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2009年9月28日 (月)

125,126『アンダーグラウンド』 初版1997年、『約束された場所』 初版1998年 村上春樹 

私が目指したのは 明確なひとつの視座を作り出すことではなく
明確な多くの視座を作り出すのに必要な「材料」を提供することにあった

それは基本的には
私が小説を書く場合に目指しているものと同一である

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karaoke概要

『アンダーグラウンド』 1995年3月20日の朝、東京の地下でほんとうに何が起こったのか。同年1月の阪神大震災につづいて日本中を震撼させたオウム真理教団による地下鉄サリ ン事件。関係者62人のインタビュー。

『約束された場所で アンダーグラウンド2』 「癒し」を求めた彼らが、なぜあの犯罪に行着いたのか? 信者へのインタビュー、河合隼雄(日本の心理学者・心理療法家・元文化庁長官)との対話によって現代の病理に迫る。

karaoke読むきっかけ&目的&感想

村上春樹の『1Q84』というベストセラー小説を読み、作品背景を知りたいなぁ~と思ってネット検索すると、『1Q84』の前に出版した『アンダーグラウンド1,2』が大きな影響を与えているらしい事が分った。『村上春樹「1Q84」をどう読むか』でも、『アンダーグラウンド1,2』が当然のように論旨に上がっていたので、読んでみる気になった。

さくら好み ★★★★☆

地下鉄サリン事件(1995,3,20)をニュースで知っても、あまりにも日常からかけ離れ過ぎて、リアル感を全くと言っていいほど感じなかった。 でも、当事者の日常に連なる事件として輪郭が与えられた両書を読み、今更かもしれないけど、リアル感を持ってこの事件を認識する事が出来た。

と同時に、この事件に、こういうアプローチをする村上春樹という作家に、興味が湧いてきた。ノーベル文学賞に日本人では一番近い作家といわれる村上春樹だけど、あたしは学生時分に数冊読んだきりなので、時代を順に遡りながら何冊か読んでみようかなと思う。

あと、『1Q84』の作品背景をより知りたい、という当初の目的も果たせた。来年の夏には『1Q84 (3)』が発売されるらしい。独特な世界観の物語であるにもかかわらず、物語世界内で閉じていない、あたしが生きる現実社会と別たれていない、と感じる不思議なリアル感に満ちたこの小説の続きを読むのが楽しみだ。

karaoke覚書

◆サラリーマンが受けた二重の激しい暴力

彼女の夫は会社に通勤している途中で運悪くサリン事件に遭遇した。 不幸にも後遺症が残り 思うように仕事が出来なくなった。 事件後時間が経つと 上司や同僚がちくちくと嫌みを言うようになった。 夫はほとんど追い出されるようなかっこうで仕事を辞めた。

その気の毒な若いサラリーマンが受けた二重の激しい暴力を、 「ほら、こっちは異常な世界から来たものですよ」、 「ほら、こっちは正常な世界から来たものですよ」、 と理論づけて分別して見せたところで、 当事者にとっては、それは何の説得力も持たないんじゃないか。考えれば考えるほど、それらは目に見えるかたちこそ違え、 同じ地下の根っこから生えてきている同質のものであるように思えてくる。

◆自分自身の内なる影の部分

今述べた仮設を延長していった場合に到達するきわめて広いグラウンドの真ん中に立って、私は実はこう思っている。「こちら側」=一般市民の論理システムと「あちら側」=オウム真理教の論理システムとは、一種の合わせ鏡的な像を共有していたのではないのかと。

もちろんひとつの鏡の中の像は、もうひとつのそれに比べて暗く、ひどく歪んでいる。凸と凹が入れ替わり、正と負が入れ替わり、光と影が入れ替わっている。しかしその暗さと歪みをいったん取り去ってしまえば、そこに映し出される二つの像は不思議に相似したところがあり、いくつかの部分では呼応しあっているようにさえ見える。

それはある意味では、我々が直視することを避け、意識的に、あるいは無意識に現実というフェイズから排除し続けている、自分自身の内なる影の部分(アンダーグラウンド)ではないか。私たちがこの地下鉄サリン事件に関して心のどこかで味わい続けている「後味の悪さ」は、実はそこから音もなく湧き出ているものではないのだろうか?

◆自分という一貫した物語 他者から受領する新しい物語

もしあなたが自我を失えば、そこであなたは自分という一貫した物語をも喪失してしまう。しかし人は、物語なしに長く生きていくことはできない。物語というものは、あなたがあなたを取り囲み限定する論理的制度(あるいは制度的論理)を超越し、他者と共時体験をおこなうための重要な秘密の鍵であり、安全弁なのだから。

物語とはもちろん「お話」である。「お話」は論理でも倫理でも哲学でもない。それはあなたが見続ける夢である。あなたはあるいは気が付いていないかもしれない。でもあなたは息をするのと同じように、間断なくその「お話」の夢を見ているのだ。そのお話の中では、あなたは二つの顔を持った存在である。あなたは主体であり、同時にあなたは客体である。あなたは総合であり、同時にあなたは部分である。あなたは実体であり、同時にあなたは影である。あなたは物語を作る「メーカー」であり、同時にあなたはその物語を体験する「プレーヤー」である。私たちは多かれ少なかれこうした重層的な物語性を持つことによって、この世界で個であることの孤独を癒している。

しかしあなたは(というか人は誰も)、固有の自我というものを持たずして、固有の物語を作り出すことはできない。ところがあなたは今、誰か別の人間に自我を譲り渡してしまっている。あなたはそこで、いったいどうすればいいのだろう?

