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2008年11月30日 (日)

069『格差社会―何が問題なのか』 橘木俊詔 初版2006年

日本は第三のグループ「低福祉・低負担の国」

日本は現在すでに「小さい政府」

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fuji 概要

低所得労働者の増大、新しい貧困層の出現、奪われる機会の平等…。教育や雇用などあらゆる場で格差が拡大するなか、いま日本社会に何が起きているのか。格差問題の第一人者である著者が、様々な統計データによって、格差の現状を詳細に検証し、不平等化が進行する日本社会のゆくえを問う。

fuji 読むきっかけ&目的&感想

小泉元首相の頃から「格差社会」という言葉をよく聞くようになった。今更だけど「格差社会」ではどういった事が、どういう問題になるのかを頭の中で整理したくなったので、本書を借りて読んでみた。でもって、頭の中を整理しつつ、今後この「日本社会の格差」がどうなっていくか想像する糸口を掴めたらいいなぁ、と思いながら読んだ。アメリカのサブプライムローンの破綻による経済の悪化は日本にも波及しているし、今後も‘貧困層’が増えていきそう・・・・・、何がどうなるのかな?

さくら好み ★★★☆☆

fuji 覚書

◆結果の不平等は自己責任

イギリスとアメリカは、これまでも常に不平等度の高いグループに入っていました。いずれも、新自由主義という思想を基本に置いた国です。いわゆる市場原理主義に基づいて競争を促進するような経済体制をとっており、所得分配という結果の不平等についてはさほど問題とせず、「自己責任」が貫かれています。今日、政治家や企業家をはじめ、新自由主義への信奉を強める傾向が日本にあります。日本の不平等のレベルが、アメリカやイギリスに近づきつつあるのは、そうしたところにも要因があると、私は判断しています。

補足として、ニュージーランドについても触れておきます。この国は、80年代半ば以降、規制緩和政策を強行に推し進めたことでよく知られています。この規制緩和政策がある程度成功して経済が活性化したことにより、日本からも多くの視察団が訪れました。しかし、今日にいたって、この規制緩和が行き過ぎたという反省がニュージーランド国内で起きています。所得配分の不平等化もそうした反省を促すことになった一つの契機であったと契機であったと想像されます。

◆日本の構造改革の評価すべき点

第一は、不良債権の処理に成功したことです。バブル崩壊以降、銀行など金融機関の不良債権が急増しました。多くの金融機関が倒産し、連鎖倒産という事態も起きました。それに対して、政府は不良債権の処理策を素早く導入し、ある程度成功を収めました。このことが、その後の景気の回復の起爆剤になったのです。

第二に、地方の公共事業の削減を行ったことです。これまでの日本社会では、中央から地方にお金を支出して、橋や道路や港湾などの建設を公共事業として行わせました。このことが地方経済を守ることに寄与したことは否定しませんが、公共事業には、高速道路や橋などをはじめ無駄なものも多く、地域の自然環境を破壊することにもつながっていました。それを「中央から地方へ」という掛け声のもと削減したことは評価すべき点でしょう。

このように構造改革には評価すべき点がありつつも、しかし、様々な問題を含んでいます。

◆市場原理主義・新自由主義 or 平等志向・共生・共助

格差を容認し、助長している構造改革の底流には、どのような思想や原理が働いているのでしょうか。構造改革は、哲学としては市場原理主義を基盤にしています。この点においては、先に触れたレーガン、サッチャーの経済改革も同様です。すなわち、極端に言えば、市場にすべてを任せれば経済学はうまくいくという論理です。新自由主義という言い方をしてもよいでしょう。英語ではリバタリアン(自由至上主義)と呼ばれ、自由がすべてに優先するという考え方です。徹底的な規制緩和も、これに通じる考え方です。

この市場原理主義や新自由主義に対立する概念としては、公共政策の役割を重視する考え方があります。代表的には、ケインズ経済学です。ケインズは混合経済という概念を唱えました。すなわち公=政府と、民=私企業が一体となって経済を運営していくという考え方です。

