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2008年6月28日 (土)

036『食料テロリズム』 ヴァンダナ・シヴァ 第1版2006年

カーギル社 「ハチによる花粉の窃盗」  (◎_◎;) ???

モンサント社 「雑草が陽光を盗む」  w(@。@;)w ???

20080628

xxxxx 概要 xxxxx

シヴァは、インドを標的にした西側資本の国際アグリビジネスが、インドの食料生産体制をどのように破壊し、植民地化しようとしているかを、農業、漁業、牧畜を例にとって、具体的に説明してゆきます。農業における「緑の革命」(第1章)、漁業における「青の革命」(第3章)、牧畜業における「白い革命」(第4章)の実態がどのようなものであり、それが宣伝文句とは裏腹に、人々を飢えさせ、生活を破壊し、生命を奪うものであることを、実例に即して具体的に批判します。

ちなみに、原書は2000年に発刊されています。

xxxxx 読むきっかけ&目的&感想 xxxxx

「多国籍企業はいかにして第三世界を飢えさせているか」、という副題に興味を持ったので借りてみた。

さくら好み ★★★☆☆

xxxxx 覚書 xxxxx

◆種子の「所有権」は誰にあるのか

新しい種子にはまず祈りが捧げられ、しかる後に初めて播種される。新しい作物を食べる前にも祈りが捧げられる。収穫後ばかりではなく種蒔きの前にも祭りは行われるが、それは田畑で執り行われ、人と自然との親密さを象徴したものとなっている。農民にとって田畑は母であり、田畑を崇拝することは大地への感謝のしるしであり、大地は母として自らの子供である無数の命に糧を与えるのである。

しかし世界貿易機構(WTO)の知的所有権の貿易関連の側面に関する協定によって普遍化されつつある新たな知的所有権制度は、企業に対して、種子について蓄積されてきた知識を強奪し、それが彼らの私的所有物であると主張して、それを独占することを許すのである。そしてついには種子そのものが企業の独占物となってしまう。

◆食料の安全保障は三位一体

訳者注意書き: 食料の安全保障 原文はfood security。安全保障という言葉は色々な場面で使われるが、国家安全保障(外敵や自然災害などに対する国家レベルでの対処)、社会保障(国民の生活を守る制度や仕組み)と違い、食料安全保障という言葉を耳にすることは少ない。

食料安全保障には、大きく分けて、国民に必要な食料が安定していきわたるようにする量と配分の問題、食料が人の健康を害さないという意味の安全性の問題、最後に生産農民の生活保障の問題があるが、シヴァは、十分かつ公平な食料の配分、食料の安全性の確立、農民の生活の自立の三者を一体ののものとして捉える。農民の自立がなければ食料安全保障は成立しないと考える。

振り返って日本を見れば、この国の食料自給率はカロリーベースで40パーセント、穀物自給率に至っては27パーセントに過ぎず(2003年度)、気候変動などによる世界的食料生産の撹乱に対してきわめて脆弱である。また米国産輸入牛肉の狂牛病汚染問題や輸入野菜の残留農薬問題で示されたように、安全性の面でも不安が残る。

農業人口の総人口に占める割合は、1960年の14.5パーセントから2004年には1.0パーセントまで激減し、同時に著しく高齢化している。また廃村になったり、共同体としては崩壊してしまったりした農村が著しく多い。

つまり、日本の食糧安全保障は確立されているとはとてもいえないのが実情だろう。

◆工業化された農業は、単一作物の収量を増やすが、農作物の全収量を増やすわけではない。 。。

現代的な工業化された農業での緑の革命のいわゆる奇跡の品種なるものは、収量がより大きいから飢饉を抑止している、とはよく言われることだ。ところがこのより大きな収量なるものは農地における作物の全収量という文脈の中では消え失せてしまう代物である。

工業化された農業のもとで小麦とトウモロコシの収量の増大は、小規模農地が与えてくれる他の食物の収量を犠牲にして達成されるものでもある。2、3種類の商品穀物については国内ならびに国際市場への出荷量が増加したものの、第三世界の農家の口に入る食物は減ってしまった。

◆遺伝子組み換えによる不純物混入

遺伝子組み換えによる不純物混入は遺伝子レベルで起こるので、目に見えないということだ。アザミゲシのような有毒種子が外部から混入するのと違って、遺伝子組み換えは毒性発現させる遺伝子を細菌やウイルスや動物から作物に導入することで、食物への不純物混入が作物の内部で行われることになる。

