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2008年4月14日 (月)

011『複眼の映像―私と黒澤明』 橋本忍 初版2006年

シナリオ・ライターとして

伊丹万作がこの世に残した ただ一人の弟子 

20080412

黒澤組のそれは複眼の眼による完成度の高い共同脚本

黒澤組の共同脚本とは、同一シーンを複数の人間がそれぞれの眼(複眼)で書き、それを編集し、混声合唱の質感の脚本を作り上げる―それが黒澤作品の最大の特質なのである。

いや、こうした脚本作りはおそらく日本だけでなく、世界のどこにも例のない、黒澤明が主催する黒澤組独自のものともいえるのではなかろうか。

黒澤明監督は映画を30作残しているけど、あたしはその内の7作しか見ていない。それも、その7作を見たのは最近の事だ。「世界のクロサワ」なんて言われているから、どんな作品なのかと好奇心はあるものの、あたしの中では「七人の侍」「椿三十郎」なんかの時代劇のイメージがあり、それも白黒だからなんとなく敬遠していた。でも、なんかの拍子に「姿三四郎」「酔いどれ天使」を見てみたら、以外にも単純で面白かったので、「羅生門」「七人の侍」「赤ひげ」「乱」「まあだだよ」とたて続けに見た。

で、クロサワ作品に興味を持ったので、その30作品のうち10作品も共同脚本を書いている橋本忍の本を読んでみた。

< さくら好み ★★★☆ 

創作する仕事に向かう姿勢にココロうたれた。自分が見ている映画のエピソードが面白いし、脚本家から見た黒澤映画の良シ悪シも興味深かった。

 

・・・・・ 覚書 ・・・・・

映画『羅生門』のアイデアは突発的に・・・
「あんたの書いた、『雌雄』だけど、これ、ちょっと短いんだよな」
「じゃ、『羅生門』を入れたら、どうでしょう?」
「羅生門?」

「じゃ、これに『羅生門』を入れ、あんた、書き直してみてくれる?」
「ええ、そうします」

同じ不条理ではあっても、真相は分らないとするテーマから、人間とは得手勝手なものであるとするテーマへの移行が感じられ、映画全体を少し難解で分りにくいものにしている。
 
いつの時代も「昔はよかったよなぁ~」(笑)
「生きる(1952年)」脚本執筆前の会話
「昔の映画界はよかったんだよな。脚本料や、監督料で、鉄斎の絵が買えたんだからな」
「まァな。昔の映画は遊び人の遊び芸だったよ、シナリオライターも監督もな。しかし、世の中セチ辛くなり、シナリオライターも最近は大きく変わってきた。遊び人の道楽芸から高給月給取り・・・・・サラリーマン気質にな」

映画創世期からの定説
映画の製作に一番重要なのは脚本で、その脚本にとり最も重要なのは、一にテーマ、二にストーリー、三に人物設定(構成を含む)であることは、映画の創世期からの定説だが・・・・略。

事実とリアルを求める姿勢
武士の一日。二食から三食になったのは、いつの時代から?????照明と食事時間には関係性があると思われるが・・・。はっきりと断定出来ない。「我が国には事件の歴史はある。しかし、生活の歴史はないんです!!」

紆余曲折があった末に生まれた映画『七人の侍』
「武者修行についてだが・・・・・これは室町末期から戦国への現象で、兵法者は金などなくても全国を自由に動き回れたのだ」
・・・・・略・・・・・
私は思わずドキッとし、本木壮二郎に訊き返した。
「百姓が侍を雇う?」
「そうだよ」
私は瞬間に黒澤さんを見た。黒澤さんも強い衝撃で私を見ている。二人は顔を見合わし―無意識に強く頷きあった。
「出来たな」
黒澤さんが低くズシリという。
「出来ました」

