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2008年4月 8日 (火)

008『伊丹十三の映画』 「考える人」編集部編 初版2007年

伊丹映画はこうして始まった

屋台骨! 伊丹映画を支えたベテランたち

大抜擢! 伊丹映画から飛び出したスターたち

伊丹映画を支えた熟練たち

伊丹映画の細部へのこだわりを実現させた人々

異業種からの才能が伊丹映画を分厚くリアルにした

事務方だって大変だ!

伊丹十三ロングインタビュー

Itami01

われわれは映画を半分しか作れない

そして 残りの半分の完成を観客の配慮にゆだねるため
観客の自由に対して映画を作る ということです

われわれの映画は
これからもさまざまな観客に出会い
各人の中でさまざまな形で完成されてゆくでしょう

私としては
それぞれの出会いが幸せなものであることを祈るのみです

あたしは伊丹映画が大好きなので、伊丹十三に興味があって読んだ。

< さくら好み ★★★☆ 

『“映画俳優、デザイナー、エッセイスト、TVドキュメンタリーやCMの制作、精神分析をテーマにした雑誌「モノンクル」編集長などを経て、51歳になった1984年に映画監督デビューを果たした伊丹十三”の映画』を創るという仕事、それで満たされた本だった。

観客や評論家から見た「伊丹十三の映画」ではなく、39人の出演者やスタッフから見た「伊丹十三の映画」(つまり、映画解釈とは無縁)が、インタビューとし て収録されているのが本書だ。そのため、伊丹十三という人間が垣間見れる面白さと、伊丹映画に関わった人たち自身の人間性が垣間見れる面白さがあった。

*****・・・・・*****・・・・・*****

<伊丹十三インタビュー>
「自分を丸ごとすくいとる仕掛けとしては、監督が一番という気がしましたね」


<山崎努インタビュー>
「山さん、そこは目尻のしわ一本で笑ってちょうだい」なんて言ってね。

彼がこんなことを言ったんです-「僕にはやりたい映画が四つある。一つは食べ物の話。一つはお金の話で一つは老人の話。もうひとつは冒険の話」って。略。だって、そのすぐあとに作ったのが「タンポポ」だったんですから。

<津川雅彦インタビュー>
伊丹さんはよくこんなことを言ってた。
「映画の素晴らしいところはね、泥棒の家族を描くでしょう、観客はその家族に情が移り、警察がドカドカと乗り込んで来ても、思わず『逃げて』って思ってしまう。善悪の価値を超えさせるマジックがある。映画にはそんな毒気が必要なんです」ってね。

<宝田明インタビュー>
助監督からたたき上げてきた人間とはうらやましいぐらいに違う、伊丹万作の遺伝子を受け継いだ目で森羅万象を注視し、観察し続けて、満を持して監督になった・・・・・そう思わせるものがあって、舌を巻いた。

<伊集院光インタ ビュー>
教えられたってことで言えば、リアルとリアリティの差っていうのもガツンと来た。「はなまるマーケット」っていう番組(TBS)に、ゲストがここ何日間か の行動を自分で撮ったポラロイドで紹介するっていうコーナーがあるんですけど、伊丹さんは宴会してたときの写真を撮るのに、実際そこにあったシュークリー ムを「リアリティがない」ってどかしてた。現実ってむしろウソっぽいってことがよくあるものですけど、それを完全に無くすとこれまたウソっぽ い・・・・・。リアルをどうリアリティのあるものにするか・・・・・そのさじ加減が絶妙だったのが伊丹映画だと思うんです。

<記録・堀北昌子インタ ビュー>
それに伊丹さんは日本映画で初めて、撮影現場にモニターを持ち込んだんです。カメラのファインダーと同じ画が見られるからとても便利でしたね。

<編集・鈴木晄インタ ビュー>
伊丹組の特徴の一つとして、上映用のプリントにオリジナルネガを使っていないことが挙げられます。日本映画では伊丹さんだけ。伊丹さんは、アメリカ映画指式にデュープ(複写)したネガを使う。オリジナルはちゃんと残してあるんです。略。日本ではオリジナルを使うから、一回切ってプリントしたら、もう後で直せない。切ったところは継ぎ足せない。略。じゃあなぜ日本でネガのデュープをしないか。それはもう単純にお金の問題です。デゥープ代があるから費用が倍かかる。さらに伊丹さんの場合は、オリジナルネガを東洋現像所に保管していたから、この保管費用が毎月かなりの額になるわけです。

