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2008年5月17日 (土)

023『全集 黒澤明 第四巻』 初版1988年

50年代後半

卓抜なシナリオの構成が多彩な映像技術を導き出した

20080510
( 表紙にタイトルが無いなんてwwww びっくり! 追記:中表紙だった^^; )

●●● 概要 ●●●

『七人の侍』 『生きものの記録』 『蜘蛛巣城』 『どん底』 『隠し砦の三悪人』 『決闘鍵屋の辻』のシナリオを収録。手塚治虫、千秋実、塩野七生から見た「クロサワ」。随筆、作品解題、批評史ノート、シナリオ注、資料が付せられている。

●●● 読むきっかけ&目的&感想 ●●●

この『全集 黒澤明』は、あたしのブログにコメントを残してくれた古井戸さんのブログで知った。ちょっと嬉しい「本との出合い」 ^^♪

黒澤明と共同脚本を書いていた橋本忍が『複眼の映像』で、映画『七人の侍』のシナリオが頂点だった、と書いていたので、迷わずそれが収録されている『第四巻』を借りた。黒澤明と橋本忍の両方を感じながら読みたいと思ったんだよね。

さくら好み ★★★★☆

映画シナリオと共に、随筆や往復書簡や批評などから、映画が公開された時の周辺事情まで見えるのが、とっても楽しい本だった。

シナリオ『七人の侍』を読みながら、映画を建築に例えた橋本忍の言葉を思い出した。それに倣うなら、黒澤のアイデア(テーマ)が「プランニング」、橋本の脚本第一稿が「エスキス」、この本に収録されている競作で仕上げた脚本が「設計図、構造図」、その脚本に基づいて‘各々が自分のイメージ一杯のものを考え’たものが「施工図」、といったところだろうか。

この本に収録されていた往復書簡で、岩崎が黒澤映画を評して“テーマがまずまっさきにあります。その上にドラマが建築的に組み立てられていくのです”と、ここでも建築という言葉を使っている。この場合は、テーマが「基礎(土台)」、ドラマが「骨組み(構造)」、映像・音楽・美術・衣装が「仕上げ(装飾)」、といったところだろうか。

いずれにしろ、「建築」という言葉を使っているのが面白い。あたしは小津映画も好きだけど、小津映画には似合わない言葉に感じる。この言葉は黒澤映画に良く似合う。 。。
 

●●● 覚書 ●●●

黒澤さんの国際性  手塚治 (1988年)

 実際、外国を旅行していると黒澤さんの名前を聞かない日はない。ぼくが日本の映画人のはしくれにいると名乗ると、たちまち「マエストロ黒澤はいま何を作っているのか」とこうである。

 ― 略 ―。

 もちろん黒澤さんの気質がインターナショナルなのかといえばそうでもない。どちらかいえば古い日本型父親像を描く人である。これを並みの監督が描けばあきらかに浪花節になってしまうだろう。
 そういう黒澤さんの日本人の部分を欧米の観客に奇異を感じさせず納得させる技量はなんだろうか。
 これは、たいへんぼくにとって興味深い謎である。ぼくだけではない。劇画を描くみんなにとってもである。劇画家のある世代にとって、黒澤作品は教科書なのだ。

2008年の現在、マンガやアニメ、それに関連した音楽やコスプレは、日本のサブカル文化として世界を席捲している事実がある。それを可能にしたのは、何なんだろう??? って、改めて思った。
 

『蜘蛛巣城』をめぐって  岩崎昶との往復書簡

  岩崎 様

 ― 略 ―。
 次に、僕の作品が観念的であるということについて―。
 実は、僕は、何時も観念的であるといって非難され続けて来たのですが、お手紙によると、そこに僕の特徴を認めて下さっているので大変嬉しく思いました。
 作品の発想が観念から出発する、そう云う行き方が当然あっていいはずなのに、観念的であることはまるで罪悪のように責められて閉口していたのです。

