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2008年7月 2日 (水)

037『近代日本語』 杉本つとむ 初版1966年

日本の近代化に日本語がどのような役割を果たしたか

20080629

***** 概要 *****

本書執筆の根本態度を一口にいうならば、日本の近代化に日本語がどのような役割を果たしたかということの探求である。であるから「近代日本語」の前に「近代化」とは何かが問われねばならない。答えは本書のすべてであるということができる。

甘美にして明晰なフランス語もその語源は卑俗なラテン語にあるという。農民や兵士・商人が口にしていたものであって、学者や貴族たちの用いた文学的ラテン語とは異なるという。日本での近代語の歩みを考察してくるとやはり相似た軌跡を描いていることを知る。もし「民衆語」という言い方があ許されるなら、近代語の歴史は民衆語の勝利の足どりでもあろう。

しかしフランス語など西欧の諸言語が血みどろな死闘を繰りかえして生きぬいてきたのと比して、日本語は狭い小島の中で安穏無事に育ったことが、近代語としてのひ弱さにも通じるであろう。

***** 読むきっかけ&目的&感想 *****

日本語の個性って何だろう、と探した本の一冊。日本語の育った環境が少しでも分かればいいな、と思いながら読んだ。

さくら好み ★★★☆☆

あたしには読むのが早すぎた本だった。つまり、近代語の成立に関する数十ページ(全体の5分の1程度)は面白かったものの、大半は面白いと感じられる程の理解が出来なかったのだ。

***** 覚書 *****

◆『デス』という言葉の生い立ち

江戸時代水商売の女専用といわれたデスやデアリマスが新しく東京語の中に組み入れられ、傾斜した性格がなくなった点はやはり鎖国から明治維新への転換の歴史的証言でもある。国語調査委員会編『口語法別記』には「『です』わ随分古くからつかって来た語のようであるが江戸では、元と芸人言葉で軽薄な口調の『でげす』などと同じもので、明治以前わ咄家、太鼓持、女芸者、新吉原の茶屋女などに限って用いられていたもので、その女が素人になっても『です言葉』が出て咎められて困ったもので、町人でも身分のある者が男女共に用いなかった。それが今のように、遍く行われるようになったのわ、明治の初に、田舎の武士が江戸へ出て、柳橋新橋あたりの女芸者などの言葉で聞いて、江戸の普通の言葉と思って真似始めたからの事であろう」とその発展ぶりまでを述べている。これは一面では真であろうが一面また注意しなければならない。

昭和16年ごろの婦人むけ国語教育でも「ようございますね・よろしうございます」をすすめ、「いいですね」というのはというのはイヤナ感じだと述べているのである。江戸のデスが明治初期にすなおに受け入れられるには疑問があろう。もっとも新政府の役人には地方出身も多く「権妻」もさかんであったらしいからデスが意外に迎えられたことも想像できる。

しかし当時とその後の状況をみると、意識としては女芸者の口からよりもデゴザイマスとダとの中間的表現と考えられた点(外国人でそう考えた者もいた)も真実であろう。ことに地方からきた人びとにはそういうように解し易かったと思う。芸者は遊女とちがうし、かなり素人的なところがあり、ある時点では江戸詞の精髄の一端をうけついでいたのである。

◆「開国・文明開化の世の中」と「近代日本の言葉」

明治になって、江戸と根本的に異なる点は言い古されているが鎖国の重いきずなを断ち、開国・文明開化の世の中になったということである。おびただしい欧米の文化・文物が日本に陸上げされ、それへの命名は文化摂取の第一歩として、はなばなしく行われた。多くの新語・漢語の増加である。

国内では身ナンダ(江戸)~見ナカッタ(東京)という新旧の対立などではすまされぬ重大なことがある。東京語をいかにして、近代日本の標準語として、みがきあげていくかということである。しかも氾濫する外国文化に対しては、どう対処していくべきかの問題もあった。外国の新しい事物や思想を受け入れる時、やはり本来の日本語はいささか能力に欠けるところがあった。支配階級にとっては、それまで自分が使用していた漢語を用いることが一番安易な方法であり、国民不在の政治にはそれも支障はなかったろう。・・・・・

◆「欧化主義」と「国粋主義」

国民のための国家という考えも強く明治7年(1874年)板垣退助らによって「民選議員設立白書」が政府に出され、自由民権の思想は急速にインテリ層にひろがっていった。そして明治14年、民主主義革命をめざす全国的政党・自由党が誕生、対政府への言論戦もはなばなしくくりひろげ、世論をよびおこす努力をかさねる。

しかし「言論の自由・地租軽減・外交の挽回」などの要求も、明治20年「保安条例」の一片でシャットアウトされてしまうのである。世は鹿鳴館時代といわれ欧化主義によいしれながらも、「小学校教科書検定制度」の実施から「新聞紙条例・出版条例改正公布」などがあった。さらに明治22年の「大日本帝国憲法」の発布は「天皇ハ神聖ニシテ不可侵」と絶対方向が明示された。

