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2008年4月14日 (月)

010『フェルマーの最終定理』 サイモン・シン 第一版2000年

1993年6月

ワイルズは一夜にして世界一有名な数学者

というより世界で唯一有名な数学者になった

20080411

<私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない。 フェルマー>

<E.Tベルは『最後の問題』のなかに書いた。「おそらく文明はフェルマーの最終定理が解かれる前に滅びるだろう」と。>

フェルマーの最終定理の歴史・・・・・、ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで。 。。。「数学者というものは各人ばらばらの目標を立てて研究して来たように見えて、実は全員がフェルマー予想に取り組んでいたのだ」。
 

Amazonベストセラー・ランキングで本書の文庫版が上位にあったので、この本の存在を知った。で、読者レビューを観てみたら面白そうだったので、図書館で借りてみた。数学者というのは、映画のためもあって、あたしの中でカッコよく、悲劇的イメージがあり、とっても魅力的な存在に感じている。そう、数学者への単純な好奇心があったのも、読む動機になっている。

<数学者を扱った映画であたしが観たもの>
・グッド・ウィル・ハンティング 1997年
・ビューティフル・マインド 2001年
・プルーフ・オブ・マイ・ライフ 2005年
・博士の愛した数式 2006年

< さくら好み ★★★★ 
 
 

「“フェルマーの最終定理”の証明が数学界全体にとってどういう意味を持つのか」が、あたしにでも分りやすく表現されていて、すっごく面白かった。「フェルマーの最終定理」にまつわる興味深い人間ドラマによって、その数式の魅力が如何なく伝わってきた。
 
 

・・・・・覚書・・・・・

*フェルマーとパスカルは、運のゲームを支配する基本法則を打ち立てた。

*直感に反する確立問題の一つに、誕生日が同じになる確率を問うものがある。23人の人間のうち誰か二人の誕生日が同じになる確率は50%を超える。確率が高くなるのは、人間の数よりも、ペアを作る組み合わせの方が重要になり、そのペアが253通りもあるからだ。

*1944年 ジョン・フォン・ノイマン 『ゲームの理論と経済行動』 “トルエル” 三人で行う決闘のようなもの

*第二次世界大戦 ドイツの暗号機エニグマ  ・・・ 英国数学者チューリング(1952年同性愛禁止法に触れて逮捕 後に自殺)

*ラングランス・プログラム ・・・ 数学の大統一

*フライ ・・・谷山=志村予想を証明しさえすれば、フェルマーの最終定理も自動的に証明される

*ガロア ・・・1811年パリの南にある小さな村で誕生 二十歳にして殺される ガロアが数学を学んだのはたった五年間 五次方程式の解の見つけ方を完全に定式化

*1988年 宮岡洋一 フェルマーの最終定理を解決?! しかしギャップが見つかり失敗

*300年に渡る難問「フェルマーの最終定理」

*ヴォルフスケール賞 期限は2007年9月13日

*コリヴァギン=フラッハ法 + 岩澤理論

*ジョン・コーツは言う「フェルマーの証明は大いなる知性の勝利であって、その一撃のもとに、数論に革命が起こったという事実を見逃してはなりません。私にとってアンドリューの仕事が美しくて魅力的なのは、それが代数的数論における巨大な一歩だからなのです」

*多くの数学者と同様、ケン・リベットもまた、谷山=志村予想が証明されたことで数学が変わったと感じている。
「心理的な影響が大きいですね。以前なら尻込みしていた問題にも食らいつけるようになりました。数学の世界の眺望が変わって、・・・・・略」

*遺伝アルゴリズムという考え方を用いて、コンピューターにさらなる力を与えた数学者たちがいる。

*「将来、コンピューターに向かってリーマン予想が正しいかどうか尋ねたとして、『はい、それは真です。しかしあなたはその証明を理解できないでしょう』などと言われたら、いやになってしまうだろう」 数学者ロナルド・グレアム

*フェルマーの最終定理を証明することは、谷山=志村予想のすべてを証明することではない

 
 
*****・・・・・*****・・・・・*****

ピュタゴラス(ピュータゴラース、ピタゴラスとも、Πυθαγόρας (Pythagoras)、紀元前582年 - 紀元前496年) は、ピュタゴラスの定理等で知られる、古代ギリシアの数学者、哲学者。プラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれた。古代ギリシアのイタリア植民地の生まれ。
 