 次に様式上の実験について―。
 御手紙に書かれているとおり、僕はあの作品で、いろいろ能の演出を取り入れています。しかし、まだほんの試みに過ぎません。
 また、それによって、時代映画の古典様式を探索する、と云う程大した考えもなかったのです。
 ― 略 ―。
 つまり、僕の頭の中には、西欧的なものと日本的なものが、大変あたり前に同居しているのです。
 ですから、作品をつくる時、そう云うものが機に応じて自然に顔を出して来るだけです。特に意識して試みると云うのとは少し違うようです。
 

  黒澤 兄

 しかし、日本映画がもしいつか古い殻から脱皮していく―そして新しい民族的な映画芸術を作りあげる―べきであるとすれば、黒澤明はその第一列に立つ人だと私は思います。― 略 ―。・・・・・彼の映画ではいつでもテーマがはっきりしています。というよりもテーマがまずまっさきにあります。その上にドラマが建築的に組み立てられていくのです。彼の映画は観念的だという非難をうけます。その危険はたしかにあるのですが、じつはこれこそ彼の日本映画にたいする功績なのです。

 ― 略 ―。

 日本の多くの作家―映画作家だけではないのです―は、自分や他人の心の中や身のまわりを観察し解釈して、これが現実だ、といって作品の中に投げ出します。ところが、あなたは多分、それで? というか、それがどうなの? というか、英語でSo what? というこの場にピッタリしたいい方がありますが、とにかく、そうききかえさずにはいられません。そこから先があなたにとっては芸術の仕事なのです。その現実が、描写され、表現されて、何を意味し、何をうったえるか、です。現実である、ということだけでは何の権威もないのです。現実を加工し、それがあなたの主題に合致してはじめて、あなたは作品にとりかかります。あなたが『白痴』だの『マクベス』だのという古典とよくとりくむというのも、ここですでに加工されている現実が、あなたの観念の中に共振をおこした場合、それがナマの現実でないことにたいしてあなたが何の顧慮もはらわないということなのでしょう。古典の中の主題や性格があるときにはいまあなたをとりまいている現実以上にあなたの食慾をそそるのでしょう。

この「観念的な映画だという批判」というのが面白い。というのも、この言葉から映画のポジションが伺えるからだ。当時は批評家にとってさえ、「観念的」というのが「批判」の対象になるなんて、ね。それと同時に、当時の観客が映画に望んでいたものも画一的だった事が伺える。

かくいうあたしにとっても数年前までは、「観念的な映画」は「面白くない映画」とイコールだった。でも、ある映画で「観念的な映画」であっても「面白い映画」が存在することを実感したため、観念的‘だから’面白くない、というあたしの単純な図式は崩壊した。その経験を思い出した。
  

『七人の侍』

「宣伝お手盛り」と呼ばれるマスコミ発表用の水まし分ぬきで次のとおりである。黒澤監督の希望でこれは正確に広報された。

撮影開始 昭和二十八年五月二十七日
撮影終了 昭和二十九年三月十六日
完成 昭和二十九年四月二十日
制作費 二億一千万円
出動人員 (延)三万三千名
馬頭数 (延)三千三百頭
使用フィルム 十三万フィート
上映時間 三時間二十分

斎藤忠夫によれば制作費二億一千万円というのは当時の普通作品の七本分くらいである。

 

『蜘蛛巣城』

この映画の撮影に入る前に、黒澤明は、雑誌『映画の友』一九五六年七月号の「黒澤明・新作の構想を語る」という記事で、荻昌弘の質問に答えて、この映画の構想を述べている。これによれば、最初黒澤明は、『蜘蛛巣城』と、そのあとの『隠し砦の三悪人』『用心棒』の三本の時代劇を、自分はプロデューサーで若い監督たちを起用して作るつもりでいた。― 略 ―。しかしシナリオを書いてみると意外に難しい作業になりそうで、自分で撮るのがいちばん自然だと思うようになったという。

 
 

20080510

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コメント

初めてコメントさせていただきます。「七人の侍」を脚本まで遡って読まれている方に初めて出会いました。
私は、「黒澤明の作劇術」をフィルムアート社から出版した者です。黒澤さんの脚本について論じていますが、菊千代は、カラマーゾフの兄弟の長男がモデルだ、なんて説を書いています。出版社のHPに詳細が出ております。宜しかったら見てください。

