« 003『天文学への招待』 岡村定矩・編集 初版2001年 | トップページ | 005『眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く』 アンドリュー・パーカー 第一版2006年 »

2008年3月20日 (木)

004『沈黙の春』 レイチェル・カーソン 新装第一版2001年

負担は耐えねばならぬとすれば 私たちには知る権利がある

20080320

“自然破壊にとどまらず人間の生命の核、遺伝子直撃へと環境問題が加速度的に複雑化、深刻化しつつある今日、その危機を四十年近く前にいちはやく指摘し孤 立無援のうちに出版された本書は、すでに古典としての地位を確立したが、その間サイエンス、哲学の大胆な転換は行われず、本書の存在は現代にあってますま す切実なものとなっている。” 本書解説より

この本の反響によって当時の米政府が推進していた「化学薬品による有害生物絶滅計画」は中止になった。(当時の大統領はジョン・F・ケネディ。) wiki『沈黙の春』より

『Silent Spring』は1962年に発表され、日本では1964年に訳本『生と死の妙薬』として発刊されていた。それを2001年に、新装版『沈黙の春』として発刊したモノが本書になる。

人間と地球環境とのかかわり方に色々な問題が生じている事が盛んに叫ばれている昨今、今から40年以上前の現状をどう捉え、どのような事を啓蒙しようとしていたのかに興味があって読んでみた。
 

< さくら好み ★★★★☆ 

◆読んだ感想

「一部の権力者がお金儲けのために一般市民を傷つける行為」というと、あたしは「現代の戦争」を連想するけど、戦後、爆発的に普及した化学薬品(DDT他) を使う行為も、それと同じに成り得る事を改めて思った。自然界に存在しない化学薬品は、一度使ったら効果だけを残して“消えてしまう”事は無いんだね。も ともと自然界に存在しないんだから自然界が分解できる分けも無く、なんらかの形で自然界に残り、巡り巡って人間に害を及ぼす可能性が高いんだね。無闇矢鱈 に使うんじゃなくて、よく知って、よく考えて使うようにしないといけないんだね。 。。。

そう、この本では、害虫を退治するな、とか、害虫を退治するのに化学薬品を使うな、とは言っていなかった。使うにしても使う薬品を考えて少量使う、 自然界にあるシステムを利用する、という事を具体的な例を沢山挙げながら言っていた。その方が実は効率も良く、費用対効果も高いのだ、と。

強力な化学薬品は、即効性は高いが永続性は低い。というのも、根絶を目指しても昆虫は‘進化’するため、化学薬品に耐性のある新たな昆虫が出現する のだ。永続的に化学薬品を使う破目に陥ってしまう。その上、害虫を殺す事によって守ろうとしたもの自体に、害が及んでしまう事さえあるのだ。どんなデメ リットがあるのか検証されていない化学薬品を大量散布するような愚かな事をしては、負の遺産を残すばかりになってしまう。
 

もっと自然と真摯に向き合わなければいけない、と言っていると感じた。この本を読み終えてこの美しい表紙を見ると、読む前とは違う視線になっている自分に気付いた。

 

・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・

◆覚書(クリック♪)

 Silent_spring
 
・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
 
 

◆読みながら連想した事

この本を読みながら、色んな連想が脳裏に浮かんでは消えた。その連想は、過ぎ去った昔の事なんかじゃなくて、最近の事だ。あたしが連想したいくつかを下記に記してみると・・・

・南極に生きるペンギン。海水汚染で魚が体内に化学物質を蓄積し、それを食べるペンギンの体内からも有毒な化学物質PCB(ポリ塩化ビフェニル)が検出されている事。

・タイのドキュメンタリー『危険なオレンジ』。「2007年 第15回 地球環境映像祭 審査委員特別賞」を受賞している。

タイ北部、農薬を大量に使用するオレンジ栽培が盛んな地域では、(農薬に含まれる)世界で最も毒性の強い化学物質の被害にあい何 千人もの村人が病気になっている。この作品ではそんな村の一つ、チェンマイ州メーアイ地区にあるノンブアナン村で、農薬が村の自然環境や村民の生活・健康 に与える影響をとりあげた。

国が化学物質に頼った輸出向け農業を推進していることに非難が高まる中、すでにタイ国中の数千の農家が、農薬を使わない有機栽培へと転換し、グローバルマーケットよりもむしろ地域の需要のために栽培するようになっている。

この作品は、そんな農家の1人、パノンコム・ナムチャンの人生と、彼の加わっている有機農家たちの運動を追った。その背景には、農薬産業とそこで作られる毒物が織り成す物語もある。

・シラミの駆除。DDTはシラミの駆除として、戦後日本でも使われていたようだ。昨年、「アタマジラミ 子供の感染急増」ってニュースになっていた時、コ メンテーターが「戦後日本では珍しくなかったけど・・・」と言っていたのを思い出した。今はどうやって駆除してるんだろう?