しかし、最近の経済学においてケインズ経済学は退潮しています。むしろ市場原理主義や新自由主義の考え方を採用する新古典派経済学が、ケインズ経済学を凌駕するほどの勢いで広まっています。経済学者で言えばフリードマンやハイエクなどの考え方が勢いを増しています。

市場原理主義や新自由主義に対立する概念は他にも、平等志向、共生あるいは共助を重視する考え方もあります。英語ではリベラリズムと呼ばれています。20世紀の代表的な哲学者の1人に、ロールズがいます。彼は、社会にとって自由は基本的に大切なことだが、「最も不幸な立場にいる人の厚生を上げることを政策の基本とすべし」とも提唱しています。これは「ロールズの格差原理」と呼ばれています。

リベラリズムとリバタリアンという対立する二つの考え方のうち、はたして、日本は今後どちらの考え方を採用するのか。

◆経済効率重視が社会全体を豊かにするという幻想

レーガンやサッチャーの経済改革と同様に、構造改革は、経済効率を高めることに主眼を置いています。すなわち、経済効率を高めるために競争原理を積極的に導入し、その結果として、所得分配の不平等化が進んでもかまわない、結果の平等を重視しないという立場をとっています。また経済効率が高まるということは、パイが増えることだと主張します。すなわち、経済効率が高まれば、社会全体も豊かになり、その結果、下層の人にもベネフィットが波及するという考え方です。そして、競争を促進するためにも、結果の平等ではなく、機会の平等こそを重視すべきで、競争に敗れた敗者には、セーフティネットをもうければよいと主張します。

しかし、現在の日本に目を向けた場合はどうでしょうか。税の累進度は低下し続け、高額所得者、高額資産保有者が優遇されています。しかも、社会保障は負担のアップと給付の削減策の連続です。したがって、経済効率を上げることによって社会全体が豊かになるというのは、今日の日本社会においては、幻想に近いとさえ言えます。

また、セーフティネットについて言えば、日本のセーフティネットは世界的にも最低の水準にあるのです。それを、さらに削減しようというのが、現在の構造改革です。したがって、構造改革を提唱する人たちが主張する敗者復活のためのセーフティネットの充実とは、まったく逆の状況が進行していることを、ここで指摘しておく必要があります。

◆高額納税者の職種

日本の富裕層には、二つの職種が該当します。一つは企業経営者です。企業のトップ、社長や会長などです。ちなみに企業の経営者には、社長や会長ではない、副社長以下のいわゆる取締役、重役という人たちも存在します。この経営者の二つの種類について比率を見ると、高額納税者の31.7%が社長や会長のトップであり、11.6%が副社長以下の取締役となっています。合計43.3%が経営者なのです。

もう一つの職種は医者です。医者が高額納税者の15.4%を占めていることになります。これらの数値を合わせると、日本社会において高額納税者の6割前後が経営者と医者になっています。すなわち、経営者および医者は富裕者の二大職種と見なすことができます。

ちなみに、経営者と医者以外で高額を得ている職種には、芸能人、プロスポーツ選手が合わせて2.2%、弁護士が0.4%、その他が38.7%となっています。

◆富裕層である経営者における変化

第一に大きな変化として指摘できるのが、富裕層となる経営者が従事する産業の職種の変化です。すなわち、どの産業の経営者が富裕層となっているのか。高度経済成長の担い手だった基幹産業のトップが富裕層となっていた1960年代。サービス産業の経営者が富裕層として現れてきた1980年代。情報通信、化粧品製造、飲食店チェーン、パチンコ店経営、コンサルタント、消費者金融、シンクタンク、人材派遣業といったサービス産業化がますます進んだ産業の経営者が富裕層として登場してきた2000年代。

