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2008年5月 5日 (月)

018『アメリカン・コミュニティ』 渡辺靖 初版2007年

国家と個人が交差する場所

20080505

わたしがアメリカを調査しているのは、正当な好奇心であるが、好奇心のためばかりではない。わたくしは、そこに、われわれが利用しうる教訓をみつけたいためでもある。(中略)わたくしはアメリカにおいてアメリカ以上のものを見たと告白する。わたくしは、民主主義の傾向、性格、偏見、情熱、つまるところ、民主主義そのものの真の姿を、アメリカにおいて追求しているのである。わたくしは、よしんば少なくともこれについて希望すべきものまたは恐るべきものを、知るためであろうとも、これを知りたいのである。 <アレクシ・ド・トクヴィル>

*本書冒頭にて引用されている文章

あたしはアメリカに対して興味が無かった。 。。。というか、今も、ある、とは言い難い。受身状態で得られる知識や情報によって形成された、曖昧なイメージしか持ち合わせていない。でも、まぁ、もう少し「アメリカの多様性」を、今よりは明確にイメージできるようにと思って本書を手にしてみた。

ちなみに本書は、「考える人」2005年春号~2007年春号連載の「カウンター・アメリカ」に加筆・修正し、「終章 アメリカン・コミュニティ」を書き下ろしたものである。

< さくら好み ★★ 

メディアが伝える情報で大雑把なトコロを知っている内容も少なからずあったためと、作者が心がけたとあって平易な文章や表現だったため、とても読みやすかった。

中でもあたし個人としては、“ボストンのバミューダ・トライアングル”こと「ダドリー・ストリート」の再生ストーリーと、“アメリカにおける死の首都”であると同時に“遺族の権利の首都”でもある「刑務所の町」の厳罰化と民主主義についてが興味深かった。
 
 

・・・・・ 著者 ・・・・・

渡辺靖
慶応義塾大学SFC環境情報学部教授(文化人類学、文化政策論、アメリカ研究)。1967年生まれ。90年上智大学外国語学部卒業後、92年ハーバード大学大学院修了、97年Ph.D.(社会人類学)取得。ケンブリッジ大学、オクスフォード大学、ハーバード大学客員研究員を経て、2006年より現職。2005年日本学士院学術奨励賞受賞。
 
 

・・・・・ 覚書 ・・・・・ 

 1 ブルダホフ ニューヨーク州メープルリッジ  

<しなやかな原理主義>

ブルダホフはアーミッシュに似た宗教集団で、近代世界の特質の多くを拒んでいる。ラジオやテレビも持たないし、フェミニズムや同性愛も認めない。しかし、彼らは日本のマネージメント手法(ジャスト・イン・タイム、カイゼン、ゼロ・ディフェクト)とアメリカの技術を融合させることで、玩具ビジネスをグローバルに展開して成功を収めている。その結果、自分たちの生活様式を放棄することなく、コミュニティを維持するためのお金を調達できている。

驚くことに、ビジネス用のジェット機まで所有しており、使用していない時は、トム・クルーズやシャロン・ストーンなどにリースしたこともあったそうだ。

聖書に忠実なブルダホフだが、昨今、メディアを賑わしているキリスト教右派勢力との関係が気になる。ホスト・ファミリーらとの歓談のなかで、進化論について尋ねてみた。つまり、人間の祖先がサルだという説についてだ。すると、その場にいた十五、六名のメンバー全員が大爆笑した。
「われわれ人間がサルと親戚なんてあり得ないよ!」
その大爆笑に、逆に、こちらが引いてしまった。彼らとの距離が遠くなった瞬間だ。
「たしかに進化した部分も多少はあるだろうが、やはり人間は神によって作られたと思います」
「進化論が『科学的』だというけど、まだ完全に証明されたわけではないと読んだわ」
..........
大切なのは、そうした選択肢が社会のなかに担保されていることであり、それを認め、受け入れている地元地域やアメリカ社会に私は敬意を抱く。

社会のなかに様々なカウンター・ディスコース(対抗言説)を擁していること。そうしたディスコースが絶えず生み出されては、せめぎ合っていること。そしてそれが許される<自由>。