秋田のニュース 2008.2.21 

頭部のかゆみの原因となるアタマジラミの感染が2007年度、県内の小学校や幼稚園などで急増している。20日までに保健所を通じて県に報告された感染者 数は185人に上り、県が件数を取りまとめた1999年度以降では最多。県生活衛生課は「不潔だから寄生するという考えは誤り。正しい知識を持ってまん延 を防ぐことが大切」としている。

同課のまとめでは、感染の報告は年によって0—6件と少ないものの、2004年度以降は24件、44件、29件で推移し、07年度は一気に200人に迫る勢い。北秋田保健所管内を除くすべての地域で感染が確認された。
 
同課は洗髪の励行に加え、感染した場合は▽目の細かなくしや駆除効果のあるシャンプーを使う▽髪を短めにして洗髪や駆除を容易にする—などの対策を講じ、いじめなどにつながらならないよう、「家族が正確な知識を持ってほしい」と呼び掛けている。

残留農薬問題。最近でも、中国餃子中毒事件に関連してクローズアップされてる。(餃子中毒は残留農薬では無いと思われるが。)地産地消というわけにはいかない日本では、中国産に限らず深刻な問題だと思う。直接自分の口に入る野菜のみならず、それを食べる家畜の体内に有毒な化学物質が蓄積される可能性も高いからね。食の安全の確保の難しさ・・・。可能な限り気を付けようとは思っているけど、あたしの体内も化学物質に汚染されているだろう。 。。。 

本書『沈黙の春』P206より抜粋

許容量を決めるのは結局、みんなの食料が有毒な化学薬品でよごれても、作物の生産者や農産物加工業者が安い費用で生産できなくてはならない、という考えが根本にあるのだ。そして、消費者の手に有毒な食料がまわらないようにするためには、特別の管理の機関を設けなければならない。その維持費―税金をはらわされるのは、結局消費者なのだ。だが、おびただしい農薬が使用されているいま、このような管理機関が十分その機能を発揮するためには莫大な費用がかかり、それだけの予算を議会でとることはできない。だから、結局消費者は税金を払うものの、あいかわらず毒をもらいつづけるという貧乏くじをひくことになる。 

 
 

◆びっくりした事

読んでいて、ビックリした事もあった。アメリカのあきれた行政指導とか、他にも・・・

・ウレタン! ウレタンって、断熱材や塗装なんかにも使われているあのウレタン? 「突然変異誘発物で癌の原因になるもの」!? 「カルバミン酸エステルであるウレタンは。殺虫剤、除草剤、殺菌剤に広く使われている。そればからいか、いろいろな可塑剤、薬品、衣類、断熱材などにも入っている。」!!!!!? 本当なのか? 今現在、普通に使われている事を思うと、今現在では発癌物質では無い事が判明しているのか?

 
 
 

◆読み終えてネットで調べた事

本書を読み終えて、DDTとレイチェル・カーソンについて記されたwikiを見てみた。当時この本はもの凄く大きな影響を与えたことが伺われる。

・DDT

1873年に初めて合成され、1939年にスイスの科学者パウル・ヘルマン・ミュラーによって殺虫効果が発見された。彼はこの功績によって1948年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

自然界で分解されにくいため、長期間にわたり土壌や水循環に残留し、食物連鎖を通じて人間の体内にも取り込まれる。またアメリカの野生ワニなどで環 境ホルモン作用も疑われたため問題視された。このため、現在、日本国内において製造・使用が禁止されている(ただし一部の発展途上国においてはマラリア予 防のために使用されている)。

DDTを失ったことによるマラリア患者は世界中で一千万人を超えるとも言われ、発癌性が当初指摘されていた通りであったとしてもマラリアで死ぬ人間 は癌で死ぬ人間を5桁も上回っていると言って良い。このため、2006年ようやくWHOは発展途上国においてはマラリア予防のためにDDTを限定的に使用 することを認めた。

DDT耐性マラリア蚊も多数報告されており、DDTに代わる安価で有効な殺虫剤が切望されているが、DDT論争の中で定着した「殺虫剤=環境汚染物 質」のレッテルのため研究費が賄えず、また、動物愛護団体による安全性確認試験妨害のため、新たな殺虫剤の研究は遅々として進んでいない。