Pierre_de_fermatピエール・ド・フェルマー(Pierre de Fermat、1607年末もしくは1608年初頭- 1665年1月12日)はフランスの数学者。「数論の父」とも呼ばれる。ただし、彼は実際には弁護士を職業としており、数学は余暇に行ったものである。

数学においては、デカルトやパスカルなどと交流があり、幾何学を初め、確率論、微積分においても先駆的な仕事を遺したが、中でも数論における仕事は独創的で後世の数論家たちに大きな影響を与えた。

数論への傾倒の直接的な契機は、古代ギリシャの数学者ディオファントスが著した『算術』 (Arithmetica) の注釈本を30歳ごろに手に入れたことのようである。これを熱心に研究していくうちに(ほとんどどれも証明を記さずに)有名な48の書き込みをした。しかし実際にフェルマーの数論の仕事が世に知られるようになったのは、その死後に息子が『算術』を、父の書き込み付きで再出版してからであり、数論の研究においては事実的に孤立していた。

それらの書き込みには後世の数学者達の手で証明又は否定の証明が与えられたが、ただ一つだけ未解決のまま残されていた問題があった。最後に残された、という意味でフェルマーの最終定理(フェルマーの大定理、フェルマー予想とも言う)と呼ばれるようになったその有名な問題は、一見単純な内容ながらプロ・アマ誰一人証明に成功せず、360年に渡って数学の原動力の一つであり続けた。この問題は最終的に1995年、アンドリュー・ワイルズが谷山・志村予想の一部を証明したことによって漸く解決されたが、このことは20世紀数学の掉尾を飾る金字塔となった。

フェルマーの最終定理とは、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない、という定理のことである。フェルマーの大定理とも呼ばれる。

n = 2 のとき、上の式を満たす整数の組は無数に存在し、ピタゴラス数と呼ばれる。このような数は具体的に書き表わすことができる。

フェルマーが驚くべき証明を得たと書き残したと伝えられ、長らくその証明も反例も知られなかったことからフェルマー予想とも称されたが、360年後にワイルズによって完全な証明が発見され、フェルマー・ワイルズの定理と呼ばれるに至る。
 

谷山 豊(たにやま とよ(ゆたか)、1927年11月12日 - 1958年11月17日)は、埼玉県騎西町出身の数学者。

もともと名前は「とよ」と読むのが正しいものの、「ゆたか」と読み間違える人が多かったので、いつからか自ら「ゆたか」と名乗るようになったという(そのため世界的には「ユタカ・タニヤマ」の名前で知られている)。

理学部数学科、大学院、数学科助手を経て、1958年に東大助教授に就任。同年、自宅アパートで31歳でガス自殺。遺書には「昨日まで、自殺しようという明確な意志があったわけではない」「自殺の原因について、明確なことは自分でも良くわからないが、何かある特定の事件乃至事柄の結果ではない。ただ気分的に云えることは、将来に対する自信を失ったということ」などと綴られている。また谷山の死の一月後、婚約者・鈴木美佐子も彼を追って自殺。翌年1月25日、谷山・鈴木両家による「葬婚式」が行われた。
 

志村 五郎(しむら ごろう、1930年2月23日-)は日本出身の数学者。大阪大学教授を経て、プリンストン大学教授。現在、プリンストン大学名誉教授。

盟友であった谷山豊と取り組んだ谷山・志村予想によってフェルマー予想の解決に貢献し、また、アーベル多様体の虚数乗法論の高次元化、アーベル多様体のモジュライ理論とモジュライに対応するCM体上のアーベル拡大を記述する保型関数を構成し、志村多様体論を展開。これによってクロネッカーの青春の夢の一般化を行った(ヒルベルトの23の問題における第12問題への貢献)。
 

岩澤 健吉(いわさわ けんきち、1917年9月11日 - 1998年10月26日)は、数学者。群馬県桐生市出身。

旧制武蔵高校、東京帝大理学部数学科卒業。東大助教授から1950年に米国渡航。プリンストン高等研究所、MIT、プリンストン大を経て1987年帰国。プリンストン大名誉教授。


