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2009年9月13日 (日)

117『一日江戸人』 杉浦日向子 初版1998年

江戸の美女は ふちが薄くて浅い盃を好んだ
盃に口をつけた時 深い形のものより口唇がゆがまず美しいから・・・

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fuji概要

現代の江戸人・杉浦日向子による、実用的かつ、まことに奥の深い江戸案内書。江戸美人の基準、三大モテ男の職業、衣食住など、江戸の人々の暮らしや趣味趣向がこれ一冊でわかる。さらには「殿さま暮らし」は楽かの考察、大奥の仕組み、春画の味わい方まで。著者の自筆イラストもふんだんに盛り込まれ、居ながらにして気分はもう江戸人だ。

fuji読むきっかけ&目的&感想

江戸時代の町人について書かれた図解付きの本が読みたいなあ~、と思って探した本。

さくら好み ★★★★☆

たくさんのイラストが載っているので、すごく具体的に理解することが出来た。今ぼちぼち読んでいる小説『しゃばけ』シリーズの世界を、より臨場感を持って感じられるようになった。ついでに(?)、NHK土曜時代劇『オトコマエ!2』も録画して見るようになった。30分と短く一話完結なのが気軽でいい。

fuji覚書

◆「江戸ッ子」

時代劇や落語でお馴染みのベランメエ集団「江戸ッ子」ですが、その実体は、意外と知られていません。

百万都市江戸の半分は武家と僧。残り五十万の町民のうち六割は地方出身者、三割が地元民とのハーフ、一割が地元民ですが「江戸ッ子」の条件「下町育ち」は半数、さらに三代続きとなるとその半数の一万二千五百。つまり正真正銘の「江戸ッ子」は、江戸の人口のわずか一.二五パーセントということになります。

◆長屋(集合住宅・1K風呂なし・共同トイレ付)の生活

20090913e 江戸のワンルーム、別名「九尺二間の裏長屋」は、東京のアーバン・ライフの原点です。郊外の大家族型住宅では、家の内部に家長を核とした生活空間が形作られていますが、長屋の生活は外へ向かって開かれており、街全体が住人すべてにとってのひとつの居住空間になっています。郊外に暮らす人は家に住み、都心に暮らす人は街に住む、そういう違いです。

長屋では、親子三人が一ヶ月一両あればひもじい思いをしないで暮らせました。棒手振り(ぼてふり)と呼ばれる零細職人でも一日四、五百文の稼ぎがありました。一両を六千文として、約十~十五日間働けばひと月分の生活費がまかなえることになります。わかりやすくするために、あえて一両を約八万円に換算(これは米十キロを約五千四百円としたもの)して、一か月の生活費の内訳を見てみましょう。

●家賃  400文 6,000円
●米代  1日8合として36kg 19,440円 (これは1日3食として、1食につき夫が3杯妻が2杯、子どもが1杯ずつ食べる量。)
●湯銭  1回3人20文(毎日入って)9,000円
●光熱費  300文 4,500円
●おかず代  1日40文として18,000円 (24文もあれば鮪の刺身が大人3人で食べきれないほど買える。小蛤が一升20文、納豆が丼に山盛りで8文。)
●床屋  1回24文(4回行くとして)1,440円

支出計 58,380円
収入 80,000円
残高 21,620円 交際費、雑費に回す

このように、一食三杯、おかずに特大切身を添え、毎日銭湯へ入り、週に一度は床屋へ行き、少々の寝酒だって飲める、という生活ができました。親子三人でこうですから、独身者なら、月に六、七日も働けばよいのですが、実際は長屋の中で空きっ腹を抱えてゴロゴロしているナマケ者が多かったようです。

長屋の壁は薄く、隣の物音ばかりか、おかずの匂いまで筒抜けです。「椀と箸を持って来やれと壁をぶち」という古川柳からは、長屋独特の人情が香ります。

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*江戸知識 「裏長屋」

20090913d_2 私たちに一番なじみである「裏長屋」を見ていきます。左図ではオレンジ色とクリーム色の長屋が「裏長屋」になります。この「裏長屋」の違いは、オレンジ色の長屋が「割長屋」であるのに対し、クリーム色の長屋は 「棟割長屋」である事です。「割長屋」は大きな店を棟木に対し直角に仕切ったものです。左図の例で見ると、各戸の間口が九尺 (約2.7m)で、奥行が二間半 (約4.5m)になっています。 坪数でいうと4坪です。畳でいうと8畳になります。八畳一間のワンルームですネ。 