一時 期、極めて危険な発癌物質であると評価されていたが最新の研究では発癌性が否定されている。国際がん研究機関発がん性評価では当初はグループ2Bの「人に 対して発がん性が有るかもしれない物質」に分類されていたが、その後の追試験によってグループ3の「発がん性の評価ができない物質」へ変更された。wikiで詳しく読む

・レイチェル・カーソン

Rachelcarson_2レイチェル・ルイーズ・カーソン(Rachel Louise Carson, 1907年5月27日 - 1964年4月14日)は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州に生まれ、1960年代に環境問題を告発した生物学者。アメリカ内務省魚類野性生物局(United States Fish and Wildlife Service)の水産生物学者として自然科学を研究。

当時、州当局が積極的に散布していたDDTなどの合成化学物質の蓄積が環境悪化を招くことはまだ顕在化しておらず、その啓蒙活動を行った彼女の意義は大きかった。

特に、1962年に発表した『沈黙の春』は、農薬類の問題を告発した書として米国政府にまでその衝撃が伝わった。本書を基にケネディ大統領は大統領諮問機関に調査を命じた。これを受けアメリカ委員会は、1963年農薬の環境破壊に関する情報公開を怠った政府の責任を厳しく追及。DDTの使用は以降全面的に禁止され、環境保護を支持する大きな運動が世界的に広がった。

『沈黙の春』の執筆中に癌宣告を受け癌と戦いながら執筆活動を続け、1964年4月14日に癌で亡くなった。

後の研究により、DDTの危険性に疑問が残り、その禁止によりマラリア患者激増という事態を引き起こしたとされるが、『沈黙の春』が人類史上において、環境問題を提議した功績に変わりはない。 

カーソンは特にアメリカの保守層から批判を受け続けているが、特に格好の標的となったのがDDT禁止問題である。この問題については1980年代にレーガン、ブッシュ(父)と続いた共和党政権時代から政治学者チャールズ・ルービン(Charles Rubin)らによって継続的にカーソンへの批判がなされてきたが、2000年代に入ると「カーソンがDDTの禁止を主張しなければ何百万人ものマラリア患者が死なずに済んだ」という論法で、カーソン個人がそれらの死について責任を負うべきであるという批判がなされるようになった。加えて2006年にWHOがマラリア予防の方法として、年に1度、住居の壁面にDDTを塗布する使用法を推奨したこともあり、カーソンのDDT批判は完全に的はずれだったという主張もなされている。

一方、こうした批判に対しカーソンの伝記を執筆したライト(Mark Hamilton Lytle)は、たしかにDDT禁止に関する世界的な論議の中でカーソンが果たした役割は大きかったにせよ、様々な公衆衛生上の問題が複雑に絡み合っていたアフリカの状況を考えると、DDT禁止によるマラリアの蔓延が数百万人を殺したという表現には大幅な誇張がある上に、カーソン自身、DDTの完全禁止を主張したことは一度も無いと指摘している。

なお、DDTの使用は残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約において、マラリア対策用としてのみ使用可能とされたが、これに関し Malaria Foundation International(MFI)のアミール・アタラン(Amir Attaran)(オタワ大教授、法学)は、かつてDDTの農薬としての使用が禁止されたことは、マラリア対策という面では明らかに効果的であった(耐性を持つ蚊の増加を抑えることが出来た為)と評価している。

また、DDTはその後の研究で発ガン性こそ疑問視されるようになったものの、環境汚染物質であることは疑い無いもので、その農薬としての大量散布が北米における猛禽類の大幅な減少(卵の殻が薄くなるなどの理由による)を招いたことは有名である。また農薬として使われれば甲殻類や多くの魚種を殺してしまうことも知られている。wikiで続きを読む

  
 
◆現在の環境保全と開発に関する考え方

なかなか思うようにはいかないみたいだけど、開発と環境保全に対する考え方は変わってきている。

『持続可能な開発』

Chiri351 「持続可能な開発」という言葉の定義は70以上あると言われますが、その中で有名なのが、国連の「環境と開発に関する世界委員会」の定義で、「将来の世代のニーズを満たすための能力を損なうことがないような形で、現在の世代のニーズも満足させるような開発」となっています。

つまり、現在の自分の幸せだけではなく、将来の世代の人々の幸せを考えなければならないということです。この「現在と将来の世代間の平等」の他にも、地域間つまり先進国と途上国の平等、人間と自然界すなわち他の生物との平等、障害者と健常者との平等、男性と女性との平等などが挙げられます。

