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2009年5月16日 (土)

090『虚構 堀江と私とライブドア』 宮内亮治 初版2007年

なぜライブドアで働いてきたのだろうか

何が私を拘置所に送り込んだのか

自分は何のために働いているのだろう・・・・・

20090516_1

pen概要

「ニッポン放送、フジテレビは、なぜ騙されたのか」。プロ野球進出騒動、総選挙、村上ファンドとの関係、ITの寵児が疾走した「既存勢力への挑戦と限界」。未熟さゆえの罪や失策を素直に認めつつ、卑下することなく等身大のライブドアを語る。    

pen読むきっかけ&目的&感想

あたしが始めて宮内氏を知ったのは、ライブドアの社内を紹介するテレビ番組でだったと思う。その番組内で宮内氏が、「ホリエは客寄せパンダみたいなもんですよ」なんて言ってのけるのを聞いて、ちょっとビックリしたのを覚えている。その何年後かに事件が起こった。宮内氏も渦中の人となり、中心人物の一人としてニュースに取り上げられていた。

彼の目から見た事件にも興味があったので、堀江氏の『徹底抗戦』も読んだことだし、読んで見る気になった。

さくら好み ★★★★☆

本書『虚構 堀江と私とライブドア』を読んでから堀江氏は自著『徹底抗戦』を記している。だから、堀江氏の弁を思い返しながら本書を読んだ。そうする事によって、両書の行間を読み取る事が出来た。

本書の中で宮内氏は、ライブドアの悪いイメージは堀江に因るものではないだろうか、と述べている。逆に堀江氏の『徹底抗戦』の中では、ライブドアの悪いイメージは宮内に因るものではないだろうか、と述べている。何を“悪いイメージ”だと思っているかで、違いが出てくるのだろう。個人的には、良さも悪さも、両者に因ってイメージが形作られていたと思う。

お互いがお互いをどう認識しているか、又は、どう認識しようとしているかが伺えた。と同時に、お互いを見失っていく様子も垣間見えた。

両者の言い分や事件の是非とは別次元の話だけど、本書を読んで、宮内氏に持っていた嫌悪感が払拭された。と同時に、『徹底抗戦』を読んで堀江氏に持った嫌悪感も払拭された。・・・かといって、好ましく感じるようになった分けでは無いけどね。

ただ、あたしが感じた「嫌悪感」が何だったのか、改めて考えてみたいと思った。catface

pen覚書

◆なぜライブドアで働いてきたのだろうか

53日間の拘置所生活。日常生活で53日間などアッという間に過ぎ去る印象だが、拘置所にいると本当に長い。「鬱」になる拘禁症状も出た。検事と弁護士以外に対話する相手はおらず、良くない連想が続いて精神が不安定になったりもした。

ただ、久しぶりに人生を振り返る時間は持てた。宗教書とか哲学書とか、普段は手に取ることのない分野の本に目を通したりした。思索の時間もたっぷりとある。

なぜライブドアで働いてきたのだろうか、何が私を拘置所に送り込んだのか、自分は何のために働いているのだろう・・・・・。

なかなか結論の出る話ではない。だが、時間一杯、考え込んでいると自分の気持ちがすっきりしてくる。そして、ひとつだけわかったのは、「自分は必要とされることを求める人間だ」ということだ。

たくさんおカネを稼いでいい思いをしようとか、早くリタイアして遊ぼうとか、ビジネスにはいろんな動機があると思うのだが、私は正直に言って、カネや遊びにはそれほど心が動かされない。それより、ビジネスに居場所を見つけ、仲間とともに一体感を持って、楽しく働くのが一番好きなのである。それも私を求める人とともに――。

私は、両親の離婚によって、3歳年上の姉とともに祖母に育てられた。両親の顔を知らず、祖母の年金でやっとの暮らしをしてきた子供の頃は、周囲に比べかなり貧しかったと思うのだが、それが普通だから、他人をうらやましく思う感情はなかった。

ただ、「誰かに必要とされたい」という欲求は人並み以上にあったのではないかと思う。そこにあるのは、必要とされていないんじゃないかという孤独感だ。もちろん、そんな感情は長じるにつれ、友人ができたり、恋人ができたりして解消していくのだが、今の私の心のなかにも、「原体験」として、その寂しさがあるように感じる。

◆第一歩を踏み出したことは記しておきたかった

みんなで楽しく働きたいし、そんな環境の会社にしたい――私のなかにある仕事へのモチベーションは、そんなところから生まれていることが、自分を見つめ直すなかで判明したのである。

一度、役割を終えたライブドアは、選択と集中を進めたうえで、再生への道を歩み、うまくいけば再上場も可能だが、その時、社名も社風も業態もすべて変わっていよう。そしてライブドアが変化したように、堀江も私も、あるいは他の中核メンバーも新たな道を探し、歩み出そうとしている。

みんな30代でまだ若い。堀江は公判を終えたら宇宙ビジネスを始動させるつもりのようだ。私は本書に記したように、中国に軸足を置いたビジネスを展開、グローバル化のなかで、“主戦場”は世界に広がるのではないかと思っている。事件の被告になった他のメンバーも、あるいは事件に連座しなかった元役員らも、それぞれに会社を起こすなどして、したたかに再生を始めている。

世の移り変わりは激しく、経済社会の持つスピード感は、さまざまな事象を後ろに押し流す。ライブドアは、やがて経済史に「行き過ぎたベンチャー企業」として刻まれるのだろうが、そこで働いていた人間は、第二の人生を歩み、別の形で新たに経済史を飾るかもしれない。

「堀江の側近」として認知され、刑事被告人となった私は、次に始めた経済活動で、歴史に何を刻むのか。それが誰の記憶にも残らない些細なものに終わるのか、あるいはもう一度記憶に残る企業に成長させられるのかは分からないが、その準備が整い第一歩を踏み出したことは記しておきたかった。

と同時に、本書は「内から書かれたライブドアの実像」である。「事件」を反省のうえケジメをつけるためにどうしても残しておきたかった。

pen著者

Miya 両親の離婚後、露天商の祖母の下で育つ。高校卒業後、税理士事務所で働きながら、税理士資格を取得。税理士活動中にオン・ザ・エッジ(現・ライブドア)の税理業務を請け負う。その仕事において堀江貴文と出会い、会社のアドバイザーとして活動するようになる。

後に税理士を辞め、オン・ザ・エッジにCFOとして入社し、オン・ザ・エッジのM&A部門を担当。税理士としての知識を生かしながら、オン・ザ・エッジの数々の買収を担当した。ライブドアとイーバンク銀行の提携の際にイーバンク銀行営業本部長として就任するも、提携が進まなかった責任を取り、ライブドア取締役を一時的に辞任。

その後、ライブドアが近鉄バファローズ買収などの球界参入、ニッポン放送株取得を巡る買収でも中心的な役割を果たした。

2006年1月17日のライブドア関連の家宅捜索を期(ライブドア事件)に、ライブドアの経営手法に批判が集まる。経営の中心を担っていた宮内にも批判が出て、ライブドア傘下に入ったダイナシティ社長就任を撤回。

同月23日に証券取引法違反の容疑で逮捕。24日にライブドア取締役を辞任。逮捕後は容疑を一貫して否認している堀江とは対照的に、容疑を大筋で認める供述を繰り返している。裁判においても堀江とは全面的に対立している。

2009年1月25日には上告を取り下げていたことが明らかとなった。宮内側は「判決内容には不満だが、早期の社会復帰を優先させたい」と理由を述べている。2009年2月16日、宮内亮治が刑事施設に収監されたことが東京高検により発表された。 wiki

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