第二の大きな変化は、経営者の種類の変化です。1960年代の高度経済成長期においては、ほとんどがサラリーマン経営者(←会社で昇進を重ねてトップになった人)でした。それが1980年代に入り、サービス産業経営者が増え、その中には創業経営者も多く存在しました。そして、2000年代に入り、近年、特に注目されているIT企業など、創業経営者が富裕層として、非常に増えてきています。

第三の変化として指摘できるのが、企業の規模です。かつては、富裕層に名を連ねる経営者の企業は、大企業がほとんどでした。しかし、成功すれば、大企業での経営者以上の相当な収入を得るような企業経営者が増えてきています。

◆経営者の視点

サラリーマン経営者は、労働者の視点でも見る事が出来る。創業経営者は、労働者の視点で見る事が出来ず、資本家としての見方しか出来ない傾向がある。

◆現代の富裕層の行動

第一に、汗水たらして働かずに、株や債権の資産運用をうまくやって、所得や資産を増やすという風潮が高まっています。

第二に、アメリカで一時盛んであった「法人成り」が日本でも導入されつつあります。法人税率が下げられたことによって、所得税率が法人税率よりも高くなっています。そこで、会社員のような個人として高い所得税を払うよりも、法人となって自分の会社を作り、自らは社長におさまって、低い法人税率で税金を払う払う方法を採る人が現れます。

第三に、これも節税対策の一つですが、住居を税率の低い海外の国に移して、税金の支払いをできるだけ低く抑制したいという行動が見られます。

◆階層の固定化

現在の国会議員には、親が政治家であった人たち、すなわち二世、三世議員が非常に多いです。かつての政治家というのは、主として二つのタイプが多かったのです。一つは高級官僚上がり。もう一つは労組の幹部上がりです。もっとも、ここでは、国会議員に高級官僚と労組幹部上がりが多かったことの是非は問いません。

中央官庁の官僚や労組のトップは、かつては親の階層や職業が影響することは少なかったのです。たとえば高級官僚の場合、かつても現在も東大の卒業生が多いです。しかし、以前は、公立学校から東大へ入る学生が多かったわけです。その意味では、官僚になることは、ある程度、本人の努力に負っている部分が大きかったのです。労組の幹部の場合は、自分が入った企業で組合幹部になり、その後、政治家となる官僚などよりも、親の職業が与える影響は少ないでしょう。

ところが今の政治家というのは、そのようなケースが減ってきています。親が政治家であり、その親の「地盤」などを受け継ぎ、子供が政治家となる場合が増えてきています。政治家になるには、親が政治家であることが有利なのです。この例なども、社会移動の開放性が低くなっている、すなわち階層の固定化を示す一つの例と言えるでしょう。

次に医者について考えてみましょう。先にも紹介した『お金持ち研究』で行った調査によると、医者の4割程度が自分の子供も医者であると回答しています。したがって、医者の世界では、親子ともに医者というケースは少なくないと言えるでしょう。すなわち、政治家の場合と似たようなことが医者の世界でも起こっているのです。

◆公平性を犠牲にしなければ経済効率は高まらないのか?

経済効率を高めるためには、貧富の格差が拡大するのはやむをえないという考え方は「効率性と公平性のトレードオフ」と言い換えることができます。「トレードオフ」とは、AとBが同時に成り立つことはなく、どちらか一方を優先する際には、他方を犠牲にしなければならない、ということです。したがって、効率性のためには公平性が犠牲になっても仕方がない、さらに言えば、公平性を犠牲にしなければ、効率性は高まらないという考え方です。

◆貧困者や弱者が増えることは社会に大きな問題を引き起こす

第一に経済効率の問題です。たとえば、あまりにも低い賃金に抑えられている労働者が増えたらどうなるでしょうか。彼らは、勤労意欲を失ってしまうでしょう。働いても仕方がない。そう思う人が増大したら、どうでしょうか。日本経済の活性化にとってもマイナスの要因となってしまうと、私は危惧します。

第二に、貧困者が失業者であれば、その人は働いていないことを意味しています。働いていないということは、人事を有効に使用していない、あるいは人的資源をムダにしているといえます。