ここでの「持続」というのは、人類の社会や自然環境が持続できるということです。この考えの背景には、今のままの経済・社会のあり方では将来重大な危機に陥るという危機感があります。 NHK高校講座 地理より抜粋

概要

「持続可能な開発」は、現在、環境保全についての基本的な共通理念として、国際的に広く認識されている。これは、「環境」と「開発」を、互いに反するものではなく共存し得るものとしてとらえ、環境保全を考慮した節度ある開発が可能であり重要であるという考えに立つものである。ただし、そのような開発が可能でない状況もあり得るとして、この理念が濫用されることを警戒する考え方もある。 wiki

初出

この理念は、1980年に国際自然保護連合(IUCN)、国連環境計画(UNEP)などがとりまとめた「世界保全戦略」に初出した。 その後、1992年の国連地球サミットでは、中心的な考え方として、「環境と開発に関するリオ宣言」や「アジェンダ21」に具体化されるなど、今日の地球環境問題に関する世界的な取り組みに大きな影響を与える理念となった。 翌1993年に制定された日本の環境基本法でも、第4条等において、循環型社会の考え方の基礎となっている。 wiki

歴史

1972年、ローマクラブが「成長の限界」という本を出し、地球の資源は有限であることを強調しました。同じ年、スウェーデンの首都ストックホルムで、居住や環境問題を扱う、国連人間環境会議が開かれました。開発と環境の関係や、途上国で安全な水や衛生環境が欠けており、そこから貧困が生まれている、といったことについて議論されました。

1982年、ケニアの首都ナイロビで国連環境計画の会議が開かれました。それに基づき設置されたのが、ノルウェーの首相であったブルントラントが委員長を務めたWCED・環境と開発に関する世界委員会でした。

1987年に出された「我ら共有の未来」という報告書の中で「持続可能な開発」という概念を発表したのです。

1992年には国連環境開発会議(地球サミット)が開催されました。オゾン層の破壊、地球温暖化、熱帯林の減少、酸性雨などの一国では解決できない地球環境問題が現れてきたためです。具体的な行動計画として「アジェンダ21」が出されました。

1997年、地球温暖化防止京都会議で、京都議定書が採択されました。

2002年、持続可能な開発に関する世界首脳会議がヨハネスブルグで開かれました。

2005年からは、「国連・持続可能な開発のための教育の10年」が始まりました。

NHK高校講座 地理より抜粋

 
 
 
 
 
 

20080316

 

|

« 003『天文学への招待』 岡村定矩・編集 初版2001年 | トップページ | 005『眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く』 アンドリュー・パーカー 第一版2006年 »

★★★★☆」カテゴリの記事

コメント

http://hb6.seikyou.ne.jp/home/JRCC/
カーソン協会

わたしらが小さい頃、(稲作を田舎でやっていたとき)ホリドールという農薬を母などが撒いていた(背中にしょった噴霧器を使って)。DDTも大流行。

害虫がでてくると、稲作はイチコロだからね。
害虫が死ねば、タニシ、とか益虫なども死んだろう。

稲作や農業(花作りから、果物作りまで)をやることがそもそも自然にとっていいことなのか、ということになる。減反をやれば、田圃はつぶれる。稲田が荒れ地になる。昆虫は大喜びだろう。いま、田舎に帰ると風景がメタメタ。田舎の<美しい(=人間にとって)>田園風景は稲作によって保たれてきた。

稲作じゃなく、たとえばゴルフコースの芝が美しいのもかなりの殺虫剤をつかっているからだ、とおもう。害虫に死を!というのは農業の基本。厳しうおますね。生存闘争は。

投稿: 古井戸 | 2008年7月19日 (土) 03時57分

★ >厳しうおますね。生存闘争は。

この物言いに、思わず笑ってしまいました。後でまた、レス書きます。(^^)/

投稿: さくらスイッチ | 2008年7月19日 (土) 20時35分

古井戸さんのコメを読んで、あれこれ考えました。闘争も共生も、必然からくる本能に基づく気がします。で、闘争と共生は同時に存在するもので、どちらかだけになる事は、不可能なのかもしれない、なんて考えたりしました。

今、自然破壊だ地球温暖化だ、自然との共生だエコだと騒いでいる人間中心の視線のあり方は、実は滑稽な事なのかもしれない、なんて思いました。

投稿: さくらスイッチ | 2008年7月20日 (日) 20時19分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 003『天文学への招待』 岡村定矩・編集 初版2001年 | トップページ | 005『眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く』 アンドリュー・パーカー 第一版2006年 »