同時多発テロ後の、ブッシュ大統領のもとでの団結と全米を覆った自粛ムード。しかし、それから三年後の2004年大統領選挙では、有権者の約半数がブッシュ氏の退陣を求めるほどに、カウンター・ディスコースが強まった。同時多発テロの衝撃を思えば、それは驚くべき早さなのかもしれない。略。しかし「アメリカ」という永久革命にあっては、そうした「分裂」や「戦争」でさえも、カウンター・ディスコースの一端に過ぎず、実は極めて真っ当な「アメリカ」的現象なのかもしれない。
 

2 ダドリー・ストリート マサチューセッツ州サウス・ボストン 

<コミュニティの再生力>

1970年代の終わり、ダドリー地区の約三割にあたる千三百の空き地は、不法投棄されるゴミであふれかえっていた。略。警察もパトロールをほとんどしないため、麻薬の取引が公然と行われた。「文字通り、奈落の底でした。保険目当ての放火が絶えず、家々は燃え尽きていきました。他にどうすることもできなかったのです。銀行、市役所、環境保護団体のすべてから見捨てられていたのです」

住民たちがコミュニティ再生への戦いを挑み始めたのは1984年。翌年、地元組織の協力のもと、非営利組織「ダドリー・ストリート・ネイバーフッド・イニシアティブ(DSNI)」を立ち上げた。二年毎に住民が選挙を行い、理事枠を住民代表が過半数を占めるという組織作りになっている。

DSNIの目的は、従来型の福祉サービスやプログラムの提供、箱モノの建設ではなく、住民のイニシアチブに任せることにある。

そして、DSNIの活動が行政を動かした。市がゴミの除去と投棄を防ぐフェンスを設置すること、違法なゴミ捨て場を閉鎖することを約束。郵便ポストが二ヶ所に設置されたことも大きかった。ハガキ一枚出すのに三十分も歩かなくて済むようになったこと。「たった二つのポストがぢれだけ私たちを喜ばせてくれたことか」

1988年秋、空き地の「土地収用権」をDSNI(正確にはDSNIが設立した非営利のランド・トラスト)へ譲渡することを市が決めた。「土地収用権」とは、公共の目的のために、所有者の同意がなくても、補償だけで土地を買い上げることができる権利を指す。DSNIのような草の根の非営利組織に対して、この権利を承認するのは全米初の試みだった。

それは、トライアングルの半分を占める空き地のうち、民間所有されていた半分、つまり四分の一にあたるエリア(東京ドーム一個分強)に過ぎなかった。しかし、所有形態がパッチワークのように複雑に入り組んでいるため、総合的な再生案が描けないという長年の障壁がなくなったなったことは画期的だった。
..........
雇用、住宅、公共サービス、学校、防犯などを広く勘案あいた総合型アプローチ。住民、地元組織、行政、ビジネスなどのステークホルダーを巻き込んだパートナーシップ型アプローチ。地元密着の住民参加型アプローチ。計画、実行、そして評価へ至る取り組みを大切にするプロセス重視型アプローチ。

どれも今日では当たり前のように耳にする言葉だが、DSNIが設立された二十年前にあって、住民にコミュニティ開発の主権を与えるなどということは稀であったし、特にダドリー地区のように荒廃したインナーシティではそうだった。今日でも、貧困と犯罪の温床と化しているインナーシティは全米で二百地区以上あるとされるが、そうした地区にとってダドリー・ストリートはまさに「希望のストリート」となった。

「住民たちの力」というとありきたりだが、従来、誰もが大切だとしながら、上手く捉えることができなかったこの「力」を「ソーシャル・キャピタル(資本)」と呼ぶことで、積極的に評価しようとする機運が高まっている。
 

3 ゲーテッド・コミュニテ カルフォルニア州コト・デ・カザ  

<資本・恐怖・セキュリティ>

ゲートの中の住民構成。コト・デ・カサでは、一万三千人(約四千世帯)の住民は、白人八五パーセント、と白人が圧倒的。住民の平均年齢三十五歳、二十五歳以上の五八パーセントが大卒、一九パーセントが大学院卒と高学歴。平均世帯年収は約十四万ドル(千五百万円)、子供がいる世帯では約二十万ドル(二千二百万円)とカリフォルニア州でも十四番目に高い。
 

