状況が次々に展開する時代を好む・・・・・ここにこそ歴史を読む醍醐味がある。平和と繁栄の時代に至ると退屈してしまう・・・・・人間の本性は激動の変化を好むのである。

毛沢東は、動乱の物語を本で読むことと現実に動乱の時代を生きることの区別を、いとも簡単に取り払ってしまった。大多数の民衆にとって戦乱は受難を意味するという事実を、毛沢東は無視した。

scorpiuswikiより

毛 沢東

Mao_zedong_portrait毛沢東(もう たくとう、1893年12月26日 - 1976年9月9日)は、中華人民共和国の政治家、軍人、思想家。字は詠芝、潤芝、潤之、筆名は子任。中国共産党の創立党員であり、中華人民共和国の建国の父とされている。1949年の建国以来、1976年に死去するまで、同国の最高権力者の地位にあった。

近代世界史において大物とみなされており、タイム誌の20世紀の重要人物の1人に名を連ねている。中国国内での毛は、詩人、哲学者、そして夢想家と見られている。

しかしながら、毛は今日に至るまで論争の的となっている。批評家は、毛の引き起こした大躍進政策と文化大革命のような、中華文化、社会、経済、外交に重大な損害をもたらした社会・政治問題について非難するとともに、彼の政策による犠牲者は数千万と推定している。最終的に、主に農業社会に適用した毛沢東のマルクス主義による理想の導入は、失敗に終わった。

毛沢東思想

中国共産党は1945年9月の第7回党大会で党規約に「中国共産党はマルクス・レーニン主義の理念と中国革命の実践を統一した思想、毛沢東思想を自らの全ての指針とする」との記述を加えた。ここでいう毛沢東思想とは、理念としてはカール・マルクスとウラジーミル・レーニンが確立した共産主義を指針としながら、それを中国の実情に適応させた、農民中心の革命方式を指していると考えることができる。

毛沢東の思想は、毛沢東が若い頃から親しんだ農村社会の調査から導き出された中国発展のためのあらゆるアイディアを含んでおり、その大綱として大公無私(個人の利益より公共の福祉を優先する)、大衆路線(農村大衆の意見に政治的指針を求めそれを理解させて共に行動する)、実事求是(現実から学んで理論を立てる)などを挙げることができる。この他、社会と協調できる個人主義、大人数の協力、農村から蜂起して都市を囲いこんでいくゲリラ戦術理論、世界各国が各自の特性に応じた革命を行うことによって第三次世界大戦を防ぐことができるとする「中間地帯論」なども毛沢東思想に含めることができる。

毛沢東の農村重視の姿勢には、中国社会には猛烈な産業発展が前提である本来のマルクス主義ではありえない前資本主義的状況が強く、周代に唱えられた平等主義である大同思想に近い部分がある。また、しばしば暴力に肯定的で知識階級への憎しみをあらわにしており、これを評して、北京時代に感じた正式な高等教育を受けられなかったことへの劣等感が影響しているからだ、という者もいれば、これこそ農民よりな毛沢東思想の反エリート主義なのである、という者もいる。

毛沢東思想のまとまりのなさ・複雑さははっきりと定義できない分、恣意的な解釈を許すことになり、文化大革命では毛沢東の個人崇拝を推し進めた林彪によって政敵の打倒に利用された。このような解釈の現実に対して毛沢東自身の対応にも一貫しない部分があり、毛沢東思想の非体系的な特徴を表している。

日本への影響

毛沢東思想自体は、文化大革命の実態が伝えられていなかった時期の日本では、現代社会における政治体制を考える上で多くの示唆を与えてくれる思想として喧伝されたため、これを信奉する若者が続出した。

日本における毛沢東思想は、、日本共産党 (左派)、全共闘、新左翼、共産同ML派、日本労働党、緑の党(日本ボランティア会、三橋辰雄・対馬テツ子一派)といった、主に全共闘世代にのみ支持された政治団体に影響を与えた。毛沢東主義は、議会主義と大衆運動を掲げていた日本共産党や日本社会党の主流派の方針とは相容れないものであり、既成左翼と呼ばれた社会党・共産党の両政党と毛沢東思想支持者は激しく対立し、結局毛沢東思想が日本の左翼運動に広範に浸透することはなかった。

一般社会においても、ダイエー創業者の中内功が毛沢東思想の強い影響を自認しているほか、欧米崇拝の強かった時期に毛沢東思想の変異体であるコミューン運動が無批判に紹介された事や、毛沢東思想の農本主義的側面が、かつての農村共同体への素朴な憧憬を残していた時期の日本社会で肯定的に伝えられた事もあって、各種のカルト集団によるコミューン型共同体が日本各地で形成された。

scorpius著者

Jung_chang ユン・チアン(中国語:張戎、簡体字:张戎、ピン音:Zhāng Róng、英:Jung Chang、1952年3月25日 - )

14歳でしばらく紅衛兵を経験したあと、農村に下放されて農民として働き、「はだしの医者」、機械工場の鋳造工、電気工を経て四川大学英文科の学生となり、のちに講師となる。

1978年にイギリスへ留学。ヨーク大学から奨学金を得て勉強を続け、1982年に言語学の博士号を取得。中華人民共和国からの留学生でイギリスの 大学から博士号を取得したのはユン・チアンが初めて。テレビの仕事で知り合ったイギリス人歴史学者ジョン・ハリデイと同年に結婚する。現在はロンドンに住 み、ロンドン大学の東洋アフリカ研究所で教鞭をとっている。

1991年に祖母、母、自分自身の生涯を記した『ワイルド・スワン』を発表。全世界でベストセラーになる。2005年に0年以上の歳月をかけて取材した毛沢東の伝記『マオ 誰も知らなかった毛沢東』を出版。再びベストセラーになった。

 

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コメント

ワイルドスワンを最近初めて読みました、上をよんだときは中国の文化・習慣等々驚きの連続で、夢中に読んだのですが、下を読み進むごとにこれ程の残酷で悲惨な人生があることへの驚きと 又、その悲惨な最中に於いても揺ぎ無い信念と深い愛を貫く著者一族に、深い感動と尊敬の念でいっぱいになり涙があふれ泣きながら読みました。私はこの本にめぐり会えて本当に幸福です、これから先私が生きていく中でどのような試練があろうとも、必ず乗り越えることが出来るような気がします。ワイルドスワンは私のバイブルです。感動を有難う。

投稿: | 2015年8月16日 (日) 03時09分

コメントをありがとうございます。
本との出会いも縁ですよね! ^^

投稿: さくらスイッチ | 2015年8月16日 (日) 22時32分

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