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2009年5月10日 (日)

089『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』 門田隆将 初版2008年

“光市母子殺害事件”

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Tennbinn 概要

判決、死刑――。最愛の妻子が殺害されたあの日から、9年。妻子を殺された深い哀しみの中、幾度となく司法の厚い壁に跳ね返され、なおも敢然と挑んだ青年。だが、それは決して孤高の闘いではなかった。自殺を考え、絶望の海を彷徨う青年の陰には、彼を励まし、支えつづけた人たちがいた。筆者は、青年が毅然とした姿勢を貫くまでに展開された凄絶なドラマを丹念に追う。

Tennbinn読むきっかけ&目的&感想

光市母子殺害事件が報道され、本村洋さんの真摯かつ明解な言葉をテレビニュースで聞くにつれて、あたしは「死刑」の意味を初めて考えるようになった。当時、本村さんの発言は大きく取り上げられていた、というか、だんだんそうなっていった。今は大阪府知事になった橋下弁護士が、テレビ番組で、弁護団に対する懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけて、話題になったりもした。

この事件が制定のきっかけの一つとも言える裁判員制度が今月から始まる。この制度に関する色々が取り沙汰され、ニュースになっている。適用されるのは、一定の重大な刑事事件だ。時には、死刑判決もでてくるだろう。

光市母子殺害事件は、1999年4月に起き、2008年4月に判決が出た。その9年間という長い道程で、本村さんが死刑をどう捉えていたのか、少しでもそれを知りたくなり、本書を読んでみる事にした。

さくら好み ★★★★★

思いもかけず、プロローグを数ページ読み始めただけで、あたしの目には涙が盛り上がり、鼻がズルズルし出した。それから最後のエピローグまで、一気に読んだ。本を読みながら、こんなに泣いたのは初めてかもしれない。

死刑の存在意義、犯罪被害者・被害者遺族にとっての裁判、報道姿勢のあり方などなど、色々と気付かされ考えさせられた。中でも特に、本村さんがTV番組の企画の一つとして、自身と同年代のアメリカの死刑囚に会いに行き、そこで交わされた言葉や彼が感じたことには、当事者ならではの重さを感じた。

本村さんが、“「自責の念」や「報復感情」という「犯罪被害」”から立ち直っていく様子に心うたれた。

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どのケースでも殺人=死刑とは思えない。遺族の報復感情は当然だと思うし共感も同情もするが、報復感情のままに叫ぶ姿を、第三者として冷静に見詰めてしまうのも又事実だ。本村さんの言葉が、感情だけに訴えていたら、こうも注目されなかっただろう。本村さんの言葉は、冷静な第三者に、罪と罰のあり方を考えさせる力があった。

あたし自身が当事者になる可能性はある。それは、被害者だけでなく、もしかしたら加害者になる事だってあるかもしれない。人生はまだまだ先が長いからね。でも、確実に言えるのは、第三者として事件に接する事のほうが圧倒的に多いという事だ。そして、第三者によって社会は平静を保ち、成り立っている。

単なる傍観者でいたあたしに、当事者の身になってという事ではなく、第三者として真剣に向き合わせてくれた本村さんに、心底敬意を払いたい。

Tennbinn覚書

1976年03月03日 佐藤(旧姓)弥生誕生
1976年03月19日 本村洋誕生
1981年03月16日 F誕生
1997年11月03日 本村洋・弥生、結婚
1998年05月11日 本村夕夏誕生

1999年04月14日 事件発生 (洋・弥生23歳 F18歳)
           光市母子殺害事件 wiki
2008年04月22日 差し戻し控訴審で死刑判決 (洋32歳 F27歳)

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◆本村さんの母の言葉

 「ネフローゼのこともあって、洋は当時、自分は長生きできないと思い込んでいました。洋にとって、弥生さんは生きる希望になりました。その意味で、弥生さんは洋の“命の恩人”だったと思います」

◆本村さんの上司の言葉

 「この職場で働くのがいやなのであれば、辞めてもいい。君は特別な経験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人たりなさい。」