映画と音楽は共通するものがある
彼(黒澤さん)は一番よく似ているのは音楽だという。音楽は感覚を聴衆に伝えるだけで、何かを説明することが出来ない。映画も同じで、説明しなきゃいけないことを説明しても、観客には分らず、説明は一切不可能であり、その本質的な部分で、両者はひどく似通った共通なものがあるという。

映画の自由化
菊島さん、僕はこの(国立)撮影所にはもっと違う意味のものを賭けていたんです。狙いは映画の自由。自由化です・・・・・菊島さん、映画は本当に自由化されている商品でしょうか? 僕はそうは思わない。一種の統制品です。なにがって? どんな映画も入場料金は均一の同じ料金じゃないですか。一本一本内容が違えばスケールも違う。三百円の映画、五百円の映画、千円の映画があっていいし、二千円、三千円、五千円の映画があっても、おかしかうはないんじゃないでしょうか。

しかもこの均一料金は時間の制約、一時間半から二時間前後までの枠を作っており、どんな話でもこの枠の中へ起承転結で嵌めこまなければいけない。

なぜだろう? 長さに均一性があるからだ。小説には短編、中篇、長編の三種類がある。だが映画には短編と長編がなく、常に中篇の一種類に固定し限定化されてしまっているからだ。

「しかし・・・・・国立撮影所と、国立映画劇場があれば、菊島さん・・・・・様相はかなり変わって来る。国立撮影所で、意欲的な短編や長編を、次々と企画し製作するが、映画会社とは一切無関係に・・・・・つまり、彼等の劇場は全く使用せず、製作した映画は、すべてこの国立劇場に直接掛けるのです」

人物の彫り・・・脚本にかかる前、黒澤明が登場人物を細部に渡って特徴付けた絵を用意していた事に驚嘆した橋本忍が取った方法。

「山の手線方式」 印象的な人間の人物像を彫りこみ、駅名ごとに記憶。 + 「三分の一システム」

 
 

*****・・・・・*****・・・・・*****

伊丹 万作(いたみ まんさく、本名・池内義豊、1900年1月2日 - 1946年9月21日)は、昭和、第二次世界大戦前に活躍した映画監督。日本映画の基礎を作った名監督の一人である。映画監督、俳優の伊丹十三は実子。小説家の大江健三郎は娘の夫。

橋本 忍(はしもと しのぶ、1918年4月18日- )は、昭和期の脚本家、映画監督。男性。兵庫県神崎郡鶴居村(現・神崎郡市川町鶴井)に生まれる。

中学校卒業後、1938年応召したものの、粟粒性結核に罹り、療養生活に入る。シナリオに興味を持ち、伊丹万作のもとに作品を送り、指導を受ける。伊丹死去後、上京し、伊丹夫人より佐伯清監督を紹介される。

1949年、芥川龍之介の短編小説『藪の中』を脚色した作品を書く。伊丹死後、未亡人が伊丹の手元にあった橋本脚本を佐伯に渡し、黒澤明がそれを譲り受ける。黒澤は『藪の中』の脚色作品に注目、黒澤の助言により芥川の同じ短編小説『羅生門』も加えて完成。この脚本を基に翌1950年黒澤が演出した映画『羅生門』が公開され、橋本忍は脚本家としてデビュー。同作品はヴェネチア国際映画祭グランプリを受賞するなど高い評価を受けた。

以後、黒澤組のシナリオ集団の一人として小国英雄とともに『生きる』、『七人の侍』などの脚本を共同で執筆する。その後、『真昼の暗黒』『張込み』『ゼロの焦点』『切腹』『霧の旗』『上意討ち』『白い巨塔』、『日本のいちばん長い日』、『日本沈没』などの大作の脚本を次々と手がけ、論理的で確固とした構成力が高い評価を得る。

1958年、TBSの芸術祭参加ドラマ『私は貝になりたい』の脚本を手がける。上官の命令で米兵捕虜を刺殺しそこなった二等兵が戦犯として死刑に処せられる悲劇を描いたこのドラマは大好評となり、芸術祭賞を受賞した。翌1959年自身が監督し映画化。監督デビューも果たす。

