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2008年5月 1日 (木)

017『複雑系』 M・ミッチェル・ワールドロップ 第一版1996年

生命現象から政治、経済までを統合する知の革命

昔は「知の織物には継ぎ目がなかった」
もしかすると ふたたびそんなふうになれるかもしれなかった

20080501

本書は、最近「二十一世紀の科学」として急速に注目されるようになってきた科学 ― 生命の発現や生物の進化はもとより経済や社会や政治の動きにいたるまでを共通の理論的枠組みでとらえようとする「複雑系」の科学 ― の生みの親ともいうべき、アメリカ・ニューメキシコ州にある非営利組織のシンクタンク「サンタフェ研究所」についての物語である。あるいは、その研究所の設立に携わったさまざまな分野の学者の生きざま、自然観、科学館、についての物語である。一方に、クォーク物理学の創始者でノーベル賞受賞者であるマレー・ゲルマンが登場するかと思えば、「収穫逓増」を信じるエキセントリックな経済学者ブライアン・アーサーが、あるいは物理学とも経済学とも関係がなさそうな遺伝子生物学者やコンピューター科学者が、そのはざまを縫っていく。その中には、いまでは「人工生命」という新しい分野でスター的存在になっているクリス・ラングトンもいる。

「複雑系」、あたしがこの言葉を始めて知ったのは、ずっと以前、TV番組で「交通渋滞は何故起こるか?」という特集を見た時だったと思う。その後、折にふれ「カオス」とか「バタフライ・エフェクト」とかに関連してその言葉が現われた。で、なんとはなしに興味を持っていたんだけど、それを研究しているサンタフェ研究所について書かれた本がある事を知って読んで見る気になった。アマゾンで概要やレビューを読んでみたら、面白そうだったしね。

ちなみに本書は1996年に日本語訳が発刊されているが、原書が発刊されたのは1992年だ。

< さくら好み ★★☆☆ 

ちょっと煩雑な感はあったけど、科学者たちの熱い思いが伝わってくる本だった。

科学者がやっている研究って、専門的に細分化されたものなんだろうなぁ・・・なんて漠然としたイメージがある。中世だったら一つの学問だったものが、近代になると複数に分かれていく、つまり、より高度になれば専門的に細分化されていくのが当然のように少なからず思っていた。でも!、本書に登場するサンタフェ研究所は、そういった還元主義的な科学ではなく、その逆で、複雑性という共通のテーマでもって、異なった科学を新しいやり方で統合しようとしていた。

面白い!!

あと、日本人科学者は登場しないけど、日本の経済発展 ―70年代から日本の電化製品がアメリカを席巻していた― に対する危機感がところどころに書かれているのも興味深かったな。

 

・・・・・ 著者 訳者 ・・・・・

▼著者
M・ミッチェル・ワールドロップ
ワシントンD.C.在住のサイエンス・ジャーナリスト。ウィスコンシン大学で素粒子物理学の博士号を取得。十年間にわたり「Science」誌のシニア・ライターとして活動し、現在(1996年)も同誌の契約記者を務める。

▼訳者
田中三彦
1943年生まれ。東京工業大学卒業後、原発の設計に従事。現在は科学や科学思想にかかわる執筆・翻訳を中心に活動している。著書に『科学という考え方』 『空中鬼を討て』 『原発は何故危険か』 『脳のデザイン』他がある。

遠山峻征
1943年生まれ。京都大学理学部物理学科中退。訳書に『劇場としてのコンピュータ』 『ロードマークス』 『シャンバラ』他がある。

 

・・・・・ 覚書 ・・・・・

「経済は自己組織化システムである」

経済用語「収穫逓増」=工学用語「ポジティブ・フィードバック」

そして、このポジティブ・フィードバックこそ伝統的な経済学にはなかったものであることに、アーサーは気付いた。正反対だった。新古典派の理論は、経済がまるまる<ネガティブ・フィードバック>に支配されていると、つまり、小さな効果は消え去ると仮定している。ネガティブ・フィードバックないし収穫逓減の根底にあるのは、経済における調和、安定、均衡という新古典派の理論である。