投稿: 古山敏幸 | 2008年5月17日 (土) 23時07分

この全集、七人の侍、の巻がなんと言っても人気が高く、古書でも高値が付いています(版元品切れ)。私も欲しかったんだが。。私の持っている羅生門の巻には、生きる、と、白痴がはいっているから、まあ納得です。七人の侍、は英語版シナリオを持っています。ビデヨは米国駐在中に30ドルで買いました。もちろん、英語のスクリプト付き。もう~~何十回見たか分かりません。

ブログを覗いて頂いたようですが。。橋本忍、のすごさに圧倒されましたね、わたしは。シナリオ(脚本)と、普通の文学の違い。文学は自己満足でいいが、脚本は客の入りが悪いと失敗です。のるかそるか。起業家のような、スリル満点の世界ですね。

投稿: 古井戸 | 2008年5月17日 (土) 23時50分

>表紙にタイトルが無いなんてwwww びっくり! 、、

気がつかなかった。

脱がせたのですね?。。全部。。
 とてもそんなことはできません、わたしには。

投稿: 古井戸 | 2008年5月17日 (土) 23時55分

★古山敏幸さん、コメントありがとうございます。

HP拝見させて頂きました。面白そうだな、と思いました。あたしは自分の趣味関連の本は図書館で借りることにしているので、図書館に購入リクエストをしました。図書館に入ったら借りて読んでみます。


★古井戸さん、コメントありがとうございます。

>七人の侍、は英語版シナリオを持っています。ビデヨは米国駐在中に30ドルで買いました。もちろん、英語のスクリプト付き。もう~~何十回見たか分かりません。

スゴイ!! 本当に好きなんですね。

>シナリオ(脚本)と、普通の文学の違い。文学は自己満足でいいが、脚本は客の入りが悪いと失敗です。のるかそるか。

『複眼の映像』でも橋本忍は文学と脚本の違いに触れていましたが、その視線のあり方は小説家側とはむろん違い、小説家でも脚本家でもない第三者の視線とも違い、脚本家としての自負にあふれていると思いました。そして、脚本家の視線にあたしを惹きこみ、読んでるあたしの心をワクワクさせてくれました。

「のるかそるか」!なんて、カッコイイです。

>脱がせたのですね?。。全部。。

そ、そうか!? 元は表紙があるんですね。。。図書館で借りた本なので、布の表紙にビニールコーティングがしてあり、これが表紙だと思い込んでいました。(笑)

投稿: さくらスイッチ | 2008年5月18日 (日) 23時00分

>布の表紙にビニールコーティングがしてあり..

手元にあるハードカバーを。。いろいろと、脱がせてみたが。。 タイトルや著者を書いているもの、そうでないものがあります。タイトルがなくても、表紙は必ずありますから、うちの図書館では、表紙もろともビニールで覆って、貼り付けてます。。↑の黒澤の本でもうちの図書館で所蔵するバヤイは、表紙もろともビニルで覆います。そーしないと、外から書名がわからない、ということになる(でも、背中にはタイトル書いてあるでしょう?)。

以上、市立中央図書館にお伝え下さい。
              

投稿: 古井戸 | 2008年5月23日 (金) 12時46分

★今まであたしが借りた本では、この本だけが表紙を剥がしてビニールコーティングされていました。何故この本だけそうなのかは???です。おっしゃるように、この本の背表紙にはタイトルが書いてあります。

この『全集 黒澤明』、あたしの行く図書館では閉架書庫の蔵書だったので、図書館員の方に閉架書庫から持ってきて貰い借りました。古井戸さんの以前のコメントから、この本が貴重なモノである事を知ったので、他の黒澤関連本とは違って閉架書庫にあるのかも・・・なんて思ったりしています。

・・・4巻の表紙、見てみたいです。見れないから余計に(笑)。

投稿: さくらスイッチ | 2008年5月23日 (金) 23時07分

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