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2009年9月26日 (土)

121『ナチ占領下のパリ』 長谷川公昭 初版1986年

ナチ占領下 フランス国民のさまざまなエピソード

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nosmoking概要

第二次世界大戦中、フランスは4年間にわたってドイツ軍の占領下に置かれた。その間の歴史は、これまでレジスタンスの神話に彩られて紹介されてきたが、実 は、占領ドイツ軍と結託することによって財を築いた者や、ゲシュタポに協力した者など、レジスタンスの活動家とほぼ同数の積極的な対独協力者もいたのであ る。本書に描かれたナチ占領下のフランス国民のさまざまなエピソードは、これまでの偏った歴史を修正する一助となるであろうが、同時に、平和な日常が崩れ た状況にあって、人それぞれが、どのような生き方を選ぶかを知りうる点で、興味深い資料といえよう。

nosmoking読むきっかけ&目的&感想

シャネルの創立者ココ・シャネルが、第二次世界大戦中に貴族出身のドイツ軍将校と愛人関係にあった事を知り、当時、パリの文化人がどういう見の振り方をしたかに興味が湧いたので、それっぽい事が書いてありそうな本書を読んでみた。シャネルについて、もう少し詳しく知りたいとも思った。

さくら好み ★★☆☆☆

不勉強なあたしには、ピンとこない情報が多すぎて、イマイチ楽しんで読むことが出来なかった。coldsweats01。。。でも、まあ、半分くらいは読む目的を達したし、美術界の事が書かれた数ページは面白かった。

nosmoking覚書

◆他の市民が食うや食わずだというのに・・・

ドイツ占領下のパリでは、美術部門だけは戦前とさほど変わりない自由が許されていた。占領軍からの制約といえば、ユダヤ人画家が締め出されたことと、明らかに反独的、親ユダヤ的とみられる絵画の展示が禁止されたことぐらいで、シーズン恒例の『サロン・ドートンヌ』その他の美術展も、なんの支障もなく開かれた。そのほか、『シャルパンティエ』をはじめとする有力画廊の主催する展覧会も頻繁に催され、そうした展覧会の初日にはパリの政界有力者や社交界の名士たちにまじって、必ずといっていいほど制服姿のドイツ軍高級将校たちの姿が見られた。

エコール・ド・パリの画家たちのなかでも、マチスシャガールがパリを離れて暮らしていたほかは、ブラックドランデスピオヴラマンク藤田嗣治マリ・ローランサンらは終始パリにとどまったままだったし、いったん、パリを脱出して南仏にある別荘に住んでいたピカソも、ほどなくセーヌ左岸にある仕事場に戻ってきて、以後、パリを二度と離れることはなかった。

ピカソは、セーヌ左岸、グラン・ゾギュスタン街にあるレストラン『カタラン』の常連で、他の市民が食うや食わずだというのに、シャトーブリアン風のステーキを毎日のように食べていた。ピカソの座るテーブルには、画家仲間のブラックらのほかに、文化人のエリュアールレリスサルトルボーヴォワールカミュ、それに作曲家のオーリックまでが席を囲んでいた。夜ともなると、ピカソはサンジェルマン・デ・プレのカフェ『フロール』に出かけ、代用コーヒーや代用ビールを飲みながら、ここでもサルトル、ボーヴォワール、レリスらのほか、詩人のジャック・プレヴェール、彫刻家のジャコメッティら多くの文人や芸術家たちと一緒に快気炎をあげるのを日課としていた。

◆営業を続けた高級レストラン

レストラン・カランタンの話が出たついでに付け加えるならば、占領下にあってもシャンゼリゼのカフェ・レストラン『フーケ』やパレ・ロワイヤルの『グラン・ヴェフール』、それに鴨料理で有名な『トゥール・ダルジャン』といった高級レストランは営業を続けており、ヴィクトル・ユゴー広場に面したチョコレートの老舗『マルキーズ・ド・セヴィニエ』も店を開いていた。ただし、レストラン『マクシム』だけは、ベルリンのレストラン経営者ホルヒャーなる男に乗っ取られ、毎夜、ドイツ軍の高級将校やドイツ人実業家たちでにぎわっていた。パリをしばしば訪れたゲーリングも、夕食はマキシムで、というのが習わしで、ときにフランス人画商を伴って、この店を訪れた。

◆パリ社交界の花形

美術を媒体とした独仏交流は想像以上に盛んだったようで、当時、パリ社交界の花形で、ハンガリー貴族だったパルフィの妻、ルイーズ・ド・ヴィルモラン夫人は、芸術家の愛好家を自認し、おまけに大のドイツびいきというふれ込みで、始終、ベルリンに足を運んでいた。このヴィルモランなる女性は正体のつかめない女で、その後、ロシア生まれの反独作家ロマン・ガリと再婚し、さらにアンドレ・マルローの晩年の愛人でもあった。