教授たちは、「心配ない。収穫逓増的状況はきわめてまれであり、それほど長くは続かない」・・・。

しかしブリコジンの本を読んだいま(1979年)、それが一挙に舞い戻ってきた。ポジティブ・フィードバック、収穫逓増―たぶんこういうことが現実の世界で<たしかに>起きていたのだ。彼が目にしてきた現実の世界の経済の活力、複雑さ、豊かさを説明するのは、たぶんそれだったのだ。

たとえば効率。新古典派の理論によれば、自由市場というものはつねに最高の、そしてもっとも効率的な技術をふるいにかけている、ということになる。たしかに市場にはそういう側面もある。が、、、、

収穫逓増によってロック・インされた例
が、それなら標準的なQWERTY(クワーティ)キーボード配列、実質的に西洋圏のすべてのタイプライターとコンピュータ・キーボードに使われているこの配列を、いったいどう解釈したらいいのか? はたしてこれがタイプライターのキーを配列するもっとも効率的な方法だろうか? けっしてそんなことはない。クリストファー・スコールズという技師が、1873年、タイピストの手を遅くするために、このQWERTY配列を考案したのだ。当時のタイプライターは、タイピストがあまり早く打つと動かなくなったから。だがその後、レミントン・ソーイング・マシン・カンパニーがこのQWERTY配列のキーボードを大量生産した。それで多くのタイピストがそのシステムを学び、それで他のタイプライター会社もQWERTYキーボードをつくりはじめ、それでさらに多くのタイピストがそれを学び・・・・・というようになっていった。もてる者はさらに与えられる、すなわち「収穫逓増」。そうアーサーは考えた。そしてQWERTYは何百万の人々に使われている標準だから、実質的に永久に<ロック・イン>(固定)されている。

↓あいうえお・・・50音配列のキーボード!
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経済学の存在意義は予測にある?
が、すぐに、彼を批判する者たちが何にいらだっているかが明らかになった。それは、経済それ自体が結果を予測できない状態に固定化されてしまうということだった。もしこの世が無数の可能なパターンに自己組織化し得るというなら、いったいどうやって何を予測するというのか? 彼らはそれを問題にしていた。何も予測できないなら、どうしてお前がやっていることを科学と呼べようか?

技術改革と経済・・・
日本の経済が発展したことは明白な事実だから、それとはちがう議論を彼は展開した。「日本の企業が成功しているのは、アメリカやヨーロッパの企業にはない何か魔法のごとき質を日本企業が持っているからではない、と私はいった。日本企業が成功しているのは、収穫逓増がハイテク市場を不安定なものに、儲かるものに、独占的なものにしているからであり、日本がこのことを他国より早くから理解していたからだ。日本人は他国から学ぶことが非常に早い。また彼らは市場に目をつけ、大きな規模で参入し、収穫逓増のダイナミクスを利用して彼らの有利な状態にロック・インするのがひじょうにうまいんだ」

自由市場の原則を“信じる”根っこ
アメリカ人エコノミストは、世界中のだれよりも自由市場の原則に熱狂的に入れ込んでいることで有名だ。たとえば当時のレーガン政権は、さかんに減税し、連邦規制を反故にし、連邦諸部門を「民営化」し、自由市場資本主義をいわば国教のように扱ってきた。徐々にアーサーは、自由市場の理想が個人の権利、個人の自由というアメリカ人の理想と固く結びついたためにそうした熱狂が生まれた、と考えるようになった。どちらも、人々がしたいようにさせておけば社会は一番うまくいくという考え方に根ざしている。

還元主義的手法だけでは現実をあるがままに理解できない
「ノーベル賞への王道はこれまでたいてい還元主義手法だった」と、コーワンはいう。略。現実離れしてるし、制約の相当大きい。そしてそれがさらなる科学の断片化をもたらす。現実の世界が要求しているものは ―言葉は嫌いだが― もっとホリスティックなアプローチだ」。すべてが互いに影響しあっているのだから関係の網を理解する必要がある、というわけだ。

コンピューターがもたらした世界と視野
しかしコンピューターはもっとすごいものにもなり得る。うまくプログラムすれば、コンピューターは一個の独立した世界になる。そして科学者はその世界を探検することで、現実の世界に対する理解を大いに深めることができる。実際コンピューター・シュミレーションは1980年代までにはかなり強力なものになっていたから、それを理論と実験の中間にある「第三の形態の科学」として語り始める者もいた。