<キャスティング・笹岡幸三郎インタ ビュー>
それが良かったんで翌日、すぐにマネージャーに連絡したら、「これは黙っててほしいのですが、来年NHKの大河ドラマやるんですよ」と。「独眼竜政宗」に出る前のギリギリのタイミングだったんです。

<プロデューサー・川崎隆インタ ビュー>
例えば、役所広司さんと洞口依子さんが海辺で牡蠣を食べるシーンがありますが、あれは洞口さんが海から上がって話すところと、切り返しのカットは全然別の場所で撮影したんです。ワンシーンの中で、表のカットと裏のカットを別の場所で撮影するという、ものすごい撮り方をしているんですよ。それだけロケハンが大変だったということです(笑)。

<特殊メイク・江川悦子インタ ビュー>
そんな特殊メイクらしい仕事以外にも、細かい発注があったんです。「この役を福耳にしたいんだけど、耳作れる?」とか(笑)。そういう、ちょっとしたキャラクターの肉付けにも伊丹さんは特殊メイクを利用していたんです。略。ホラーやSF映画ではなくても、あれだけ多く特殊メイクをお使いになったのは、伊丹さんが初めてでしょう。

<技斗(アクション)・高瀬将嗣インタ ビュー>
「大病人」でも、三國さんが、点滴の入った瓶を津川さんの頭にぶつけてガシャンと割る、そして津川さんが朽木のようにバタンと倒れる。そのシーンのためだけに呼ばれました。そういったことで頼まれるというのは、ほかの現場ではあり得ないことなんです。略。でも、伊丹さんの場合は、格闘シーンだけではなく、その前後にも、それにともなう身体のこなし方や目の配り方があると考えておられる。「殴り合いでなくても、これはアクションだから」と。略。伊丹さんも、技斗や殺陣を、アクションというよりも、俳優の肉体表現のうちと、捉えていらした。いろいろな監督さんとご一緒させていただきましたが、そういう考え方をお持ちの方は、伊丹さんのほかにはあまりいらっしゃらなかったので、驚いたと同時に、自分にとって、大変やりがいのある現場になりました。

<デジタル合成・島村達雄インタ ビュー>
今考えると、そのときに伊丹さんほどの人が七転八倒している姿を見ることができたのが、後に俺と山崎(「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴監督)が自分たちで映画を撮るときどれだけ参考になったか。あれだけの天才がどうやって発想していくか―そのプロセスに立ち会ったわけだから。

<メイキング・周防正行インタ ビュー>
それから、「テレビ的」ということを学んだのもこの時。映画を作っている人間にとっては「テレビ的」というのはマイナス表現なところがあるんです。けれども伊丹さんや、浦谷さんは「テレビ的」なるものをすごくわかっている方で、テレビマンとしてのふたりが口にする「テレビ的」には誇りが充ちている。 

*「それでも僕はやってない」の周防正行監督。メイキングを二本撮った直後に「ファンシイダンス」にとりかかる。

<助監督座談会・久保田延廣/当摩寿史/中嶋竹彦>
扱っているのが、取材しないと描けない題材ですからね。伊丹さんの興味が、ただ、人間を描きたいというだけのものではおそらくないわけで。社会のシステムと、そこに放り込まれている人間、その両建てなんですよね。だから、自ずと取材することが多くなってくる。

「タンポポ」のあと、お正月の三日くらいだったかな、中略、「映画が、うまくいって、ほんと嬉しかった」なんて言って、抱きついてくるんだから。そんなことやるキャラクターじゃないじゃない。

<フードコーディネーター・石森いづみインタ ビュー>
それだと伊丹さんは納得しないから、結局、千五百万円の三十センチの古九谷を見つけてきたんです。青山骨董通りの骨董屋さんから、中島誠之助さんと一緒に頭を下げて、中嶋さんも「この子は決して変な子ではありません。私が保証します」と言ってくれて、千五百万円の古九谷を借りた。

<料理人・松本庄平インタ ビュー>
うちは松本酒造という日本酒メーカーをやっているんですが、・・・略。実を言うと、({タンポポ}で)桜金造さんのやっておられた役は、もともと、私に当てて、シナリオを書いて下さったらしいんです。「伊丹さん、この役名、“ショーヘイ”となってますけど、これひょっとしたら私ですか?」と尋ねたら、「そうだよ」とおっしゃる。でも、・・・略。

