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2008年7月20日 (日)

040『漫画映画の志』 高畑勲 初版2007年

『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』

“笑いながら 見つめよ だまされるな 考えろ”

20070719

***** 概要 *****

高畑監督が自らの作品作りの原点とするフランスの漫画映画『やぶにらみの暴君』。30年の歳月を経て、作者たち ― 監督ポール・グリモー、脚本ジャック・プレヴェール ― は、それを『王と鳥』という映画に作り直した。なぜ、彼らはそうしなければならなかったのか? そしていま、その映画が問いかけるものとはなにか? 作者たちの烈々たる志のもとに、一本の漫画映画がたどった驚くべき数奇な運命と、作品制作をめぐる壮大なドラマを追う。

***** 読むきっかけ、目的、感想 *****

1年ちょっと前、絵に惹かれて『王と鳥』をDVDで見た。それが、とっても良かったので、この本を読んでみたいなぁ、と思った。・・・まま、日は過ぎて、最近なぜかふと思い出したので、この本を借りてみた。

さくら好み ★★★★☆

実は、そんなに期待して読み始めたわけじゃないんだけど、意外や意外、面白かった。この映画作品を観て、その寓意に富んだ内容に、世界の今を感じたあたしの気持ちは、作者たちが計算して築いた表現がもたらしたものだということを、高畑監督の細やかなアプローチからまざまざと実感することが出来た。

もちろん、自分の気持ちに裏付けが取れたからだけで、この本を面白く感じた分けではない。「漫画映画」を観る醍醐味に対して目を開かれた事が、一番の要因だと思う。

***** 覚書 *****

◆この作品が長い時間を生き抜いているのは何故か

この作品が基本的に、独裁や抑圧に反対して人々の自由を謳いあげるものであることはお分かりのとおりです。それは人間にとって最も大切なことだと思います。しかしそんなメッセージだけで、映画が高く評価されることはありません。この作品が長い時間を生き抜いて、21世紀の日本で新作同然に封切られて違和感がなかったのはなぜか。その生命力の秘密はどこにあるのでしょうか。

そのわけはむろん、この作品が、メッセージ性を超えて映像として面白いからです。しかも、その面白い映像で、現代社会の本質を明らかにしているからです。すなわち、そこに登場する奇想天外なモノゴトやヒトが、現代史の変転をいまも体験しつつあるわたしたちにとって、ひどく生々しく感じられるからです。そしてその時々の現実の変転と重ね合わせてしまわずにはいられないものだからです。

◆心理学的解釈でこれを王の夢と考えてみる

Le_roi_et_loiseau_04 ほんものの王は、個人的には無能・無力で、やぶにらみで、そのコンプレックスにさいなまれるひ弱な性格の持ち主です。その絶大な権力も、自分の力ではなく、おそらく世襲で手に入れたものでしょう。王らしいカッコウ付けや態度を維持することに神経を注ぎ、当然虚栄心が強く、それが傷つけられることを極度に恐れています。ですから廷臣たちも王への追従に精を出します。射撃訓練も珍妙な「狩り」も、鳥のからかいに対する反応も、すべてそれらのあらわれです。下手くそで打ち損じても廷臣たちは「お見事!」と讃えてくれます。

Le_roi_et_loiseau_03 まるですっかり甘やかされた子供です。いや、「王」とはまさにそんな風に育ってしまった《ぼくは王さま》的現代人の隠喩かもしれない。そして孤独、すなわち独りになることが一番落ち着きますから、画家であれ廷臣であれ、そのためならば、あるいは気にくわないヤツなら、直ちに落とし穴で消してしまう。これも、現実に抹殺するのではなく、主観的に「亡き者」にしてしまうのだ、と考えることもできます。そして「孤独」を愛する王は、秘密の部屋で何をやっているかといえば、アペリティフを飲みながら、愛のシャンソン(「ロバと王様と私・・・・・・・」)を聴き、絵に描かれた羊飼い娘に恋心を抱いているだけです。

◆「羊飼い娘」と「煙突掃除(人)」の隠喩

Le_roi_et_loiseau_05 『やぶにらみの暴君』の原題だった『羊飼い娘と煙突掃除』の二人に関して先に考えておきたいと思います。これはアンデルセンからそのままもってきたものですから、映画の作者が考えた隠喩というわけではありません。

羊飼い娘は、フランス語で「昔々」をあらわす慣用句に「王様が羊飼いの娘と結婚していたころ」というのがあるように、昔話や民謡にも、王の求愛を受ける対象として出てきます。ちょうど万葉集第一歌で菜摘み娘へ雄略天皇が求愛するように。

いっぽう煙突掃除(煙突掃除人)は、ドイツなどヨーロッパ北部で「幸せをもたらす人」としてマスコットになっています。原作の煙突掃除の陶器人形も、おそらくそういうものでしょう。しかし煙突掃除をめぐる現実はもっと深刻でした。産業革命が進んだ19世紀、子どもたちが労働力に組み込まれ、過酷で悲惨な労働を強いられた時代、イギリスでは煙突掃除は子どもの仕事になったのです。

王の密室の絵のなかに、煙突掃除の男の子が文字どおり「出現」するのは、王をおびやかすことになるそういう新興下層階級の出現を意味しているのかもしれません。男の子は、梯子を使った絵からの脱出、暖炉から煙突までの逃避行だけでなく、罠にかかった小鳥の見事な救出でも、さらに王の探索をのがれるために秘密のアパルトマンの屋根からロープを使って別の屋根に飛び移るときも、自分の職業的熟練を見事に生かします。