第三に、犯罪が増えるのではないかという危惧です。貧困者や弱者は、社会から疎外されているという劣等感を持つ場合が少なくありません。不幸なことに勝者を憎み、あるいは、高所得者に嫉妬を感じるかもしれません。その結果、犯罪に手を染めてしまう人も出てくるでしょう。貧困者や弱者が増えることは犯罪の可能性を増やし、社会を不安定にするということです。

第四に、貧困者や弱者が増えることは、逆に社会の負担を増やしてしまうという矛盾が生じるのです。貧困で生活できないという人に対しては、公的な経済援助を行う必要があります。したがって、貧困者が増えれば、そうした経済援助負担が自動的に増えるということです。

第五に、倫理的な問題です。豪邸に住み華麗な消費に走るお金持ちと、みすぼらしい家に住み日々の食に困るような貧困者が並存しているような状態が、はたして人間的なのでしょうか。あるいは、強者が弱者を見下すこともありえるでしょう。子どもの頃から、勝者、敗者が固定されていれば、そのことがいじめにつながるかもしれません。そして、そうした子どもが大人になったとしたら、いじめが社会的に定着する恐れもあります。

もちろん、どの社会にもある程度の高所得者と低所得者の並存というのはありますし、経済効率を保つためにも、ある程度の格差は容認されます。しかし、それが行きすぎた結果、いま述べたような状態が起こることが、はたして人間的なのかどうか、私は大いに疑念を感じます。

◆「健康格差」

アメリカにおける「健康格差」という現象をどう考えるべきなのでしょうか。現在、格差が拡大し、セーフティネットを減らし続けている日本においても、同様の問題が起こる可能性は考えられるでしょう。実際に日本でも似たようなことが発生しつつあります。一部の貧しい人々が国民健康保険料が支払えず、したがって病院に行けない、あるいは治療を受けられない、ということが見られています。こうしたことも、はたして人間的にふさわしい社会と言えるのでしょうか。私は、大いに問題を感じずにはいられません。

◆格差はどこまで認めればよいのでしょうか

この質問に対して、二つの考え方があります。一つは、格差の上層と下層の差に注目する考え方です。上層と下層の差をどこまで縮めればよいのか、あるいは縮める必要がないのか、と考える方法です。この場合、上層と下層の差に注目するので、貧困者が存在することは容認します。

もう一つは、下層が全員貧困ではなくなるためにどうすればよいか、という考え方です。上層と下層の差の存在を認めつつ、貧困者がゼロの世界を想定するのです。

私の価値判断は、どちらかといえば後者の考え方を支持しています。なぜなら、すでに述べたように、貧困が増えることに大きな問題があると見なすからです。

◆機会の平等・不平等

機会の平等・不平等というのは、人々が教育を受ける、職業に就く、企業で昇進するといった際に問題となります。公平性が高いということは、機会の平等が保たれていると理解できます。

逆に機会の平等がない社会を考えてみましょう。機会の平等がない社会では、誰もが競争に参加できません。有能な人、頑張れそうな人を競争に取り込まないという懸念が生じます。そのような人が、教育を受けなかったり、仕事をさせてもらえなかったり、昇進できなかったりといった具合に、そもそも競争に参加できずに、力を発揮するすることができないとしたら、これは経済効率の面から見てもマイナスとなるでしょう。なざなら、本来は経済効率を高めるのに貢献するだろう人々が排除されているからです。

このように、機会の平等・不平等の視点から効率性と公平性を検証すると、機会の平等性が達成されることが、むしろ経済の効率性を高めると結論づけられます。したがって、機会の平等・不平等から公平性を理解した場合は、効率性と公平性はトレードオフの関係にはないと解釈できます。