先に極端な欧化主義に対して国粋主義が頭をもたげてくるのである。

明治20年前後におこなわれた小説界の言文一致運動が、その後挫折したのも当時が古い秩序と新しい秩序のバランスを文語体や漢文直訳体に求めたからである。教科書の文章が20年以後、一時、口語体がさけられたのも同断である。時代的にもこのバランスは安定度が高かった。また東京語が文学表現にたえるまでには成長しきっておらず、江戸調の伝統と再生産が試みられねばならなかった。

一方また福沢諭吉の『文字の教』(明治6年)や前島密の「漢字御廃止之議」(慶応2年)、「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」(明治7年)など識者による漢字の制限・かなの採用・ローマ字の採用・国語の平易化がどしどしとおしすすめられた。小説界とは別に明治20年以降は言文一致にすべく、書物や実践をとおして強力な運動を展開していった。

◆「日本語」という意識の誕生

明治27、8年の日清戦争となり、その勝利の美酒は、再び日本人の自覚と誇りをかきたて言文一致体への実行もすすめられ、日本語という意識も高まってくるのである。明治22年をもって日本国、日本国民が誕生したと述べた評論家もいたように、一独立国家としての自覚は、国語の誕生をもたらし、近代国家として(厳密には江戸時代まで、日本には国民や国語は存在しない。江戸時代の国語という時は意識としてのそれでなく存在としての日本語を略称しているようなものである)の真に立派な国語の建設・制定も必要とされたわけである。やがてむかえる20世紀(明治33年1900年)には、東京語を中核とする近代日本語も成立するのである。

これには先にふれたように小説界の一大言文一致運動、啓蒙家・評論家による東京語への種々の発言。学者による口語文典・俗語文典の研究出版。小学校における国語教育と教科書編集、特に明治33年の小学校令とその施行による東京語への反省自覚。文部省内に設置された「国語調査委員会」とその活動。さらに37、8年の日露戦争の勝利と小学校教科書の国定化―標準語・東京語の学習とそこにもられた教科内容とが、近代国家の一員としての自覚を国民に呼びおこすのに効果があった。

尾崎紅葉によるデアル調の言文一致体小説も東京語を文学表現にまで高める上で功績があったし、自然主義の完成と作家の実践とは、こうした時代の流れに一致して、ここに話し書く上でもきわめて欠点のすくない標準語的近代日本語が成立するのである。国語は共同体の意識のシンボルである。藤村の『破壊』や『家』が近代日本語で書きつづられた意義は大きい。啄木がローマ字で近代日本語をつづり、社会や自己の矛盾や苦しみを赤裸々に記録したのは尊い。二葉亭が明治20年では中絶せざるを得なかった言文一致体の『浮雲』の精神を再び明治40年『平凡』をひっさげて復活登場、終りをまっとうしている。明治38年、漱石は『我輩ハ猫デアル』を世に問うてすでに近代日本の低迷を暗示、長塚節は『土』を明治43年に出し、標準語的東京語と方言を用いて、中央と地方の日本近代文化のアンバランスを文体にしている。

◆大正以降の近代史の展開

東京語を標準語としようとする過程において、方言への配慮はどのように周到したであろうか。また外国語の受け入れ方において自国語への愛と認識を深め、その上にたってこれを日本の土壌にうえつけようとしたであろうか。国語教育の本来の目的―思想感情の自由で正確な発表と理解―が戦争を契機に国民精神の高揚、帝国主義への戦力となるような方面に行きはしなかったか。内容の文学性や教訓性は、実は標準語推進とその洗練という点からはむしろ邪道にすらなったのである。ローマ字が一つには日本語の世界語としての自覚のあらわれでもあったし、その採否の方向づけは、日本語内部の問題提起になったと思われるのに、それも大正初期でしぼんだ原因・理由は何か。大正という時代を迎えて氾濫・乱造される和製洋語の無防備はどうか。日本語を豊かなしかも正確な国語とする上に怠りはなかったか。大正以降の近代史の展開はその後の標準語化への歩みをタンネンに考察していかねばならぬことを教えている。

***** 著者 *****

杉本 つとむ(すぎもと つとむ、1927年(昭和2年) - )は、日本の語源研究の第一人者。文学博士(東北大学)。早稲田大学名誉教授。オーストラリア国立大学(ANU)招聘教授をはじめ、モスクワ大学招聘教授、オランダ、ライデン国立大学研究員、北京日本学研究センター講師など、海外でも日本語学の指導と教鞭をとる。日本言語学会・日本翻訳家協会・日本近世文学会所属。

 

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