◆「自由な外出」  プレヴェール

ぼくは軍帽を鳥籠に入れ
頭に小鳥をのせて外出した
なんだ もう敬礼はしないのか
司令官がたずねた
うん(=ノン)
もう敬礼しないと
小鳥が答えた
ふむそうか
失敬 わたしは敬礼するものとばかり思っていたものだから
あやまるこないよ だれしも間違いはあるものだもの
小鳥が言った。

これはドイツ占領下で書かれ、ひそかに回し読みされた有名な詩ですが、その秩序破壊の精神は時代を超えていまも反軍反戦の力を発揮します。題名の「自由な外出」とは、普通、兵営からの外出・自由行動を意味し、この場合「兵営」は占領下のフランスというわけです。

◆覚醒した目ですべてを見つめよ 考えろ

Le_roi_et_loiseau_01 安心して主人公に寄り添い、作者の導いてくれるままにただ感情移入しながら「見世物」を見るのではなく、覚醒した目ですべてを見つめよ、考えろ、というのはきわめてブレヒト的な映画の作り方です。ベルトルト・ブレヒトはご存知のとおり、『セチュアンの善人』などを書いた20世紀を代表する劇作家のひとりで、「叙事的演劇」「異化効果」の理論によって世界の演劇界に大きな影響を与えました。<異化>というのは、観客を同化させてカタルシスを与えるのではなく、対象を真に認識するために、観客が舞台上を観察し客観的批判的に見ることができるようにする工夫のことです。『やぶにらみの暴君/王と鳥』はまさにそのような工夫がなされていたわけです。ただ、感情移入全盛の現代では、こういう「ブレヒト流」は人気がありません。

◆タカルディ王国という都市国家の垂直構造

『王と鳥』の隠喩が、映像による見事な動的隠喩であることを最も端的明快に示したのはあの宮殿の至る所に仕掛けられた「落とし穴」ですが、その最も大掛かりで重要なものは作品の「世界構造」だと思います。

王が欲望のままに羊飼い娘と煙突掃除を追跡する、という見かけのストーリーを追いながら、じつはタカルディ王国という都市国家の垂直構造を暴露していくことに主眼があるのです。そしてこの都市国家の構造が、現代社会構造の、要するにこの世界そのものの、壮大な隠喩であることは言うまでもありません。

◆いったいみんなはどうなったのか、と思いをめぐらせずにはいられなくなったり、

Le_roi_et_loiseau_02 わたしたちはじつは逃げまどうこんなみじめな連中の一人かもしれない、と感じてしまったりするのは、この改作によってはじめて呼び起こされた想像力です。善玉である下層市街の住民に安易に自分を重ね合わせるのではなく、この縦型社会構造のなかで、いま自分はどこに位置しているのか、そしてどうなる運命にあるのかを意識させられるのです。その点で、改作による中流市民の出現の意味深さは計り知れないほど大きなものがあります。

◆「縦の構図」

『やぶにらみの暴君』の空間表現に関してぜひ指摘しておかなければならないのが、前景後景までを見透かした見事な遠近法による建築的な奥行きの深さです。そしてそこに人物を縦に配置した「縦の構図」 ― 映画では前後景を入れ込む深い奥行きをこう言います ― は、宮殿から猛獣園内部まで、あらゆるところでその求心的な力を発揮します。

◆リアリティ 工夫された複合音

効果音はどれひとつとっても単独音(たとえば「コン」)がありません。ちゃんと工夫して複合音(たとえば「コトン」)でアクションを感じさせます。残響などで材質感を出します。わたしが漫画映画をはじめてからも、音響は「マンガ音」と呼ばれたいかにもこしらえものの音が主流でした。音響スタッフにリアリティのある音の大切さを力説し要求し、実践してきたのも、『やぶにらみの暴君』から学んだことでした。

◆想定する受け手の心とフィードバックしやすい作品ばかり

「美しい心」なるものをはぐくもうとする以外、教育的とか啓蒙的とか、あるいは「役に立つ」漫画映画を目指す、などということは、日本では、冷笑されるか、ただうっとうしがられるだけの時代がここ何十年もつづいてきました。作り手のほうも、そんなおこがましいことはできないと思うだけで、その必要性や可能性を検討することさえせず、ただ「自分に正直」に、自分が見てみたい作品、想定する受け手の心とフィードバックしやすい作品に精を出すばかりでした。しかし果たしてそれでよかったのか。わたしたちがやろうとしなかったことをオスロ氏が確実に実行し、それに必要で充分な魅力を与えているのを見て、強く反省させられたのでした。

***** 著者 *****

高畑勲 wiki

高畑 勲(たかはた いさお、1935年10月29日 - )は、三重県伊勢市出身の映画監督、プロデューサー、翻訳家。東京大学文学部仏文科卒業。紫綬褒章受章。

日本のアニメーションを黎明期から支えてきた演出家で、「アルプスの少女ハイジ」「火垂るの墓」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」「じゃりン子チエ」などの演出で知られる。別名義にテレビ版「じゃりン子チエ」の演出時に使った武元哲がある。

20080713

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