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2008年5月30日 (金)

027『<インテリア>で読むイギリス小説』 久守和子/中川僚子・編著 初版2003年

個人の居場所として、室内というものがヨーロッパではっきりと意識され始めたのは、歴史家レオ・スピツァーによれば、十七世紀後半になるらしい。近代小説の発祥にやや先んじて、室内空間への意識的視線が生まれてきたことは偶然ではない。

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xxxxx 概要 xxxxx

イギリス小説の魅力へのアプローチはさまざまに考えられるだろう。本書は、イギリス小説に描かれた「室内空間=インテリア」を手がかりとして、イギリスの 文化・歴史の理解に迫りながら、小説の具体的な事物の描写を通して、作品世界のより深い読み取りを目指した。通常は人間関係のドラマの背景に過ぎないと思 われがちな室内のモノたちだが、あえてその存在に意識を向けると、より豊かな物語が見えてくる。

xxxxx 読むきっかけ&目的&感想 xxxxx

借りる前に目次を見たりパラパラと中身を見た限りでは、興味の持てない章もありそうだったけど、シリーズ3作のうち『<食>で読む』と『<衣装> で読む』が面白かったので、この『<インテリア>で読む』も借りてみることにした。それぞれの章が独立したテーマで別の人によって書かれているから、 興味が持てない章は飛ばせばいいだけだからね。

さくら好み★★★☆☆

これから映画を見るとき、部屋の様子から色々と想像できる事が増えたのは嬉しい。いま映画『ミス・ポター(2006)』*を見たら、以前見た時とは違うものが見えると思う。

*19世紀末から20世紀初頭のイギリスが舞台。

ただ、図書館でパラ見した時に想像した以上に、部分的にしか興味を持てない章が多かった。連想できるイメージの脳内蓄積量が、あたしの場合は少なすぎる事が原因だと思う。この本が想定している対象読者レベルに、あたしは達していなかったみたいだ(笑)。

xxxxx 覚書 xxxxx

◆エリザベス1世の巧妙なやり方

エリザベス1世(1558-1603)の時代には、上流、中流の階層が大いなる繁栄をとげ、その存在を誇示するような、偉容を誇る壮麗なカントリー・ハウスが競うように建築され、改築された。貴族の富と地位が王の思典、知遇に負うているとするなら、それらを受けるに値することを自ら示さなければならない。それを臣下に示させる女王のやり方は巧妙だった。

ロンドンの暑さと、テムズ川の不快な霧を逃れて貴族の館に行く習慣をとりいれた。何百人もの宮廷人、家臣、使用人を引きつれて館に向かうことになった。それはまた、迎える側では格段の名誉ともなったが、改築、増築で万全の受け入れ態勢を整えなければならない。逗留が長くなれば時にはかかる費用が天文学的数字に達したのである。

こうした巡幸は、地方に王室よりも強大な財力をもつ貴族たちのそれ以上の増幅を抑制し、さらには彼らを疲弊させる「参勤交代」の意味もあったのである。

◆プライヴェートな図書室である書斎

王立英国ソサエティ学士院創立(1660)にともなってジェントリーの間に、にわかに学問の機運がたかまった王政復古の時期に、館内に増えた書物を蓄えておく秩序ある方法が必要となった。書物は専門家たちの特別な備品ではなくなり、上流階級の日常の一部となり、家族と招かれた客人の共通の財産となった。

書斎は本質的にはプライヴェートな仕事部屋だ。地方の牧師館では、説教が書かれる部屋を「スタディ」と呼ぶ習わしがあった。書斎の本棚には、科学、医学、考古学、芸術、デザイン、音楽、文学関係と、多くの資料・参考に関する図書が並び、小さな図書室を構成していたものと考えられる。さらに書斎は当主のきわめて個人的な部屋として、人と会ったり、金銭問題を処理したり、さまざまな書類を置き、人の目を気にしないですむ安全な場所であった。いかなる理由があろうとも、誰にも決して触って欲しくない、それなりの秩序ある場所だった。

◆ウィリアム・モリス ^^♪

◇ウィリアム・モリスの名作「苺盗人」(Strawberry thief)」♪

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ウィリアム・モリスは1861年に設立した「美術職人集団」モリス・マーシャル・フォークナー商会の経営者だったが、その存続基盤はひとえに彼の生み出すデザインと製品の質の高さにかかっていた。

1880年代にモリスが復興した「インディゴ抜染法」という複数の木版を使った複雑な染色技法によって、「苺盗人」「こごめ草」「イーヴンロウド」「ウェイ」といったチンツ(プリント綿布。ソファのカヴァーなどに使用)の名作が続々と生み出される。

◇革新運動としての装飾芸術 「私の職務は不満を流布することにある」!?