1973年、これまで配給会社主導で行われていた映画制作の新しい可能性に挑戦するため、「橋本プロダクション」を設立。松竹の野村芳太郎、東宝の森谷司郎、TBSの大山勝美などが参加し、映画界に新風を吹き込んだ。

1974年、「橋本プロダクション」の第1作として、山田洋次との共同脚本で『砂の器』を製作。原作者の松本清張に原作を上回る出来と言わしめる傑作で、興行的にも大成功をおさめ、その年の映画賞を総なめにした。

続いて1976年に、森谷司郎監督、高倉健主演で『八甲田山』を発表し、当時の配給記録新記録を打ち立てる大ヒットとなった。以後、1980年代まで、脚本執筆、映画制作と精力的に活動した。

しかし1982年、脚本だけでなく製作、原作、監督もこなした東宝創立50周年記念映画『幻の湖』がわずか1週間で興行打ち切りと言う憂き目にあう。 その後、二本の脚本を書いた後、体調不良もあり事実上引退した状態であった。しかし、体調回復に伴い、2006年に黒澤明との関係を語った自著『複眼の映像 私と黒澤明』を発表。そして、2008年に中居正広主演でリメイクされることになった劇場版『私は貝になりたい』で自らの脚本をリライトすることになった。

 
 

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コメント

今丁度、NHK TVで 『映画に賭ける 脚本家橋本忍』を見終わったところです。

>脚本家から見た黒澤映画の良シ悪シも興味深かった。

橋本さんは監督もやったからなおさら見方は厳しいでしょうね。黒澤、橋本の両者は監督もシナリオライターも兼ねていた。これは溝口監督などと、大きな違いですね。溝口はシナリの一行を変えたいときも、必ず脚本家を撮影現場に呼び了承を取ったといいます。

弟子の中島丈博が語った橋本の脚本製作過程、が大変興味深かった。大きな紙に全シーンの概要を描き、その紙を旅館の大広間に広げて、あたかも映画の内容を一望のもとに長めながら、チェックする。シナリオ作成だけじゃなく、規模の大きい事業に掛かるための基本があるようにおもいました。

清張の長篇『砂の器』をどうやってシナリオにするか、の過程も入念に原作を読んでからヒントを得た。。全シナリオについて橋本氏にコンメンタール?のようなものを残してもらえれば巨大な資産になりますね。

投稿: 古井戸 | 2008年5月 1日 (木) 17時58分

★古井戸さん、コメント&情報ありがとうございます。^^♪

“大きな紙で映画の内容を一望”ってのが興味深いです。おそらく橋本氏は、頭の中で映画の尺を考えながら、そのテンポをチェックしてたんでしょうね。

映画『砂の器(1974年版)』もDVDで観ていますが、日本の四季とオーケストラ音楽が美しく、とても印象に残っています。

本書中に、ロシアの映画学校から講演を頼まれて断わった事が書かれている件があります。その時「ロシアでも黒澤映画が観られているんですか?」と橋本氏はちょっと意外な気がして依頼者に尋ねると、「ハシモトさんは何も御存知ないんですね。世界中のどの映画学校でも教本として扱っているスタンダードな映画がいくつかあり、クロサワ映画はその一つなのです」といったような事を言われ、相手に笑われてしまいます。名作の裏側にある作業は、日本国内に限らず貴重なモノなんですね。

様々な名作を残してきた橋本氏のコンメンタール(のようなもの)は、今後映画に携わる人にとっても、映画ファンにとっても、興味深い資産になる事は間違いないですよね。そして、そんな思いは橋本氏自身にもあったようで、その旨が本書を記した理由として、最後に書いてありました。

投稿: さくらスイッチ | 2008年5月 1日 (木) 20時07分

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