 一方、「棟割長屋」は大きな店を棟木に対し直角に仕切ったうえに、更に「棟木」に沿って半分にしたものです。割長屋に比べ倍の戸数になります。左図の例で見ると、各戸の奥行は二間(約3.6m)になっていますが、間口は九尺(約2.7m)のものが六軒、一間(約1.8m)のものが一軒、二間(約3.6m)のものが三軒で作られています。坪数でいうと順に、3坪、2坪、4坪です。畳でいうと6畳、4畳、8畳になります。一般に最も狭い長屋を 「9尺二間」と言いますから、6畳サイズの部屋です。この例にある4畳の長屋は殆ど聞きません。

 説明が前後しますが、表通りから「裏店」へ入るには、「表店」の間にある小道(路地)を使います。 路地には「木戸口」が設けられ、明六つに開き、暮六つに閉まることになっていました。「裏長屋」の敷地の中には、共同の便所やゴミ溜めや井戸や溝がありました。 ・・・全文を読む

◆「垢抜けした」

江戸ッ子の風呂好きときたらケタ違いでした。最低でも、朝の仕事前、夕の仕事後の二回は入ります。一日に四、五回入るなんてのはザラです。

これは、江戸ッ子が清潔好きというよりは、気候風土に原因がありそうです。湿潤な気候だから肌はベタつきがち、そこへ関東名物の「砂ぼこり」が見舞うわけですから、ひと風吹けば、たちまち人間キナコ餅の一丁あがりです。これでは誰だって沐浴せずにはいられません。

過度の入浴により、江戸ッ子の肌は」いつでも脂ッ気がなくてパサパサしていたそうです。これを「垢抜けした」とか言って粋がりました。

江戸では水や燃料が貴重でもあり、火の用心が厳しかったことから、浴室を持つ家が稀であり、ほとんどの江戸市民が銭湯を利用していました。

◆道楽

「所作指南」といって、身のこなしを教えるのです。たとえば、カッコイイ煙草の吸い方、ソバの食い方といったものです。煙草では、帯にはさんだ煙草入れを取り出して、葉をつめて、吸ってはたく、までの一連の動作を指導し、けっこう人気があったそうです。

それ以上にバカバカしいのが、「秀句指南」です。秀句とはシャレのことです。「鯉の滝登り」を「仔犬竹登り」とか、「猫に小判」を「下戸に御飯」とか、「何か用?」と聞けば「何か用か九日十日」と答えるとか、「ありがたいねぇ」と相手が言えば「蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨」と受けるという、そういうシャレを習うのです。こんな益にもないことに金を払うのは、江戸ッ子なればこそといった感があります。

収集の道楽も、もちろんさかんでした。ポピュラーなのはラベルです。菓子、薬、化粧品などのラベルをはがしてアルバムに仕立てました。幕末に来日した欧米人が、洋酒のラベルが中身の酒よりも高価に売れると驚いたのは、このホビーのためです。

おしまいに、江戸の粋を集めた趣味の世界、ミニチュアについてふれたく思います。江戸では指先に乗るような家財道具を拵える細工職人の技術が大変に珍重され、名工の物になると本物の箪笥の十倍も高価でした。これは純粋に大人のホビーで、男女ともに愛玩しました。戦後亡くなった最後の江戸細工師・小林礫斎の作品群には、ため息の出るようなミクロの美が結晶しています。

◆「朝もよし、昼もなおよし」

「朝もよし、昼もなおよし晩もよし、その合々に、チョイチョイとよし」と詠んだのは、酒徒としても名高い江戸の粋人・大田南畝です。その墓は、徳利に盃をかぶせた形で、戒名は「米汁呑了信士」。ここまでくれば生前の飲みっぷりもうかがえます。

「箱根からこっちに下戸と化け物はいない」と豪語した江戸っ子たちもまた「朝もよし、昼もなおよし」を地でいっていました。まず、朝。仕事に出る前に、茶碗半分くらいを軽くひっかけます。これは、戸口のところで、火打ち石をカチカチやる「切り火」と同じように、厄災をはらう縁起ですが、朝の一口は、活を入れるドリンク剤の効果もありました。午後、仕事が一段落すると、昼食とおやつを兼ねて、また軽く一杯。帰宅して、風呂あがりに晩酌。ゆっくり夕食をすませて、寝る前に一杯。

これだと一日に五合くらいは軽くいってしまいます。江戸っ子がケンカっぱやいのは、いつもほろ酔いかげんだったせいかもしれません。003

◆外見をハデハデに飾るのは野暮

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こんな異様な風体をした連中はカブキモノと呼ばれていました。カブク(傾く)とは、“ふざけるな”“放縦なことをする”“好色である”という意味です。カブキモノとは、要するにチャラチャラした、しょうもない奴ということです。