・・・人工知能(コンピューター)による創発と、人間社会における創発についての類似が書かれているあたりは、エージェントという言葉やその役割、他、あたしは映画『マトリックス』の世界を思い出した。というか、『マトリックス』はこの理論を映像化したんじゃないかとさえ思った。

境界線無き科学
彼らは基本的に同じ世界観を有していたんだ。つまり、『新しい統合』とは科学の再構築ということ、異なった科学の共通のテーマを新しいやり方で統合することと感じていた。

エコノミストにも予測不能
アーサーがずっと悩んできた問題、技術改革についてである。控え目にいって、それはすでに政治的に逼迫した問題になっていた。目にするほとんどすべての雑誌や新聞に、不安の状流を感じとることができた。アメリカはたちうちできるのかね? われわれは伝統的なアメリカ人の発明の才、古いヤンキー式ノウハウを失ってしまったのかい? 日本人はあらゆる産業で、われわれを一掃してしまうのだろうか?

いい質問だ。問題は、エコノミストたちが、少なくとも基本的な理論のレベルではいっさい答えをもっていないことだと、アーサーはカウフマンに説明した。技術の進歩の原動力はブラック・ボックスのようなものだった。

ゲーム理論を使って・・・
ジョン・メイナード・スミスは進化のダイナミクスに関して、やはり草分け的な研究をしていた。彼は種間の競合と協力という性質を明らかにするために、ゲーム理論という数学テクニックを駆使していた。

“カオスの縁”
数ヶ月のうちに彼らはこういいはじめていた。研究所のプログラムは単なる複雑系ではなく、複雑な<適応>系であるべきだ、と。そしてホランドの個人的な知的研究計画―創発と適応が相互に絡み合ったプロセスの理解―が、実質的に研究所全体の研究計画になった。

科学の本質
予測というものが科学の本質ではないからだ。科学の本質は理解と説明にある。そしてこれこそまさに、サンタフェ研究所が経済学やその他の社会科学でしようとしていることなのだ、とホランドはいった。

遺伝子を引き継ぐグラフィック植物・・・似たようなのが数年前ネット上で流行ったけど、基はこれかも(笑)。

ユトレヒト大学のアレスティッド・リンデンメイヤーとカナダのサスカチュワン州にあるレジャイナ大学のプレゼミスラブ・ブルーシンキエヴクツが紹介したグラフィック植物。スクリーン上で<栽培>された。

大学でのシンポジウムにおける講演で一般向けに書かれた下記は既にSF(笑)スティーブン・スピルバーグ監督の『A.I.(2001年)』のラストを思い出した。  

1989年 ドイン・ファーマー アレッタ・ベリン 共著
『人工生命 ― きたるべき進化』

「人工生命の出現で、<われわれは自分自身の後継者を創造する最初の被造物になるかもしれない>・・・・・。もしわれわれが創造主としての務めを正しく遂行しなければ、創造されたものたちが冷淡で悪意に満ちた生き物になる可能性だってある。しかし、上手にやれば、彼らは知性と知恵においてわれわれをはるかにしのぐほどすばらしい、進んだ被造物になるかもしれない。未来の知的生物がこの時代を振り返ったとき、われわれが自分自身ゆえでなく、むしろ生み出したものゆえに最も注目に値する生物と称されることも十分考えられる。人口生命は、もしかすると人類の最もすばらしい創作かもしれない」

上記はレトリックに過ぎない、よね。一般向けのお遊び感覚が混ざってるんだろうな。サンタフェ研究所は、ニューエイジ的にならないように、そういった誤解を受けないように、注意してるみたいだ。

“複雑性の革命”
「ある意味で、これは還元主義の正反対だ。複雑性の革命は、だれかが『おっ、こんな単純きわまりないシステムから出発したのに、ほら、最後にはこんなに複雑で予想もつかない結果になったぞ』と最初にいったときにはじまった」。

50年後、100年後の未来のために・・・
だれかがこう尋ねた。創発にはいくつか<種類>はあるのか? もしそうだとすれば、いくつの種類があるのか? ラングトンはいったん答えはじめたが、やがて言葉をとぎらせ、しまいには笑いだした。「賭けでもするしかなさそうだな」とラングトンはいった。「ぼくにはちょっと答えられない。創発、生命、適応、複雑性―こういった問題はすべて、われわれがまだ答えを模索している段階にあるんだ」




20080427

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