◆積極的に社会に対し被害者としての立場で発言を行う

 「最後になりますが、裁判は加害者に刑罰を与えるだけの場ではありません。我々被害者が加害者と和解する場でもあり、被害者の被害回復の場でもあり、われわれ被害者が立ち直るためのきっかけとなる場でもあります。われわれの存在を忘れないでほしい。われわれを裁判から遠ざけないでほしい。今日ここにお集まりいただいた方々が私の意見に少しでも賛同してくだされば、幸いと思います。そしてこういうシンポジウムを通して私が(弥生と夕夏の)二人から学んだたくさんのことを社会に反映でき、少しでも世の中がよい方向に動いてくれればと切に思います。ご静聴ありがとうございました」

 「遺族だって回復しないといけないんです、被害から。人を恨む、憎む、そういう気持ちを乗り越えて、また優しさを取り戻すためには・・・・・死ぬほどの努力をしないといけないんです」

 単なる自分の「応報感情」を満足させるだけではない。司法にとって、そして社会にとって、今日の判決がなぜいけないのか、どうしてこれを許してはならないのか、自分も訴えるべきではないか、と思った。それが、ひょっとしたら、自分に課せられた「使命」ではないのか。それこそが弥生と夕夏の死を本当に「無駄にしない」ことではないのか。

 インターネット上で妻の絞殺された時の状況を図解した画像などが無作為に流布され、私の家族の殺され方などが議論されている状況を決して快く思っていません。しかしながら言論や表現の自由は保障されるべき権利でありますので、私が意義を唱えることはできないとは思っていますが、弁護団の主張やインターネット上で取り交わされる議論を沈痛な気持ちで静観しています。
 ただ、自分でもうまく感情を理解できないのですが、そのようなことが掲載されているところを拝見し、殺されている状況が図解されている妻の悔しさを思うと涙が溢れてきます。怒りなのか、虚しさなのか、この感情をどのような言葉で表せば良いのか分かりません。ただ、家族の命を弄ばれているような気持ちになるのは確かだと思います。
 私は、事件直後に一つの選択をしました。
 “一切社会に対し発言をせず、このまま事件が風化し、人知れず裁判が終結するのを静観するべきか、積極的に社会に対し被害者としての立場で発言を行い、事件が社会の目に晒されることで、司法制度や犯罪被害者の置かれる状況の問題点を見出してもらうべきか”
 そして、私は後者を選択しました。家族の命を通して、私が感じたままを述べることで社会に何か新しい視点や課題を見出して頂けるならば、それこそが家族の命を無駄にしないことに繋がると思ったからです。
 しかし、先のように世間の話題になることで、インターネット上で家族の殺害状況の図解までが流布される事態を目の当たりにすると、私の判断が間違っていたのではないかと悔悟の気持ちが湧いてきます。

◆“天網恢恢、疎にして漏らさず”

 F君。私が君に言葉を掛けることは、これが最後だと思う。最後に、私が事件後に知った言葉を君に伝えます。中国、春秋戦国時代の老子の言葉です。
 “天網恢恢、疎にして漏らさず”
 意味がわからなければ、自分で調べてもらえればと思う。そして、この言葉の意味をよく考えてほしい。
 君が、裁判で発言できる機会は残り少ないと思う。自分がこの裁判で何を裁かれているのか、己の犯した罪が何なのか、自分が何を成さなければならないのかをよく考え、発言をして欲しい。そして君の犯した罪は、万死に値する。君は自らの命をもって罪を償わなければならない。
 (*この時の本村さんは、過去の判例からFが無期懲役になるものと思い、上記の言葉を述べている。)

◆「死刑」

 本村は、死刑制度というのは、人の命を尊いと思っているからこそ存在している制度だと思っている。残虐な犯罪を人の命で償うというのは、生命を尊いと考えていなければ出てくるものではないからだ。

 「死刑がなければ、これほど皆さんがこの裁判に注目してくれたでしょうか。死刑があるからこそ、Fは罪と向き合うことができるのです」

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◆「僕はその狼少年です」

 「狼が来た、狼が来た、とウソを言ってみんなを驚かせていた少年が、いざ本当に狼が来た時、誰にも信じてもらえず、食べられちゃう話です。僕は、その狼少年です。(この差し戻し控訴審で)僕は本当のことを言いました。でも、信じてもらえませんでした。でも、これは僕の責任です」