そのヴィルモラン以上に華やかな存在だったのは、フランス生まれながら、アメリカ人の大富豪フランク=ジェイ・グールド(ジェイソン・ジェイ・グールドの息子)の妻となっていたフロランス・グールド夫人である。グールド夫人は、高級住宅街マラコフ大通りに“ばら色の大理石の宮殿”と俗称される大豪邸を所有していたが、この邸がドイツ軍政部に接収されて、シュテュルプナーゲル将軍の公邸となってからは、ホテル『ブリストル』を仮住まいにしていたものの、やがて接収された豪邸のある同じマラコフ大通りのアパートに移り住んだ。ここでグールド夫人は、毎週木曜日に昼食会を催し、ポール・モランジロドゥジャン・ポーランらの作家や、画家のブラックらフランスの文人、芸術家のほか、占領軍の一員として当時パリにあったドイツの作家エルンスト・ユンガーや、前述したドイツ軍宣伝中隊の文芸担当官ゲルハルト・ヘラー中尉ら仏独両国の知識人に交流の場を提供した。

グールド夫人は、当時三十歳代で、長身で栗色の髪をした美人だっただけでなく、文学や芸術にも造詣が深く、文字通り才色兼備の女性であった。グールド夫人宅での昼食会では、物資欠乏の極みにあった当時のパリでは想像もつかないような贅沢な酒食が供され、独仏両国の知識人たちは、互いにおのれの国籍を忘れたかのように自由闊達な議論を交わした。

◆ピカソ

ドイツの彫刻家アルノ・ブレーカーは、ヒトラーのお気に入りの芸術家だったので、政治的な肩書きはなかったものの、ナチ党幹部から一目も二目も置かれる存在であった。そうした立場を利用して、ピカソがスカンディナヴィア諸国経由でロシアにひそかに送金している事実をつかんでいたパリのゲシュタポに、ピカソにだけは手を出すなと厳重に忠告したりした。ピカソは占領下のパリで、一部の人々から対独協力の“教祖”のようにみなされ、ドイツ軍からも、ことのほか丁重に取り扱われていたが、実はそれが巧妙な仮面であったことは、ドイツ軍がパリを撤退して間もなく、鳴り物入りでフランス共産党に正式に入党したことからもわかろう。

◆ココ・シャネル

パリ・モード界の大御所的存在で、『シャネルの五番』の香水であまりにも有名なココ・シャネルも、貴族出身のドイツ軍将校と同棲し、ヴァンドーム広場に面したパリでも最高級とされるホテル『リッツ』に閉じ込もったきりで、ときおり人目をしのぶようにしてスペイン行きの列車に乗り込んでいた。ココ・シャネルがスペインで何をしていたかは明らかでないが、当時、『シャネル』の香水の販売権をめぐって、アメリカのユダヤ系商社ウェルトハイマー兄弟商会との間でいざこざがおきており、その係争について交渉する場として“中立国”スペインを選んでいたとの推測もなされている。いずれにしても、かつて美貌で鳴らしたココ・シャネルも、当時すでに六十歳の坂にさしかかっていたはずであるが、にもかかわらず、ドイツ軍将校との新たな恋に身を焦がすことができるほど色香を失っていなかったという事実には驚かされる。

◆“レジスタンス神話”はあくまでも“神話”

パリ解放に際しての市街戦は、きわめて散発的、かつ小規模なものでしかなかった。大戦終了後、パリ解放の際にはすべてのパリ市民が蜂起したかのように世界中に宣伝されたが、それは、米英両国に対して自らの政治的発言力を強めるために、ド・ゴールにとって、フランスはフランス人の手で解放されたのだ、とことさらに強調する必要があったことにもよる。それに、実際に占領ドイツ軍に武力で抵抗した者の大半が共産党員もしくはその同調者であったことを、ド・ゴール自身も熟知しており、その事実を認めるのをド・ゴールがいさぎよしとしなかったことも考慮にいれなくてはなるまい。

そのような意味からすれば、命を賭して占領ドイツ軍に抵抗した一部パリ市民の愛国心と勇気に敬意を表するにやぶさかではないが、少なくともパリに関する限り、世に言われる“レジスタンス神話”は、あくまでも“神話”の域を出るものでなかったことを、ここでもう一度、確認しておく必要があるように筆者には思えるのである。

nosmoking著者

長谷川公昭

昭和4年、大連生まれ。少年時代を上海で過ごす。昭和29年、慶應義塾大学文学部を卒業。日本経済新聞記者を経て、現在、評論家、常磐大学教授、慶應義塾大学講師。(本書執筆当時)

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