あなたはその場合、他者から、自我を譲渡したその誰かから、新しい物語を受領することになる。実体を譲り渡したのだから、その代償として、影を与えられる――考えてみればまあ当然の成りゆきであるかもしれない。あなたの自我が他者の自我にいったん同化してしまえば、あなたの物語も。他者の自我の生み出す物語の文脈に同化せざるを得ないというわけだ。

いったいどんな物語なのだろう?

麻原彰晃にはそのようなジャンクとしての物語を、人々に(まさにそれを求める人々に)気前良く、そして説得力をもって与えることが出来た。それは粗暴で滑稽な物語だった。部外者から見ればまさに噴飯ものとしかいいようがない物語だ。しかし公正に言って、そこにはひとつだけたしかな一貫したことがある。それは「何かのために血にまみれて闘う攻撃的な物語だった」ということだ。

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◆根本的な問題は何ひとつ解決していないのではないか

私が「オウム側」に正面から取り組んでみようかと思ったのは、「結局あれだけの事件が起こっても、それを引き起こした根本的な問題は何ひとつ解決していないのではないか」という危機感のようなものをひしひしと感じ続けていたからだった。日本社会というメイン・システムから外れた人々(とくに若年層)を受け入れるための有効で正常なサブ・システム=安全ネットが日本には存在しないという現実は、あの事件のあとも何ひとつ変化していないからだ。そのような本質的な、重大な欠落が我々の社会にブラック・ホールのように存在している限り、たとえここでオウム真理教という集団を潰したとしても同じ様な組成の吸引体――オウム的なるもの――はまたいつか登場してくるだろうし、同じ様な事件はもう一度起こるかもしれない。

◆悪とは個人的なものなのか あるいはシステム単位のものなのか

ふたつの考え方があると思うんです。ひとつは会社というのはこっち側のシステムであり、そこには一種宗教的な色彩さえある。こういう言い方をすると問題があるかもしれないけど、そこにはある意味ではオウム真理教のシステムと通底している部分があるかもしれない。実際に被害者のサラリーマンの中には、自分だって同じ立場だったら命令を実行していたかもしれないと告白した人も何人かいました。

もうひとつは「いや、それはぜんぜん違うものだ。こちらのシステムはあっちのシステムとは異質なものだ。一方が他方を包含して、その間違った部分を癒していけるんだ」という考え方です。僕はその二つのどっちだとも、まだいまのところ簡単には言えません。

それにはまず悪とは個人的なものなのか、あるいはシステム単位のものなのかというところからはっきりさせていかないといけない。僕はこの『アンダーグラウンド』を書き上げてから、ずっとそのことを考えてきたんです。悪とは何か? まだわからないですね。この問題を追及していけば、どこかの地点でそれがぼんやり見えて来るんじゃないかという気はしているんですが。

◆「まだやっているのか」というのに変わってしまう

日本人というのは異質なものを排除する傾向がすごく強いですからね。もっと突っ込んで言えば、オウム真理教に対する世間の敵意が、被害者に向かうんです。被害者の方まで「変な人間」にされてしまう。オウムはけしからんという意識が、「なにをまだぶつぶつ言っているんだ」と被害者の方に向かってしまうんです。

震災のときもそうですが、最初に興奮があって、それから同情みたいなのに変わって、それがすぎると「まだやっているのか」というのに変わってしまうんですね。段階的に。

◆エピグラフ

ここは、私が眠りについたときに
約束された場所だ
目覚めているときには奪い去られていた場所だ。

ここは誰にも知られて居ない場所だ。
ここでは、船や星々の名前は、
手の届かぬところへと漂い離れていく。

山々はもう山ではなく、
太陽はもう太陽ではない。
どんなものであったかも、だんだん思い出せなくなっていく。

私は自分を見る、私の額の上に
暗闇の輝きを見る。
かつて私は欠けることなく、かつて私は若かった・・・・・。

それが今は大事なことのように思えるし、
私の声はあなたの耳に届きそうに思える。
そしてこの場所の風雨は、いつまでも収まりそうにない。

マーク・ストランド「一人の老人が自らの死の中で目覚める」

◆「現実」

「現実というのは、もともとが混乱や矛盾を含んで成立しているものであるのだし、混乱や矛盾を排除してしまえば、それはもはや現実ではないのです」ということだ。「そして一見整合的に見える言葉や論理に従って、うまく現実の一部を排除できたと思っても、その排除された現実は、必ずどこかで待ち伏せしてあなたに復讐するでしょう」と。

 

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< 『1Q84』、関連本 >

108 『1Q84 BOOK1,BOOK2』 村上春樹 初版2009年

114 『村上春樹『1Q84』をどう読むか』 河出書房新社編集部 (編さん)  初版2009年

125,126 『アンダーグラウンド』 初版1997年、『約束された場所』 初版1998年 村上春樹

148 『一九八四年[新訳版]』 ジョージ・オーウェル 初版2009年

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