 「僕は、四年前、ある教誨師と出会ってから変わりました。その教誨師からいろいろ教えられ、思うことが多くなりました。自分自身が大切にされることで、そのことの重要さを教えられました。人の命の重さを教えてもらったのです。本当にありがたかったです。その教誨師に、(今回の話は)してありました。(だから)弁護団がつくりあげたものではありません」

 「僕は本村さんに、本当にお詫びしたい。(死んだ)二人にも謝りたい。でも、それを本当だと受け取ってもらえない。僕には償いが第一なんです。僕は過去の過ちを何べんでも何百ぺんでもすみませんと、言いたい。それをお伝えしたいんです」

 「今朝、ラジオを聴いていると、昨日の記者会見での本村さんの言葉が流れました。“どうしてあんな供述をしたのか、事実を認めて反省の弁を述べていたら死刑を回避できたかもしれないのに”という言葉でした。僕はそれを聞いて、もったいない、と思いました。そして、本村さんが“死刑が回避されたかもしれない”といってくれたその言葉だけで、少し救われた気がしました」

 「僕としては何度でも償えるだけ償いたい。僕は殺めた命に対して、命をもって償うのはあたりまえのことだと思っています。僕は死ぬ前に、ご迷惑をお掛けした人や、お世話になってきた人に、きちんと恩返しをして死刑になりたいと思っています」

 「僕は家族を持ったことがありません。父親という立場になったこともありません。“家族”というものを構築した経験がありません。でも、僕がやったことの大きさはわかるようになりました・・・・・」

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◆弥生さんの母の言葉

 取材の過程で、弥生さんの母・由利子さんは筆者に「洋さんには、幸せになって欲しい」と何度も語った。事件発生以来、背負いつづけている十字架を、本村君もそろそろ下ろす時が来たように思う。

 

Tennbinn著者

Kadota 門田 隆将(かどた りゅうしょう、1958年 - )は日本のジャーナリスト。本名門脇 護(かどわき まもる)。高知県安芸市出身。土佐高等学校、中央大学法学部政治学科卒。

大学卒業後、新潮社に入社。同期に翻訳家の大森望(高校の1年後輩でもある)。『週刊新潮』に配属され、数々のスクープをものにする。記者、デスクを経て、編集次長に就任。政治、経済、歴史、事件など、さまざまな分野で、同誌の中核記事を担当する。少年事件において、神戸・酒鬼薔薇事件の被害者遺族の手記を発掘するなど、少年法改正に大きな役割を果たした。同誌の創価学会関連記事も、デスクとして数多く手掛けた。次長時代の1996年に手掛けた「信平手記」について、創価学会から現在も攻撃されている。

その後、副部長に昇進するが、2008年4月に独立。2002年10月から『週刊新潮』に「裁判官がおかしい!」を連載、後にそれを大幅に加筆して、『裁判官が日本を滅ぼす』を新潮社から刊行している。同書では小野悦男が1996年に殺人容疑で逮捕された事件(無期懲役で有罪確定済み)について、以前に逮捕されていた千葉の強姦殺人事件を逆転無罪とした東京高裁の裁判官に対して「無罪病」と非難している。新潮社勤務中ながら講談社から『甲子園への遺言』を発表する。『甲子園への遺言』は第16回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。NHK土曜ドラマ「フルスイング」(主演・高橋克実)としてドラマ化され、ベストセラーとなった。

創価学会員ジャーナリストの柳原滋雄は門田の創価学会関連記事を捏造報道として現在も批判を展開している。2008年7月、光市母子殺害事件遺族の本村洋を描いた『なぜ君は絶望と闘えたのか――本村洋の3300日』(新潮社)を刊行、大宅壮一ノンフィクション賞候補にノミネートされた。

 

智に働けば角が立つ

情に棹させば流される

意地を通せば窮屈だ

とかくに人の世は住みにくい

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でも だからこそ・・・

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