◆動機と政策は実態に即したものなのでしょうか

日本社会でも、経済の効率性を目指して、所得税の減税を行ってきました。高い所得を得ている有能な人の勤労意欲を失わせないためです。高所得者の要求に政府が応えた形です。さらに、貯蓄を促進させるために、資産課税への減税政策も行ってきました。貯蓄を促進することで、日本の資本貯蓄を充実しようという動機です。では、はたして、こうした動機と政策は実態に即したものなのでしょうか。私は、この問題を実証的に研究してみました。

その結果によると、日本において高所得者が高い税金を取られても、勤労意欲を失ったという実際の証拠はありません。私の見るところでは、高所得者たちが減税しろと主張したのは、ただ税金を払うのが嫌だというだけであり、税金を低くしたら勤労意欲が高まるという事実は証明されていません。税の高低によって、労働供給に効果は現れていないのです。また日本国民の貯蓄行動を見る限りにおいても、利子や配当の課税とはほとんど無関係に、貯蓄行動を行ってきています。すなわち、ここでも税の高低は貯蓄行動に影響は与えていません。

したがって、有能な人、高い所得の人の勤労意欲を阻害してはいけない、あるいは資本貯蓄にマイナスがあってはいけない、というような動機に基いた税制の改革は、実証研究においては支持されないと、私は判断します。このことはいくつかの学問的研究によっても確認されています。逆に言えば、仮に税が高くても、高い勤労意欲、あるいは高い資本貯蓄は保てるということです。言い換えれば、日本経済は、効率性と公平性の両立を目指すことが可能だと判断できます。

◆格差の是正

・職務給制度の導入
  オランダのワークシェアリング
  日本でも、戦後一時期、職務給制度を導入しようとする機運がありました。しかし日本では職務給制度が入らずに、いわゆる年功序列制や生活給制度が導入されて主流になったという歴史があります。

・最低賃金制度の改善

・公共部門がフリーターやニートに職業訓練を施す

・地域格差の是正

・教育格差の是正
  奨学金制度と公教育改革
  職業教育体制の充実

◆急がれる貧困の救済

・生活保護制度の見直し

・失業保険制度の充実

◆逆進性の高い消費税

消費税も所得配分の不平等化において重要な役割を果たしています。消費税は、基本的に逆進性のある税です。逆進性というのは、低所得者の人からたくさんの税金を取り、高所得者の人からあまり税金を取らないという方式です。累進性と逆の特色です。なぜ消費税が逆進性といえるのでしょうか。それは、ある人の所得における消費の比率というのは、その人が高所得者であれば低く、低所得者であれば高くなる事から説明できます。

所得税、相続税の二つの税制度が累進性を下げており、さらに消費税も逆進性を高めています。したがって、こうした税制度の変化が、所得配分の不平等化に貢献したと言えます。

◆福祉と税負担

日本社会では、一般的に、次のような認識が広く存在してます。日本は税金が高く、社会保険料も高い。にもかかわらず、国民への社会保障の還元は非常に少ないという認識です。社会保障の還元が最低レベルであることは、統計と合致しています。しかし、税と社会保障の負担率は、実際は、国際的に見ても低いのです。

税および社会保障の水準の違いによって、先進国は次の三つのグループに分けることができます。第一のグループは北欧諸国に代表される「高福祉・高負担の国」。第二のグループはイギリス、ドイツ、フランスなどヨーロッパの大国に代表される「中福祉・中負担の国」。第三のグループがアメリカに代表される「低福祉・低負担の国」です。日本は第三のグループ「低福祉・低負担の国」となります。すなわち、日本はすでに「小さい政府」を実現させているのです。

◆日本は現在すでに「小さい政府」

実際には「小さい政府」を実現させているにもかかわらず、政府の役割をもっと小さくすることが、現在の日本では、声高に主張されています。また、充実した社会制度は民間経済の阻害につながるという主張もあります。

「小さい政府」の必要性を主張しているのは、政治家や経営者だけではありません。国民の中にも、その主張に賛成している人は少なくありません。その最大の理由は、政府への不信感ではないかと、私は考えます。すなわち、日本の政府は無駄な支出をやっているという意識が、国民の間に非常に強く存在しているのではないでしょうか。