カブキモノになったのは、だいたい、裕福な町人の子弟でした。彼らは金と暇にあかせてファッションに凝りました。模範のようなものはないから、おおむね、様式のない一人一人勝手なファッションです。でも、そこには共通した美意識が貫かれています。

例えば、新しく着物を仕立てるのに、わざわざ古くみえる生地を使い、地味に作ります。新品の下駄の歯をわざと低くして、いかにも履き古しのようにします。そのくせ、裏地の柄を著名な絵師に描かせたり、有名な書家の字を入れたりしました。見えない所にお金をかけるというのが彼らのセンスなのです。あげくは縮緬で褌(ふんどし)を作ったりしました。これははき心地、悪いだろうねー。

このちょっと屈折した美意識は、生活全般に貫かれました。床屋に行きたて、という髪は野暮、行きたてでもわざと乱すというのが粋。魚も高価な鯛を食べるよりも小鰭(こはだ)を、という具合です。

彼らにとって野暮の典型だったのが武士階級のファッション。大奥の女性たちの絢爛豪華な衣装や、武士の格式ばった格好は嘲笑の的でした。また、町人は武士を嘲笑するだけの自身と実力を持っていたのです。

江戸時代になり、町人たちは経済的な実力を蓄え、その力は武士階級を凌駕するほどになりました。経済的余裕ができると、その力をバックに文化的な方面にも進出して行きました。町人文化の誕生です。彼らは、個性に目覚め、それを大いに解放したのです。

一方、それを許す社会体制もあったんです。江戸時代の人間は、さまざまの禁制によってがんじがらめだったように思われていますが、それは短期間のことであって、実際は抜け穴だらけのユルユルの体制のなかで、のびのび生きていたんです。幕府の作った法律にしても、百か条しか制定されておらず、かなり個人の道徳心にゆだねられたものでした。おのおの“好き勝手”に、自分の信ずるがまま生きればよい、という雰囲気があったのです。

それを最もよく体現していたのが、カブキモノたちです。人々は、その異風にあきれながらも、それも人の勝手と尊重していました。カブキモノも好きなだけカブイて、それに飽きたら、さっさと家業に精を出しました。彼らは別に反体制人間だったわけでもなく、世をスネていたわけでもない。個の命ずるままに、ふざけ遊んでいたのです。

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fuji著者

杉浦 日向子(本名 鈴木 順子、1958年11月30日 - 2005年7月22日)は、日本の漫画家、江戸風俗研究家、エッセイスト。東京都港区芝出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学藝術学部美術学科中退。稲垣史生に時代考証を学ぶ。

東京・日本橋の呉服屋に生まれる。アート・ディレクターを志望して日大芸術学部に、エスカレーター入学。しかし、講義に興味が持てず、2年で中退。家業を手伝いながら、手描きの友禅の勉強をする。やがて、独学で勉強できる「時代考証」に興味を抱き、朝日カルチャーセンターでの稲垣史生の「時代考証教室」に通い、その熱心さに稲垣に正式な「弟子」として認められ、稲垣の川越の自宅に3年間通った。

22歳の時、雑誌『ガロ』1980年11月号で、吉原を題材にした『通言・室之梅』で漫画家としてデビュー。時代考証が確かな作品で、その作風は文芸漫画と呼ばれた。浮世絵を下地にした独特な画風に特徴があり、江戸の風俗を生き生きと描くことに定評があった。漫画家としての代表作には、葛飾北斎と浮世絵師たちの世界を描いた連作短編集『百日紅』、99話の怪談を描いた『百物語』がある。

1993年に漫画家引退宣言をし、「隠居生活」をすると発表したが、実際は骨髄移植以外に完治する方法のない血液の免疫系の病を患っており、体力的に無理が利かないので漫画家引退を余儀なくされていたことが、死後明らかにされた。引退後は自らのライフワークである江戸風俗や浮世絵の研究家として活動した。

fuji追加メモ

2011年02月20日放送「ミミガク」 『江戸庶民のくらし』

今回のゲストは、江戸文化研究家で早稲田大学エクステンションセンター講師、「図説世界を驚かせた頭のいい江戸のエコ生活」(青春新書)の著者・菅野俊輔さん。江戸時代にまつわる意外なお話が次々に飛び出しました。 まず「第一の扉」は、『今あるものは、すべて江戸にあった?』。続いて「第二の扉」は、「江戸の女たちのくらしとは?」。「第三の扉」は『100万都市・江戸のリサイクル』。

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