<振付・宮崎渥巳インタ ビュー>
それがあの冒頭のシーン、脱税がうまくいって山崎さんが小躍りするシーンですけど、その直後にタイトルが出てくるシーンですから、印象に残ったという人も多かったですね。それに、あれだけ短いシーンで、わざわざプロのダンサーを呼んで振り付けさせるという映画監督もあまりいないんじゃないですか。略。本当にプロの立場からすると、ああいう動きの振付が一番難しいんです。略。劇中の人物が「自然に動く」のを「振付ける」、という矛盾したことになるわけですからね。それにあくまでリアリティがないといけないし、いかにも「プロが振付けた」と思われてはいけない。伊丹さんの映画の中では、そんな振付ばかりだったと思います。

<グラフィックデザイン・佐村憲一インタ ビュー>
それだけじゃないんんです。準備稿から始まって、一稿、二稿、三稿、決定稿と、三回から四回はデザインを変えました。たかが台本と絶対に疎かにしない。「佐村さん、台本の表紙はその映画の第一印象だから、きちっとやろうよ」と常に言っていました。・・・略。とにかくタイポグラフィーです。伊丹さんがこだわっていたのは。例えば「マルタイの女」。略。すると伊丹さんは、「『マ』の斜めの棒をちょっと長くして懐を広くして」とか「『ル』の頭をそろえてみよう」と指示があり、・・・略。そういうミリ単位のやりとりを、・・・略。それを一晩中かけてやる。全作でその作業をしました。そんな映画監督のみならずデザイナーにもいませんよ。世の中にいないぐらい(笑)。

<書籍編集・新井信インタ ビュー>
伊丹さんはいつの頃からか、日本とアメリカのカルチャー・ギャップをテーマにした作品の構想をあたためていて、暇をみつけては取材をしていたようで、・・・略。

伊丹さんはつねに日本の映画の状況に対して苛立ちのようなものがあったと思います。伊丹さんは自分の映画のことをあえて「商業映画」と言っていました。日本ではお客さんに喜んでもらえる映画よりも、自分だけが満足する表現みたいな映画が上に位置していて、しかも文法も方法論も持っていない。エンターテインメント映画には文法があって、・・・略、というのがアメリカ映画における創造性のあり方、それがハリウッド映画のエンターテイメントの秘訣であると。そのことについて日本の映画界はまったく感心がない。日本の映画は今と違って低迷していましたから、それなのに旧態依然とした状況に甘んじていることに憤慨していたんじゃないかと思います。

<東宝調整部・高井英幸インタ ビュー>
「もう少し早く、監督を始めてれば良かった」 伊丹さんはあるときポツリと言いました。作りたいものが沢山あったということ、宮本信子さんをもっと早くから撮りたかったこと、二つの理由を挙げていました。

<東宝宣伝部・中川敬インタ ビュー>
そもそも伊丹さんは、これまでの映画の宣伝方法、宣伝のコミュニケーションのとり方を、信用していないというのが大きかったと思います。従来の宣伝のやり方では観客に伝わらない、そういう考えを、根本に持っていらっしゃったんです。・・・略。あくまでも観客のニーズをデザインしたわけではなく、世の中の流れを自分なりに咀嚼して、普遍化してという方法で。当時の映画人が題材にしたことのないものを、伊丹流の料理法で出していらっしゃった。略。当時は異端であったかもしれませんが、今考えれば、先駆者だったのだと思いますね。

<字幕翻訳・横山眞理子インタ ビュー>
「タンポポ」以外の伊丹映画についても、海外での評価は高かったです。・・・略。特に「お葬式」「タンポポ」「あげまん」「ミンボーの女」はロングセラーで、長いこと契約を更新していました。また、大小様々な映画祭への参加要請も随分ありましたね。

<通訳・ ベス・ケーリ インタ ビュー>
「タンポポ」はストーリーが面白くて、ユーモラスなところがたくさんあったので、アメリカではとても人気がありました。
 
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伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CM作家、ドキュメンタリー映像作家である。本名は池内 岳彦(いけうち たけひこ)。戸籍名は池内 義弘(いけうち よしひろ)。映画監督の伊丹万作は父。女優の宮本信子は妻。俳優の池内万作は息子。作家の大江健三郎は義弟。また料理通としても知られる。身長183cm。

監督作品

01)『お葬式』(1984年)
02)『タンポポ』(1985年)
03)『マルサの女』(1987年)
04)『マルサの女2』(1988年)
05)『あげまん』(1990年)

06)『ミンボーの女』(1992年)
07)『大病人』(1993年)
08)『静かな生活』(1995年)
09)『スーパーの女』(1996年)
10)『マルタイの女』(1997年)

 
 
 
 

 20080330
 

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