無駄な公共事業をどんどん行う、あるいは天下りをはじめ、官僚が甘い汁を吸っている、さらには税金を取るだけ取って国民に還元しない、不正を行うなどなど、政府に対する不信感が非常に強いのです。そのために、政府をできるだけ小さくして、無駄を減らして、民間にまかせるべきだという意見が出てくる余地が生じるのです。

先述したように、国際的に見ても、日本は現在、すでに「小さい政府」を実現させています。社会保証制度、あるいはセーフティネットについては、北欧諸国などとは比較にならず、ヨーロッパ諸国と比べても、非福祉国家の典型としてそのレベルは劣っています。にもかかわらず、今後もますます「小さい政府」を目指し、社会保証制度において、給付を削減し、負担を上昇させる政策が採られ、セーフティネットは縮小の一途です。

格差をめぐって論議が起きると、格差拡大を是認する人々は、おおよそ次のような主張をします。貧富の格差が広がっても、しっかりとしたセーフティネットを確立させて、敗者、貧困者を救えばよい。したがって、セーフティネットの確保というものがある限りにおいては、ある程度貧富の格差が大きくなってもかまわないという主張です。しかし、実際には、そうした主張とは、まったく逆の状況が進行しているのです。

もっとも、日本は財政赤字額が大きいので、公共支出を減額させることによって「小さい政府」を目指すという主張もあります。無駄な公共支出を減らすことは重要です。したがって、私はこの主張には反対しません。しかし、福祉や教育への支出カットには賛成しません。

◆アメリカ型 ヨーロッパ型

現在の政府官僚や政権与党の政治家、あるいは財界人の間には、アメリカ型が日本にとってふさわしいというような意見が強くあります。

日本の国民の間には、ヨーロッパ型に賛成する声も少なくはありません。もし政府が年金、医療、介護などセーフティネットをしっかりと確立し、安心を保証してくれるのであれば、負担を厭う国民はそれほど多くはないと思います。ただし、そこで問題になってくるのが、先述した政府への不信感です。自分の負担が、政府において無駄や不正に使われているという不信感が、負担率アップへの抵抗感を強めます。したがって、政府はそうした無駄や不正を排し、国民の信用を回復する必要があるでしょう。いずれにしても、最終的には、その選択肢は国民に委ねられているのです。

現在、セーフティネットは削減の一途を辿っています。確かに、少子高齢化が、現在の日本には進行しており、社会保障給付の削減、負担の上昇というのは、ある程度やむをえないというのも事実です。

しかし、その制度を半永久的に続けていけば、国民が日本で生活していくための安心が保証できない時代を招いてしまいます。本書で述べてきたように、新しい貧困層の出現など、すでにそうした問題の芽が噴出しています。本書で私が示したような実態や考察を参考に、日本にとってふさわしい選択肢を、国民に選んでもらいたいと私は希望します。

fuji 著者

橘木 俊詔(たちばなき としあき、1943年 - )は兵庫県出身の経済学者であり、現在同志社大学経済学部教授。専攻は労働経済学。

灘高校を経て、1967年小樽商科大学商学部卒業。1969年大阪大学大学院修士課程修了。1973年ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程修了。大阪大学教養部助教授を経て、1979年京都大学経済研究所助教授。1986年同教授に就任。2003年同大学院経済学研究科教授、2007年より同志社大学教授。日本学術会議会員。元日本経済学会会長。

教育者としては、自らが体系的に話したり板書したりすることはせず、学生に考えさせ発言させる対話形式の講義を行う。 ちなみに、学生から「立場無き」あるいは「バナーキー」と呼ばれ非常に親しまれている。