ウィリアム・モリスの有名な格言に「有益であると思えないもの、もしくは美しいと信じないものをなにも家のなかに持ち込んではならぬ」というのがある。いわばそれは「シンプル・ライフ」の勧めというべきものだが、それは19世紀の工業製品がもつなめらかな「仕上げ」に潜むイデオロギーへの反発もしくは不満に端を発しているものだといえる。

1856年、モリス22歳。ロンドンのブルームズベリ地区レッド・ライオン・スクエアに部屋を借りて住み始めた際、椅子も、テーブルも、満足のできる市販品を買い求めることができなかった。そこでモリスはただちに自分でデザインした。これが装飾デザイナー・モリスの出発点となる。

レッド・ライオン・スクエアでの家具デザインは、モリスの欲するような堅牢な「ゴシック風」の家具が得られぬという私的な不満と必要からなされたものであり、なにもそれはヴィクトリア朝中期の趣味の革新をめざすといった大仰な動機があったわけではなかった。ましてや、装飾芸術の実践をへて社会改革をめざす後年の運動参加がこのときに予感されたわけではない。1856年7月に友人に宛てたモリスの手紙にこうある。「私は政治的社会的問題には何ら関心をもって入り込めません。・・・・・それを正すなんて私にはできないし、そんな柄でもありません。私の仕事は、何らかの形で夢を具体化することなのです」。

それでも、ここでの「不満」と「必要」の内実は、後年の美術工芸の革新運動と社会主義運動への彼の寄与と密接につながるものだった。1883年に49歳のモリスが行った講演「芸術・財産・富」で「不満」はこんなふうにキー・ワードになっている。「私の職務は、不満を流布することにある。これが重要でない仕事だとは思わない。不満が広がれば、事態を改善してゆこうとする熱望も広がってゆくのだから」

◇イギリスの住宅建築に大改革をもたらしたと評価されるレッド・ハウス♪

1860年からモリスが5年間住んだ館で、ケント州ベクスリ・ヒースにあるこの建物の設計者はモリスの友人のフィリップ・ウェッブ。この家は、「レッド・ ハウス」という名が示すように、外壁を化粧漆喰で仕上げるのが一般的だった時代に、建築材の赤煉瓦をむき出しにしていることに由来する。急勾配の屋根も赤 い瓦で、ゴシック風のポーチをもつL字型をした2階建ての建物は内部構造を率直に示している点で、実用的で、理にかない、モリスとウェッブの建築観をよく 示している。

< ヴィクトリア朝(1837-1901)の典型的室内 >
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< レッド・ハウスの室内(1860) >20080529_3_5

◇インテリア・デザインを手がけることが、世直しの運動を組織するヴィジョンを生み出した!?

エッセイ「私が社会主義者になったいきさつ」のなかでモリスはこう述べている。『文明は労働者をそれほどのやせ細った哀れな存在におとしめたものだから、彼は現在我慢しておこなっているような生活よりもよい生活をどのように望んだらよいのかほとんどわからぬようになっている。彼の前に、満たされた、理にかなった生活の真の理想を提示することは、芸術のおこなうべき領分なのだ。そこでの生活とは、美と知覚と創造、そして真の喜びの享受が、日々のパンとおなじくらい必要であると感じられるような生活である。』

ここでモリスの言う「芸術」が産業革命後に有力になった「ファイン・アート」*の意義ではなく、人々の暮らしの総体にかかわる「レッサー・アーツ」*的な概念で使用されていることに注意したい。

*ファイン・アート: コマーシャル・アートすなわち「商業美術」に対して、芸術的な意図のもとに制作されたものとしての美術。純粋芸術。
*レッサー・アーツ: 
小芸術の意。モリスがいうレッサーアーツとは、「日常生活の身のまわりのものを美しくする」芸術の総体。

小野二郎は、モリスのした大事な仕事の一つとして、産業革命以後の工業社会における装飾芸術の意味と役割を実践と批評の両面において「いちばん深いところからとらえ直した」ことを特筆している。「装飾芸術を、応用芸術、二流以下の芸術の位置から、絵画や彫刻のような高級芸術のそれに引き上げたというようなことではない。むしろ、そのような『近代芸術観』そのものを批判し、装飾芸術を諸芸術の母、むしろ核と考え、その観点から芸術全体を見直そうとした。そしてそれは近代文化の根源的批判に通じ、さらには社会主義運動にまでのびていく」

創世記のアーツ・アンド・クラフツ運動*を担った人々が、こうした近代芸術観を超克しようとしたのみならず、その多くがモリスの政治的活動に共感したのみならず、その多くがモリスの政治活動に共感して社会改革を志向したのは不思議ではない。インテリア・デザインを手がけることが、世直しの運動を組織するヴィジョンを生み出した。

*ヴィクトリア朝の時代、産業革命の結果として大量生産による安価な、しかし粗悪な商品があふれていた。モリスはこうした状況を批判して、中世の手仕事に帰り、生活と芸術を統一することを主張した。