4 ミドルタウン インディアナ州マンシー  

<もっとも「典型的」なアメリカ>
 

5 ビッグスカイ・カントリー モンタナ州ビッグ・ティンバー  

<連帯する農牧業>
 

6 メガチャーチ アリゾナ州サプライズ  

<草の根の宗教右派>
 

7 セレブレーション フロリダ州オーランド  

<ディズニーが創った町>
 

8 アメリカン・サモア 南太平洋  

<海に浮かぶ、小さな「アメリカ」>
 

9 刑務所の町 テキサス州ハンツビル 

<「アメリカにおける死の首都」>

日本とは異なり、テキサス州の場合、死刑執行の際に、加害者側と被害者側それぞれ五名の証人(そして死刑囚の精神カウンセラー一名)、そしてメディアからは五名が立ち会うことが認められている。双方、執行台を挟んで別々の小部屋に分かれ、窓越しに執行の様子を見守ることになるが、被害者側からは加害者側の証人の表情が見えるようになっている。

アムネスティの報告(二〇〇六年十二月十二日現在)によると、アメリカはイラン、イラク、北朝鮮、シリア、中国など、国際社会で「非民主的」とされる国(そして日本などの一部先進国)と並んで、世界で六十九ある死刑存置国の一つだ(法律上、事実上の死刑廃止国は百二十八)。国内三十八州が死刑制度を有しており、一九七六年以降、千件以上の死刑が執行されてきた。

アメリカ全体の死刑判決そのものは減少傾向にある。DNA鑑定で死刑判決が覆ったケースや、薬物注入による死刑が合衆国憲法の禁止する残虐な刑罰であるとの訴訟が相次いでいることがその背景にある。
 

終章 アメリカン・コミュニティ

「カウンター・ディスコースのアメリカ」 「アメリカ型市場万能主義」
..........
米国のナショナリズムは、特定の宗教や民族ではなく「自由」や「平等」、「民主主義」といったより普遍性の高い理念に根ざしている点を特徴とする。それゆえに、民族-宗教ナショナリズムと区別するため、シビック・ナショナリズム、あるいはペイトリオティズム(愛国精神)という表現がよく用いられる。そして、それが「個人主義」という、一見ナショナリズムと相反するイデオロギーと表裏一体の関係にあることが重要だ。
 
 

20080504

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コメント

トクビルの 『アメリカの民主主義』、は今、岩波文庫になっています(ボチボチ読んでいます。全四巻でいま3巻まで)。

トクビルは1937年だったか。。1年前後の米国滞在で膨大なモノを観ています。米国独立、がフランス革命にも影響を与えたんでしょうね。

奴隷制真っ盛りの頃だけど。。どう思っていたのかな~。。

投稿: 古井戸 | 2008年5月 6日 (火) 00時03分

今読んでいる『失われた民主主義』でも、冒頭に古井戸さんが読まれている『アメリカの民主主義』の文章が引用されています。

アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に見られる思想・・・自然権や革命権など・・・が現代に息づき形成される国民性。18世紀末といえば日本は江戸時代。。

19世紀初頭、若かりしトクビルが見た奴隷制度、・・・・・どう思っていたんでしょうねぇ~、アメリカの奴隷制廃止前に亡くなってますが、生きていたらどう感じたんでしょうねぇ~。

投稿: さくらスイッチ | 2008年5月 6日 (火) 21時03分

>トクビルは1937年だったか。。

あらら、。。1837年でした。

アメリカの民主政治、とは。。
http://lp.jiyu.net/tocqueville.htm

この本の冒頭で、アメリカ大陸にはインデアンがいたが、彼らに土地の所有権はない!!と言っている。理由は、定住生活をやっていないから。これはロックの所有論ですね。

投稿: 古井戸 | 2008年5月 8日 (木) 10時36分

んふふ 本当に1937年だったら面白いかも。奴隷制も廃止されてるし。

トクビルが見たアメリカは、独立してから大きな戦争を経験してない国家だけど、1937年だったら南北戦争、第一次世界大戦と経験済みだから。。。少なくとも、戦争がアメリカ民主主義に及ぼす影響についての記述は変わりますよねぇ。。

アメリカは「長い60年代」に、黒人や黒人以外の少数民族など、マイノリティの人権や公益に関した社会運動を経験してますが、もしもその時代のアメリカを見ていたら、どう思ったでしょうねぇ。。

もし1937年のアメリカだったら・・・「(戦争は別にして)ほら、言った通りだろ」、もし1960年代以降のアメリカだったら・・・「(人権は別にして)あれれ、長所が無くなっちゃうぞ」、もし21世紀のフランス外務大臣だったら・・・「自国の人権ジレンマをどうしたものか」、なぁんてね。的外れだったとしても想像するのは楽しいものです。

投稿: さくらスイッチ | 2008年5月 8日 (木) 20時45分

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