◆商業主義に仕える「科学」

商取引が倫理上、生態学上、健康上の義務に拘束されない経済では、商業主義に仕える「科学」は組織的に市民を欺くだろう。新しい疾病が家畜と消費者の命と健康を脅かしつつあるときですら、政府の科学機関は「実証的な科学的証拠がない」というお題目を繰り返し続けるだけである。

◆第三の千年紀の始まりにあって、解放の戦略は・・・

第三の千年紀の始まりにあって、解放の戦略は、人間の自由は他の生物種の犠牲の上に手に入れられるものではなく、ある人種や性の自由は他の人種や性の服従の増大に基くものではない、ということを保証するものでなければならない。

◆「先行技術」の解釈

米国の法律と、西洋型の「知的所有権」をグローバル化する世界貿易機関(WTO)の合意によって、生物資源略奪が推し進められている。企業の特許取得過程を容易にする米国の法律には、一定の歪みが存在する。そのような歪みのひとつが「先行技術」の解釈である。その解釈によれば、世界の他の地域に同一の発見が既に存在し実際に使われているか否かに関わりなく、米国内で行われた発見についてなされた申請に特許が認められるのだ。米国特許法のこの部分が修正されない限り、新たな生物資源略奪の事例が発生し続けるだろう。

生物の多様性一般を、特殊な問題としては農業における生物多様性を、保全することの価値については、今や議論の余地はない。生物多様性条約とライプチヒの地球行動計画の双方ともが、各国政府に農業における生物多様性を保全し、農民の権利を認めるようにさせている。生物多様性条約を批准した政府には、生物多様性の保全ならびに持続可能な利用に関連する場合、先住民や地元のコミュニティーの持つ知識、革新、実践のより広範な適用を、尊重し保護し維持奨励することが義務づけられているのである。

◆食料システムの民主化の基礎

生物多様性と知的共有空間(インテレクチャル・コモンズ)の復活を目指す私たちの運動は、食料システムの民主化の基礎である。一方で、生き物の多様性は企業の発明であり企業の財産だと認めるのを拒否することは、あらゆる生物種に本来備わっている価値と自己組織能力の積極的認知である。もう一方で、特許による生物資源の私有化を拒否することは、自然の資本に依存し、貧困ゆえに市場から除外されている、人口の三分の二にあたる多数派の生存権を守ることである。

これは文化的多様性を守ることでもある。というのも、ヒト以外の動植物の「財産」としてではなく、同類として見る態度の方が、様々な文化の中では多数派だからだ。地球民主主義つまり私たちがヴァスダイヴァ・クタンバクムと呼ぶものに根ざす、この大きな生物の民主主義は、何百万もの生物種を絶滅に追いやり何百万人もの人々を生存の崖ぶちに追い詰める「生命科学産業」の獰猛な力に対する、抵抗運動の真の力なのである。

◆「緑の革命」の弊害

世界の栄養失調児童の半数以上はインドに集中しています。ところがインドは、近年ハイテク産業で注目されるようになりましたが、基本的には現在でも大農業国であり、農村人口は国民の七割を占め、就業人口の六割は農業に従事しており(2002年時点)、コメ、サトウキビについては世界第二位の生産量を誇っているのです。そんな国でなぜ深刻な食糧不足が起こるのでしょうか。食料不足に苦しむ発展途上国を収量の飛躍的増大を実現して救うと宣伝された「緑の革命」はどうなってしまったのでしょう。

「夢の種子」を使った遺伝子組み換え作物への転換は、種子会社が独占的に契約販売する種子ならびに、種子とセットになった特定農薬の強制的購入によって、多額の資本投下を強いることで農民を借金漬けにする「緑の革命」の弊害が、加速度的に深刻化することを意味します。今年(2006年)インド政府は、遺伝子組み換えBt綿花不作の影響で負債を返済できなくなった農民の自殺が、1993年から2003年の間に10万人以上を数えたという、衝撃的な発表を行いました。10万人の自殺者という数字は只事ではありません。しかも、自殺した農民の多くは、農薬会社から借金をして購入した農薬を自らあおって自ら命を絶ったのです。

◆本書に関係ないけど・・・

自殺率の国際比較

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xxxxx 著者 xxxxx

Vandanashiva ヴァンダナ・シヴァ(Vandana Shiva, 1952-)は、インド出身の科学者・環境活動家。

インドの首都ニュー・デリーを拠点に、科学・技術とエコロジー研究財団、多様性のための多様な女性、ナヴダーニャ、ビジャ・ヴィディヤピースなどの活動を展開。300を超える論文を、専門誌に発表している。1993年、「もう一つのノーベル賞」、ライト・ライブリーフッド賞を受賞。オルターグローバリゼーション、エコフェミニズムの代表的論客としても知られる。

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