◆鏡、姿見が一般家庭に普及したのは19世紀後半・・・

19世紀になると、板ガラスの大量生産に加えて、ガラス板の背面に錫箔を張りつける従来の方法に代わって銀めっきを施す方法が発明されたことから、鏡は庶民にも手の届くものになり、広く一般家庭にも普及していった。

イギリスでは1845年まで鏡税なるものが存在し、手鏡以外の鏡には税金が掛けられていた。鏡税の廃止によって、一般家庭にも姿見が一気に普及するようになる。

100年以上も前にモリスが仲間たちをつのって行った装飾芸術の実践は、そしてそこから引き出された芸術論は、いまなお多くの人々に貴重な示唆を与えている。

◆19世紀のドローイング・ルームとは・・・

ドローイング・ルームは、本来の「引きこもる(withdraw)」ための部屋、公の仕事をする部屋に付随する私的な部屋から発展し、客を迎える部屋、そしてディナーのあと御婦人方がひとまず紳士たちとは別れて引き下がり、一息入れ、やがて喫煙を終えた紳士たちもふたたび加わって一緒にコーヒーなどを飲みながらくつろぐ部屋。 

◆19世紀後半のシッティング・ルームとは・・・

ドローイング・ルームは誰もが持てるものではない。中産階級の最下層、あるいは下層階級の最上層の人々の家には台所と寝室の他にはシッティング・ルームしかない。

シッティング・ルームのインテリア例。『肘掛椅子が一脚の他にふつうの椅子が二脚、ピアノ、その上に当時人気のあった画家モード・グッドマンの絵、額入りのジャッキーの写真が飾ってある三脚のテーブル、コージーコーナー(居心地の良い片隅 -下画像)、本棚、そして布で覆われた炉棚にはキューピッドが群がっている。これらの家具調度は、写真と本とキューピッド以外レナードの持ち物ではない。』

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◆ピアノは醜い家具!?

ピアノはドローイング・ルームの必需品、「家庭の守護神」であり、19世紀前半は上流階級の専有物であった。しかし世紀後半になると急速に普及し中産階級の賃貸住居にも調度品の一つとして備えられるようになっていた。世紀末にはロンドンのイースト・エンドの貧民街にも「ピアノなくして家庭なし」という趣旨の貸間広告が見られ、逆に中流階級ではピアノを醜い家具として排除したり覆いをかけたりする傾向が出て来たという。

◆児童文学の流れは、のびやかなファンタジーへと変わっていった♪

19世紀中期のイギリス中産階級は、勤勉な「自助」精神で努力を重ねて、物質的に豊かな生活を手に入れた。第一世代の目標は、財を成して、子弟を労働に手を染める必要のないジェントルマンにならしめることにあった。低年齢の子供は専用の子供部屋に囲いこまれ、乳母や家庭教師に身辺の世話をされ、労働や外部とのふさわしくないと思われる接触は限定された。

遊びが怠惰やいたずらと見なされたそれまでの時代と比べて、「19世紀後半には、想像力の遊びが、子供部屋の生活の中心に位置づけられた・・・・・。中流家庭の子どもは、読書や遊びを通じて想像力を駆使するよう奨励され、遊びが学習のプロセスにおける基本的な要素として認知された」。こうして児童文学の流れは、教訓やしつけを説く無味乾燥な物語から、想像力を解き放つ遊びを主体とする、のびやかなファンタジーへと変わっていく。

◆ビアトリクス・ポター(1866-1943)『二匹の悪いねずみのおはなし(1904)

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ポター家はジェントルマンに成り上がった中流階級の典型といえよう。父方の祖父はマンチェスター近郊でサラサ捺染業で成功し、自由党下院議員に選出された。父は法学院に進み、法廷弁護士になるが、仕事をする必要がなかったため、ジョン・エヴァレット・ミレーなどの芸術家とのつきあいや、趣味の写真に明けくれてすごした。

xxxxx 著者 xxxxx

江河徹 1926年生まれ 立教大学名誉教授 フェリス女学院大学名誉教授

杉恵惇宏 1933年生まれ 元明治大学商学部教授

川端康雄 1955年生まれ 日本女子大学文学部教授

伊達恵理 1961年生まれ 立教大学講師

久守和子 1942年生まれ フェリス女学院大学文学部教授

岩上はる子 1953年生まれ 滋賀大学教育学部教授

青木剛 1956年生まれ 明治学院大学文学部助教授

山田麻里 1971年生まれ 明治大学講師

川西進 1931年生まれ 東京大学名誉教授 フェリス女学院大学名誉教授

安達まみ 1956年生まれ 聖心女子大学文学部助教授

中川僚子 1957年生まれ 大東文化大学経済学部教授

平井杏子 1946年生まれ 昭和女子大学短期大学部教授

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<食>で読むイギリス小説』 安達まみ/中川僚子・編著 初版2004年
<衣装>で読むイギリス小説』 久守和子/窪田憲子・編著 初版2004年

20080528

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