20081109

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コメント

◆技術者等の非正規雇用を明確に禁止すべき

▼民主党は、マニフェスト案において、『原則として製造現場への派遣を禁止』とす
る一方で、『専門業務以外の派遣労働者は常用雇用』としています。『専門業務』の
『常用雇用』が除外され、かつ『専門業務』に技術者 (エンジニア) 等が含まれると
すれば、これは看過できない大きな問題です。
技術者 (エンジニア) 等の非正規雇用 (契約社員・派遣社員・個人請負等) を明確
に禁止しなければなりません。
改正前の労働者派遣法に関する「政令で定める業務」の内容は、技術の進展や社会
情勢の変化に対し時代遅れになっており、非正規雇用の対象業務を、全面的に見直す
必要があります。
また、派遣社員だけではなく、「契約社員」・「個人請負」等を含む非正規雇用を
対象としなければなりません。

【理由】

●技術者等の非正規雇用が『製造現場』の技能職に比べて、賃金・雇用・社会保険等
において有利だという誤解があるならば、そのようなことは全くない。長時間労働
など過酷な労働環境に置かれている割には低賃金の職種で、雇用が安定しているか
というと、『製造現場』の技能職以上に不安定である。

技術者等が『製造現場』の技能職に比べて過酷な労働環境に置かれているにもかか
わらず、非正規雇用として冷遇されるのであれば、技術職より技能職の方が雇用・
生活が安定して良いということになり、技術職の志望者が減少して人材を確保でき
なくなる。努力して技術を身につけるメリットがなくなるため、大学生の工学部・
理学部離れ、子供の理科離れが加速する。一方、技能職の志望者は増加し、技能職
の就職難が拡大する。

●技術者等の非正規雇用が容認されると、マニフェスト案『中小企業憲章』における
『次世代の人材育成』と、『中小企業の技術開発を促進する』ことが困難になる。
また、『技術や技能の継承を容易に』どころか、逆に困難になる。さらに、『環境
分野などの技術革新』、『環境技術の研究開発・実用化を進めること』、および、
『イノベーション等による新産業を育成』も困難になる。

頻繁に人員・職場が変わるような環境では、企業への帰属意識が希薄になるため、
技術の蓄積・継承を行おうとする精神的な動機が低下する。また、そのための工数
が物理的に必要になるため、さらに非効率になる。事業者は非正規労働者を安易に
調達することにより、社内教育を放棄して『次世代の人材育成』を行わないように
なる。技術職の魅力が低下して人材が集まらなくなるため、技術革新が鈍化、産業
が停滞する。結局、企業が技能職の雇用を持続することも困難になる。

●派遣社員だけではなく、「契約社員」・「個人請負」等を含む非正規雇用を対象と
しなければ、単に派遣社員が「契約社員」・「個人請負」等に切り替わるだけで、
雇用破壊の問題は解決しない。

企業は派遣社員を「契約社員」や「個人請負」等に切り替えて、1年や3年で次々
に契約を解除することになり、現状と大差ない。

▲上記の様に、『製造現場への派遣を禁止』するにもかかわらず、技術者等の非正規
雇用 (契約社員・派遣社員・個人請負等) を禁止しないのであれば、技能職より雇用
が不安定となった技術職の志望者が減少していきます。そして、技術開発・技術革新
や技術の継承が困難になるなどの要因が次第に蓄積し、企業の技術力は長期的に低下
していきます。その結果、企業が技能職の雇用を持続することも困難になります。

これを回避するには、改正前の労働者派遣法に関する「政令で定める業務」の内容
を見直して技術者等の非正規雇用を禁止し、むしろ技術者等の待遇を改善して、人材
を技術職に誘導することが必要です。これにより、技術者等は長期的に安心して技術
開発・技術革新に取り組むことに専念できるようになります。その成果として産業が
発展し、これにより技能職の雇用を持続することが可能になります。

もしも、以上のことが理解できないのであれば、管理職になる一歩手前のクラスの
労働者ら (財界人・経営者・役員・管理職ではないこと) に対し意識調査をするか、
または、その立場で考えられる雇用問題の研究者をブレーンに採用して、政策を立案
することが必要です。

投稿: pMailAgency | 2009年8月27日 (木) 18時41分

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