Andrew_john_wiles_2
アンドリュー・ワイルズ (Andrew John Wiles, 1953年4月11日 - )は、イギリスの数学者で、現プリンストン大学教授(整数論)。ケンブリッジ出身で、ケンブリッジ大学卒業。大学院でジョン・コーツの指導下のもと、岩澤理論と楕円曲線論の研究、博士号を取得した。業績に岩澤(健吉)主予想の解決(メイザーとの共同研究)やバーチ・スウィンナートン=ダイアー予想に関する貢献(コーツとの共同研究)などがある。

上記のような業績により数論における優れた研究者として知られていたが、1993年、谷山・志村予想を半安定な場合について解決したと突如発表し、その系として「フェルマーの最終定理」を証明したと宣言した。彼はそれまで7年もの間この仕事に専念していたが、ほぼ完全に秘密としていたため周囲を驚愕させた。証明の内容は更に驚異的なものだった。そこには一箇所致命的な誤りがあったことが後に判明したが、翌1994年、修正に成功し、新たな論文が1995年のAnnals of Mathematicsに掲載された。このことにより、ワイルズはフェルマー予想を提起以来360年ぶりに解決した。国際数学連合のフィールズ賞には40歳以下という制限がついているため、ワイルズは受賞を惜しくも逃したが、その顕著な業績に対して異例の特別賞が贈られた。

またワイルズは優れた指導者であり、多くの優秀な弟子を育てている。楕円曲線のテイト・シャファレビッチ群が有限になる例を始めて構成したことやオイラー系の業績で著名なカール・ルービン。ワイルズの方法を拡張して谷山・志村予想に完全な証明を与えたブライアン・コンラッド、フレッド・ダイアモンド。谷山・志村予想、局所ラングランズ予想の証明で著名なリチャード・テイラー。岩澤理論において貢献があるクリストファー・スキナー。2次形式論で著名なマンジュル・バルガヴァなどである。

*1908年、ドイツの富豪ヴォルフスケールは2007年9月13日までの期限付きでフェルマー予想の証明者に対して10万マルクの懸賞金を設けた(Wolfskehl Prize)。当然のことながらワイルズが受賞し、その賞金は約500万円程度であるが、第一次大戦後の大インフレがなければ十数億円であったといわれる。授賞式は1997年6月、ゲッチンゲン大学の大ホールにて、500人の数学者が列席する中執り行われた。
 

サイモン・シン/著者

1967年、イングランド南西部サマーセット州生まれ。祖父母はインドからの移民。ケンブリッジ大学大学院で素粒子物理学の博士号を取得。ジュネーブの研究センターに勤務後、テレビ局BBCに転職。96年、ドキュメンタリー『フェルマーの最終定理 ホライズン・シリーズ』で国内外の賞を数多く受賞。日本でもNHKで『解けた!フェルマーの最終定理』として放映され評判となった。番組をもとにして書き下ろした本書は、全英ベストセラーになる。
 

青木薫/訳

1956年、山形県生まれ。京都大学理学部卒業、同大学院修了。理学博士。翻訳家。

 

 

 

20080410

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コメント

この内容はETVでも放映していましたね。
ワイルズが解明した。。と慶んだのもつかの間、レフリー(査読者)から論証の欠陥を指摘され、落ち込み、再度立ちあがって証明のヒントを掴んだ。そのとき、大きく寄与したのがニッポンジン数学者の岩村(の定理)、だったらしい。出発点そのものが、戦争直後の「志村・谷山予想」(谷山は若くして自殺)です。他にも多くの日本人数学者が寄与しているようです。
。。すべてこの本に書いてある内容ですが。

わたしは書店で立ち読みしました。。。

投稿: 古井戸 | 2008年5月 2日 (金) 14時04分

そうみたいですね。
この本を読んだ後に知りました。
TV放映、あたしも見たかった・・・です。(>_<、)

投稿: さくらスイッチ | 2008年5月 2日 (金) 19時41分

TV番組で印象に残ったのは。。

ワイルズが、ぬか喜びに終わりそうな危機を乗り越えて、やった~!、と確信したことを、思いだして話したとき、涙ぐみ、TVカメラに「。。すみません、」。。とはにかんだこと。

志村(プリンストン大学教授、志村予想の)が、ワイルズの証明発表後。。

     だから、言ったろう?(英語、忘れた)

と、ニヤッと、したことです。
   
  

投稿: 古井戸 | 2008年5月 3日 (土) 04時15分

^^♪ うふふ 
想像するだけで気持ちのいいシークエンスですね

投稿: さくらスイッチ | 2008年5月 4日 (日) 14時19分

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